碓井 真史 新潟青陵大学大学院教授/心理学者
オリンピックが始まった。各国選手団が船に乗ってセーヌ川をやってくる。はじける笑顔と歓喜の声援。世界が見つめている。オリンピックのような大規模イベントには、批判がつきものだ。理想通りにはなっていないこともわかる。それでも、この笑顔に嘘はないだろう。
オリンピックの目的は、世界一を決めることではない。オリンピックの目的は、スポーツを通した人間育成と世界平和だ(オリンピック憲章)。だから、「オリンピックは参加することに意義がある」。オリンピックを目指す人々が、みんな人間的に成長しますように。誰が金メダルを取っても、世界の平和が進みますように。
「健全な肉体に健全な精神が宿る」とも言われるが、実は少し違う。本来これは、祈りの言葉だ。「健全な肉体に健全な精神が宿りますように」。この言葉は風刺だと言う人もいる。体を鍛えたからといって、健全な肉体に健全な精神が宿ることは簡単なことではない。
それでも、「より速く、より高く、より強く」。上を目指しチャレンジすることで、人は成長し、人々は注目する。そして、この言葉には2021年にもう一言が加わった。「より速く、より高く、より強く、共に(一緒に)」だ。
スポーツ競技には勝敗がある。勝利を目指すことで人は成長し、人類の限界に挑む姿に私たちは熱狂し感動する。しかしそれでも、金メダリストだけに価値があるわけではない。共に競技に参加してくれたライバルがいて、一緒に協力してくれた仲間やスタッフがいて、金メダルがある。私たちは平和のために共に進む。
このオリンピック精神は、様々な活動にも共通するかもしれない。教会の活動の多くは、参加することに意義がある。みんなで参加したい。けれども、だからといって内容がどうでも良いわけではない。結果も大切だ。聖歌隊も、トラクトの作成も、昼食会も、高みを目指したい。
高評価の活動に健全な信仰が宿るように
その街のシンボルになるような礼拝堂ができたら素晴らしい。日曜学校の歌や演劇の発表会が、ローカルニュースで紹介されたら、みんながハッピーだ。何事においても、上を目指したい。もう一度強調しよう。各自各教会のタラントを生かし、社会に高く評価される活動をしよう。ただし、高評価の活動に健全な信仰が宿りますように。
その上で、ではオリンピックもスポーツ大国だけで開催すれば良いだろうか。いや、それではオリンピックの目的は達成されないだろう。普段はほとんど名前を聞かない国々も、オリンピックに参加する。参加選手600人の大国も、参加選手2人の小国も、みな同じ大きさの国旗を持って入場だ。
小さな教会の小さな活動が、大きな実をむすぶことがあることを、私たちは知っている。私たちは、共に手を取り、走るべき行程を走りぬこう。

《連載》世の目 人の目 聖書の目