音声メディアに今もなお一定の需要があるのはなぜか。その理由について、FEBC日本統括ディレクター補佐の長倉崇宣さんは次のように語った。「ある時、リスナーの方が放送を聞いて、『自分もその場にいる感じがする』と感想をくれた。映像だとそうはならない。声だけだと想像を働かせて、聞く中で、自然に心の中に入ってくる。自分もその中にいるっていうことが体験できる。見える情報が、時には壁になることもある」
見えないメディアを通して、見えないお方と出会う。日本FEBCは73年にわたり、超教派の放送伝道を続けてきた。当初は海外から電波を届ける「短波放送」で放送。1970年代にAMラジオの変更に本格的に移行し、2001年からはインターネット放送を開始した。現在は、ネット放送を「ネットでもラジオが聞ける」以上の、ネットを生かした宣教にできるかが課題だという。技術も表現も時代とともに変わる中で、FEBCは次のことを意識し続けてきた。
FEBCの名前の由来は「Far East」。日本や中国など「地(東)の果て」を指す。地理的な意味でもそうだが、FEBCが大事にしているのは「心の果て」の部分だ。「ハレルヤや、アーメンも出てこないところで、むしろ神様が迫ってくださることがある。それは今教会に連なっている方にしか起こらないことではない」。介護用ベッドの傍らや、心の病で外に出られない方の部屋。放送は、そこに届くことができる。
実際、FEBCだから、と打ち明けてもらえる痛みや叫びはたくさんある。毎月届くお便りは、その数約300通。「顔が見えない」という放送の特色はここでも大きく生かされる。「届くのは、番組の感想はすごく少ない。人生相談が多いんです」。ただ、聞いてほしい。そんな想いで届けられたお便りには、全て返信している。普段は見えない、大切な働きの一つだ。
「あるスタッフがよく言うのは『私たちの働きは聞くこと』。答えを提示することはできなくて、共に嘆き、祈ることしかできない。でもそこにいてくださるお方を信じています」

マイクに向かう長倉さん
4月からの新番組「Web企画実験室」で拾う声は、FEBCに直接届く声だけではない。番組で試みたいのは、SNS上にあふれる自分の境遇や誰かを呪う声を見て、執り成しの祈りをすることなど。「まだイエス様とは知らないかもしれないけれど、もうこの人はイエス様を呼んでいるようにしか思えないことってたくさんある」。そう語る長倉さん自身も、FEBCを通して福音に触れた一人だ。
FEBCを聞き出したのは、「キリスト教を根本的に否定したい」という想いから。「FEBCで言っている神様が本当にいるなら」と祈り、不思議な平安を感じた。今でも、リスナーの中にかつての自分がいる気がする。「例えば有名な教職者の方に出てもらって、こういう風に話してください、と教会の中に受け入れてもらえる番組をやろうと思えばやれてしまう。でも、教会の外にいる人のほうが圧倒的に多い中で、FEBCでやる必要はありません、、、、、
・インターネット放送(常時聴取可)
URL: https://www.febcjp.com/
・ラジオ放送
AM1566kHz
毎日21時30分〜10時45分
(2025年04月27日号 05面掲載記事)
