
『戦後日本とキリスト教』評・久保木聡(日本ナザレン教団桃谷キリスト教会牧師)
「戦前・戦中は『悪』、戦後は『善』という単純な話ではありません」(3頁)という言葉が表紙をめくって最初のページをめくると飛び込んできます。1945年8月の敗戦をもって、日本は新しい歩みを始めた…そのことも否めない事実ですが、その新しい歩みが「善」と言い切れるのか、本書は鋭く問いかけてきます。
第一章では、「〈精神〉と〈物量〉—戦後占領期の宗教政策をめぐって」と題して、本来なら「精神革命」を起こすはずの日本のキリスト教会が、結局はアメリカからもたらされる圧倒的な「物量」すなわち、大量の頒布用聖書、援助金や援助品、多数の宣教師によって一大ブームが起こされるものの、その物量がなくなれば退潮し、ただ翻弄されるばかりであったこと。植民地主義的理念を克服した「戦後」キリスト教を当時だけでなく、今もなお築き得ておらず「精神革命」を起こしていない現実を指摘しています。確かに、未だに物量に依存しようとし、植民地主義的理念を克服しきれていないわけですから、戦後を乗り越えきれていない現実をまざまざと突き付けられました。
第四章では「戦後在日コリアンとキリスト教界」について取り上げています。戦前に国策として日本に連れて来られ、戦後になったら、日本に住んでいるのに「日本国籍」が剥奪され、生活保護を除くすべての社会保障および社会福祉制度から除外され、1958年以降国民健康保険や国民年金に加入できなかったばかりでなく、公営住宅への入居もできない現実が述べられます。そして、そのように人権が剥奪される中であるのに、日本のキリスト教界から何らかの反応があったことを示す資料が見つからないことを本書は告げています。
北朝鮮への帰国事業が始まる中で、ようやく日本のキリスト教界は、帰国事業は人道的なものだと発言します。ただ、それとて、「厄介払い」であって、在日コリアン・キリスト者の訴えに日本のキリスト教界が真摯に耳を傾けた形跡がないことを批判しています。
そのほか、戦後におけるキリスト教ブームを統計に基づいて分析したり、共産主義との関わりを描いたり、はたまた沖縄の米軍基地における土地闘争、女性の教育、地方のキリスト教、賀川豊彦といったトピックを取り上げながら、戦前・戦中の悪を乗り越えきれない、米軍にはっきりノーと言えない戦後日本のキリスト教界を本書は取り上げています。
恥ずかしながら知らなかったことも多々あり、戦後日本のキリスト教会のいびつさを浮き彫りにし、そのうえで戦後80年の歴史を経たキリスト教界もそのいびつさの上に築かれていることに気づかされました。本書を出版するにあたって「特に若い人々が八〇年前の連続性の中で今を捉え直すきっかけになることを留意し」(230頁)たことが述べられていますが、そのねらい通り、非常に読みやすい本であると共に問題の本質を突きつつ、目指すべき方向性が提示されています。歴史を振り返り、どこに向かって真の悔い改めをなすのか、本書は大切な提言をしています。
『戦後日本とキリスト教: 敗戦の混乱期から社会制度の確立期まで』富坂キリスト教センター編、新教出版社、2200円税込、四六判
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