「教団移転」「再開拓」で誕生 東京フリー・メソジスト教団 みずほ台キリスト教会
《チャチャチャーチ》
1953年に創立された東京フリー・メソジスト教団(東京フリー)は、東京都の西部、多摩地区を中心に埼玉県へも広がり、10教会を擁している。その10番目の教会が「みずほ台キリスト教会」(野尻道人牧師)。2014年10月に新会堂を埼玉県富士見市西みずほ台に取得して移転し、現在の名称となったが、13年4月の創立時は「鶴瀬キリスト教会」。それまでインマヌエル綜合伝道団(インマヌエル教団)に所属していた教会が、東京フリーに「教団移転」し、「再開拓」されることによって、新しい教会として出発した。
既存の教会に資源を投じる
2012年当時、インマヌエル教団所属の鶴瀬キリスト教会は、牧師のいない「無牧」状態が数年続いていた。礼拝出席は15人程度。それでも、1974年の創立にしておよそ40年の歴史を持つ教会には、数代続くクリスチャンホームが複数あり、子どもから高齢者までが集っていた。教会堂は創立時に中古で購入した物件が、さらに40年近く経過し、老朽化が進行。震災があれば倒壊の危険性も指摘されていた。そのような状況で、任命制を取る教団の教会として、いずれ牧師が派遣されることを期待しながら、教団がアレンジした説教者とともに、日曜礼拝、週日の祈祷会を守っていた。
一方、東京フリー・メソジスト教団小金井教会(宮川浩二主任牧師)では、教団創立者であるエバ・B・ミリカン宣教師の「開拓伝道」「世界宣教」のスピリットを受け継ぎ、新しい教会開拓の「10年計画」が示されていた。教会がその準備を整え、計画を具体化させるべく検討が進められていく中で、宮川氏に与えられたビジョンは「再開拓」。宮川氏は今まで、閉鎖を余儀なくされている教会がある地域で、新たな教会が他の教団、団体により設立されるような事例を見てきた。その地域にすでに教会があるなら、そこに別の教会を建てなくてもよい。その教会が必要を覚えているなら、そこに人的、経済的資源を投じればよい。「教会開拓」が、それまで東京フリーがカバーしていなかった地域に福音宣教を広げるために行われるものだとしても、ゼロからの開拓である必要はない。牧師を必要としているところには牧師を遣わし、新しい会堂も建設する。それが「再開拓」である。そのための資金も貯えられてきた。
そこで「再開拓」の候補として挙がったのが、その地域にあった「インマヌエル鶴瀬キリスト教会(鶴瀬教会)」である。東京フリーとインマヌエル教団は、同じきよめ派であり、同じ神学校でともに学んだ牧師が双方にいる。交流のある教会、牧師も少なくない。12年に、宮川氏がインマヌエル教団に、鶴瀬教会「再開拓」を打診し、教団間での話し合いが行われた。インマヌエル教団は、全国に110を超える教会を擁するが、すべての教会に専従の牧師を派遣できているわけではない。鶴瀬教会同様、牧師を必要としている教会が複数あり、牧師不在の状態は現在も続いている。
教団間での話し合いでは、鶴瀬教会が東京フリーに「教団移転」し、移転後は速やかに会堂建設を行う方向で、前向きな検討が進められた。その間、当時東京フリー小金井教会の副牧師であった野尻氏は、インマヌエル教団がアレンジした説教者として、鶴瀬教会で日曜日に2度の奉仕をした。この時教会員にはまだ、教団移転の話は伝えられていなかったが、鶴瀬教会の前任の牧師と神学校でともに学んだことなど、教会員とは話が弾んだことを、野尻氏は覚えている。
確信なしに「教団移転」など話せない
翌13年の1月、インマヌエル教団の理事から鶴瀬教会に、東京フリーへの教団移転とその後の会堂建設の話が打診された。理事は、今後教団として牧師を派遣する見込みは立たないことを説明し、教団を移って牧師を迎え、新会堂を取得するか、または無牧の状態でも現状維持のままでいくか、選択を求めた。
この時のことを、鶴瀬教会で40年以上信仰を守ってきた内藤久照さんは次のように振り返る。「受け止めは人によって温度差があったと思います。信仰の強弱もあったかもしれない。正直、教団はこの教会をどう考えているのか、という気持ちにもなりました。それでも教会に牧師が来て欲しかったし、老朽化した会堂も何とかしなければ、という気持ちはありました」。クリスチャンホームで育ち、鶴瀬教会ができた時から両親とともに集ってきた長井聖樹さんは、「ずっとインマヌエル教団の教会で育ってきたので、教団を変わることに、強い抵抗があった。それとともに以前から教会の将来に不安はあったので、この話を断ったらおしまい、とも考えました」。求道中を含めれば20年以上この教会に通う米元容子さんは、「牧師のいない時期はつらかった。こんなことが起こるなんて、いい話だと思った」と、前向きに受け止めた。
この話を勧めたインマヌエル教団理事の矢木良雄氏には強い確信があった。「この話が進めば牧師として遣わされることになる野尻道人先生はインマヌエル聖宣神学院の卒業、奥様の香織先生もインマヌエル教団の出身。二人のことはよく知っていましたから、野尻先生夫妻が牧会してくださるなら、必ずうまくいく、この教会にとって益になる、そう思いました。そうでなければ、先はどうなるかわからないけどみたいなことでは、教団を変わる話などできません」
鶴瀬教会では数週間のうちに総会が開かれ、教会としてインマヌエル教団から東京フリー・メソジスト教団への移転を決議。4月には、東京フリー・メソジスト教団鶴瀬キリスト教会として、野尻氏が牧師に就任した。新たな教会として出発したが、会堂は以前のまま。東京フリー小金井教会の「再開拓」として始まった教会としては、老朽化して立地も思わしくなかった会堂の問題を解決すること、教団移転に際し東京フリーから提示されていた新会堂の取得、が最優先の課題となった。
会堂取得を通して信頼構築
新会堂取得に際して与えられた御言葉は、ネヘミヤ記2章20節「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ」。市内全域を回って、物件を探した。候補物件が出るたびに、小金井教会と協議を重ねたが、双方が納得できる物件はなかなか現れなかった、、、、、、
(2024年07月14日号 06面掲載記事)