〝ゴスペルマジシャン〟として活躍するRito(リト)さん。神学生と会社員をしながら、マジックを通して福音を語る。彼を動かす思いとは。
【間島献一】

種も仕掛けもない神様の奇跡に感動

ゴスペルマジックはアメリカで始まった、子どもに聖書物語を伝える表現方法だ。牧師なら言葉で、画家なら絵で、そしてゴスペルマジシャンはマジックで、福音を伝える。
「マジシャン」の肩書は使わない。あくまで「ゴスペルマジシャン」だが、その活躍の場所は教会に限らない。幼稚園、保育園、福祉施設、一般企業のイベントに招かれることも多いそうだ。場所や見る人によって、そのつど構成と台本を練る。そしてそこに、ゴスペルを込める。
「マジックで出会う一人ひとりが、本当にかけがえのない存在だと思える。見てくれる人が感じた幸せや楽しさから、神様を感じてほしい。そこに神様がはたらいて、種も仕掛けもない、本当の奇跡を見せていってくれる。これに僕自身が感動しています」

キリストと教会の結婚披露宴その余興を任された心持ちで

「ゴスペル、すなわち良き知らせは、罪を赦されて天国に入れられる、というだけでなく、もっと大きなものではないか――私たちが生きているこの世界は、イエス様が来たことによって神の国が始まった。イエス様が王となってくださった。これも福音だと思う。教会はキリストの花嫁、神の国は祝宴で私たちはそこに招かれている、といったたとえが聖書にあるが、私は、キリストと教会の結婚披露宴で、余興を任せられているマジシャンなんです。ならば私のミッションは、その空間を喜びと楽しさで満たすこと。マジックは楽しさや不思議さを表現できるものだからこそ、この驚きと不思議に満ちた世界を造った神様を、マジックを通して少しでも表現できたら。これがゴスペルマジシャンの働きだ、と思っています」
披露宴の余興で重要なのは、招待客が楽しいかどうかだ。そのためには、とにかくゴスペルの要素を入れよう、とは考えない。「自分の中ではショーにテーマ聖句を決め、祈りを込めてやっている。ショーの中では、直接的にみことばを語るのではなく、ショー全体を通して表現する。そのショーからキリストの香りが漂ってくるように。目の前の人が笑顔になってくれたら僕は充分、あとは神様にお委ねして、いかようにも用いてください、と。それが結果的に、伝道につながっていくのかな、というスタンスでいます」
伝道は、こちらのエゴになりがちな面を持っている、と彼は言う。「イエス様が実践した愛は、相手が今求めているものは何か、という目線だと思う。マジックを見たくて呼んでくれる人が求めているのは、伝道されることではなく、マジックを楽しみたいという思い。それで私は、ゴスペルマジシャンというバックボーンを大切にしながら、マジックショーを全力でやる」

自分にあるものは、ゴスペルとマジックのふたつだった

マジックを始めて二十年。マジックをする意味は「神様から与えられているものだから、、、、、、、


Ritoさんのステージ。子どもたちの間に笑顔がはじけた。

ゴスペルマジシャンRito 公式ウェブサイト:
https://magicianrito.com/

2024年07月14日号 08面掲載記事)