憲法特集/3人に聞く③ 「人権」がない場面から想像する 藤田直彦=小学校教員、日本バプテスト連盟恵泉バプテスト教会会員

藤田直彦=小学校教員、日本バプテスト連盟恵泉バプテスト教会会員

学校では「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の憲法三原則を学びます。最近、憲法の中心は「基本的人権の尊重」であり、「人権」は、「人権」が大切にされない場面で、目に見えてくるものだという思いを強くしています。様々な差別に出会うとき、ヘイトやハラスメントにあったとき、言いたいことが握りつぶされたとき、不条理の中で我慢を強いられたとき、命が大切にされないとき、「人権」という言葉が立ち上がってきます。

「平和のための軍備」が進められる時代に、「平和」を「人権」からとらえることの必要性を感じます。NHK朝ドラで脚光を浴びているやなせたかしさんは「アンパンマン」を弱いヒーローとして描きました。ヒーローが怪獣と闘いながら町を破壊しても責任をとらない。そのようなヒーローとして描きたくなかったといいます。韓国の映画「1980 僕たちの光州事件」では、軍の暴力に抵抗する市民からいじめられる軍人の家族を、少年の目を通して描きます。軍人の子だからいじめられていいわけではないと。

日本は、1994年に子どもの権利条約を批准しました。この権利条約では「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」を基本的な柱としています。たとえば14条の思想、良心及び宗教の自由について考えるとき、思い出すのは、90年代に私が勤めていた学校の周年行事で「君が代」が流れたとたん、参加していた5、6年生が一人を残して全員着席したという出来事です。

しかし、その出来事は、「一部の教員がそうさせた」ということにされました。子どもたちに思想・良心があることが無視されたのです。一方で、「君が代」反対の意見の中に、「大人でも意見が分かれている問題を子どもに押し付けるのはよくない」というものがありました。私は、この意見も子どもの中にある思想の存在を無視していると思います。私は一人で起立した子に、周りに流されず、自分の考えで行動したことは素晴らしいと伝えました。

子どもたちと「教育を受ける権利」を考えるときは、「教育を受けられない」場面を考えます。戦争や貧困、児童労働などから「教育を受けられない」、あるいは「不登校」などの場面が想像されます。

このように、「人権」が大切にされない場面から「人権」を見ようとするとき、これらの「人権」は、「人権」を奪われた当事者が、血を流しながら(文字通り、あるいは心の中で)築いてきたものだと知らされます。「人権」は尊重されなくてはならないものであり、権利が大切にされていないのは、社会の責任です。

しかし、社会によって痛みを負った人の叫びが、社会の中の「人権」を築いていくことが多くあります。例えば「ハラスメント防止法」ができるまでに、いったいどれだけ多くの人が孤独の闘いを強いられてきたのかを思います。隠されている痛みに目を向ける社会であることを願います。

2025年05月04日号 05面掲載記事)