【書評】情緒が整えば、家族、教会、社会を変える力に 評・西原智彦

 スキャゼロ夫妻による「情緒的健康」シリーズの邦訳第4弾が出版された。情緒とは「感情」とも訳されるが、信仰生活におけるこの分野へのアプローチは、2009年に第一作『情緒的に健康な教会をめざして』が邦訳された時と変わらぬ新鮮さをもって受け止められている。今回の著者は、初版の核となる内容を残しつつ、多くの実践的経験に基づく新たな洞察を加え、全体で約500ページに増補している。

『新・情緒的に健康な教会をめざして 魂の変容をもたらす弟子づくり』、ピーター・スキャゼロ著、
鈴木茂・敦子訳、
いのちのことば社、3,520円税込、
四六変


 私自身、このシリーズとの出会いによって「救われた」と言っても過言ではない。約20年前に開拓伝道に携わっていた当時、「これで祝福されなければ神のせいだ」との思いで知力・体力・精神力の限りを尽くして奉仕していた。聖書を正しく学び、正しく教え、正しい決断を下せば、正しい教会ができるはずだと信じて疑わなかった。しかしその単純で表層的な、知的同意だけを求める姿勢では実りが少なく、人間関係も空回りし、ついには牧会を離れる決意をした。信仰そのものを手放そうとさえ思った。


 そんな折に出会ったのがこのシリーズの初版であり、まさに頭を打たれるような衝撃を受けた。「感情を殺して主に従う」ことこそ信仰だと思い込んでいた私にとって、「情緒的に健康な信仰生活」という視点はまったく新しいものであった。この本を通して信仰を再構築することができ、再び牧会に立ち戻る恵みに与(あずか)った。


 本書でスキャゼロはまず、信仰者がしばしば感じる、どこか歯車がかみ合わない信仰生活や、教会の霊的雰囲気への違和感の原因が、実は自らの内面、特に情緒の未熟さにあることを指摘する。礼拝出席や奉仕、聖書の学びといった表層的行動よりも、神との深い交わりを重視し、「キリストにある変容」こそが本来の弟子づくりの核心であると説く。


 そのために本書では、「限界を受け入れる」「喪失や嘆きに隠された宝を見出す」「弱さを認め、無防備になる」といった、避けたくなるような内面の課題に向き合うことが強調される。これは情報が氾濫し、人の心が置き去りにされがちな現代において、もっとも求められる「魂の修練」と言えるだろう。


 過去3冊がすでに品切れとなっている事実が、このシリーズの継続的な影響力を物語っている。神に形づくられた情緒が健康に整えられるとき、それは家族を、教会を、地域を、さらには社会全体を変える力となる。スキャゼロの導く霊的成熟への旅路は、現代の教会にとってまさに不可欠な道標である。
(評・西原智彦=金剛バプテスト・キリスト教会牧師)