5月3日から5日まで、東京・台東区東上野の上野の森キリスト教会で開かれた「ジェームズ・フーストン2016上野の森キリスト教会セミナー」(同事務局主催)で、リージェントカレッジ初代学長のジェームズ・フーストン氏が「キリストの霊性の継承〜クリスチャンの関係性を見直す〜」をテーマに6回の講義を行った。今回は3日目の講演から。
◇ ◆ ◇
幼少期から学者の道を志していた頃、常に自分と他人とを比較していたというフーストン氏は、自分たちが霊的成長する時に必要なことは、「人を羨む、嫉妬することを止めることだ」と語る。「他者と自分を比べていると、恐れの心が満ちてくる。それはまさにキリストにある私たちの人生の毒になる」
そして、最後の講演では「日本の四季に沿って人生を歩んでいくか、キリストと共に心の成熟、道徳的な発達、成長の段階を経ていくか」というタイトルで講義をした。「両者には本当に大きな差異がある。私たちはみな人間という存在であり、人間性を所有していく成長過程において、一つのサイクルを経てくる。シェークスピアによれば、人生には7つの段階があるという。ヨハネは青年、熟年、老人という3つの大きな人生のステージがあると語る。こうした人生の段階を経ていく過程を、旅という表現で使っていく」
フーストン氏は、旅には旅行者としての旅、巡礼者としての旅の2種類があり、人々はどちらを旅するか選ぶと言う。「巨匠のダビンチは旅行者として旅をすることを選んだ。彼は好奇心に基づいて生きていき、海の航行、天文、数学などで危機を回避する能力を発揮する。だが、中世のクリスチャンたちは、好奇心の邪悪性、すなわち本当に価値のあるものから逸れ、些細な重要でないものに思いを集中してしまう弊害があることに気づいた」

「ポストモダン後の時代を生きる子どもらの生き方も、旅行者としての生き方だ」と指摘する。「私の孫たちはよく旅をするが、世界の果てまで行って珍しいものを食べるのもいとわない彼らを見て驚く。
旅行者としての歩みの中では、不道徳に陥る危険性が多々ある。行く先々でいろんな問題を起こしては飛行機に乗って移動する人たちだ。非常に無責任になる存在だ。日本であれカナダであれ、多くの若者は流動的なものの中に置かれ、アイデンティティーも不安定なものになっていく」。一方、巡礼者は、「自分の家から始まり、2つの地域の間を生きていく。自分の家を旅立ち、新しい故郷を目指して歩み始める。そして自分の住んでいるところよりもっと良い所へ進んでいく」と語る。
「四季に従って成熟していく過程を水平的、宗教を信じて巡礼的に歩む歩みを垂直的」とも表現する。「私たちは、どれくらい夏を、冬を過ごしてきたか、ということで、自分の人生を水平的に確認する。だが宗教者はどの宗教を信ずる者であれ巡礼者だ。宗教者は各自、自分の意識の中で成長したいと考えている。レリジョン(宗教)には〝結び合わせる〟という意味もある。日本は中国の流れ、西欧の流れとも異なる。日本は温暖湿潤気候帯に属し、四季がはっきりとし、気候が明確に変わっていく。日本人の心理においては、自然を除いて何かを愛でたり、いたわったりすることは、恐らく考えられないことだろう」
クリスマスの光景についても触れた。「洋の東西を問わず、クリスマスは商業化してきている。イギリスはもともとキリスト教だったが、クリスマスは世俗化し、キリストが思い浮かばない存在になってしまった。クリスマスシーズンでなく、ホリデーシーズンになってしまった。1960年にはこうした商業化したクリスマスに対し批判的に謳った詩がある。クリスマスプレゼントを待ち望む子どもたちには喜びが溢れている。クリスマスの朝には、親から子どもにプレゼントが渡される。こうした商業的なクリスマスの情景を詩の中で描くけれども、これは本当なのか。否、これは本当のクリスマスとは無関係だと彼は言う。すべての中で最もすばらしい物語は、星々や海を創られた方が、この地上に赤子となって生まれた物語なのだ、と」
(つづく)【中田 朗】
