辺野古米軍基地建設予定地の海で、抗議活動をする思い、意義とは何か。金井創さん(日本基督教団佐敷教会牧師)にその思いと沖縄の課題を聞く2回目。県内外の市民による基地建設抗議活動は2007年からカヌーや飛び込みなどによる水上での活動が展開されていた。13年に仲井眞弘多知事(当時)が辺野古埋め立てを承認すると、反対運動は拡大。
14年に金井さんらは沖縄キリスト教平和研究所(現沖縄キリスト教平和総合研究所)を通して募金し、船を購入した。米軍統治下で民衆と抵抗運動をした、政治家瀬長亀次郎の言葉にちなみ、「不屈」と名づけた。
「名前の使用は『不屈館 瀬長亀次郎と民衆資料』の館長で瀬長の娘さんにも許可をいただいた。出過ぎたことをしたのではないかとも思ったが、現場では、多くの人に乗りたいと言っていただいた。沖縄にとって瀬長の『不屈』が、どれだけ重いものか、思い知らされた」と金井さんは言う。【高橋良知】

写真=船「不屈」の支援者に感謝の意を表した
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—瀬長についてのドキュメンタリーで、金井さんが出演され、「かつては抗議活動に反感を持っていた」という船長と和やかに話す姿が印象的です。
彼との出会いは大きいですね。10年前から海で知り合っていたのですが、仲間になるということはありませんでした。抗議活動をする人たちを、「自分たちが生きている海を騒がす人たち」と思っていたそうです。ところが、実際に14年に政府が本格的に埋め立ての工事を始めるとなると、「うるさいと思っていた人たちが頑張っていたおかげで、今まで工事が止まっていたんだ」との思いにいたったとのこと。抗議活動は地元だけでなく、県内外の他地域からも多いのですが、「そういう人が種を植え、芽を出させて、成長させてくれた。最後に花を咲かすのは地元のおれたちだ」と話してくれました。地元の彼らが中心になって花を咲かすための準備をさせてもらっていたのだと、私たちの活動の新たな意義づけに気づかされました。
—活動で、様々な人とかかわるときに大切にしていることがありますか。
現場においては、クリスチャン、牧師だからということではなく、対等な個人、仲間として皆とかかわります。しかし牧師として期待をしてくれていることを逆に教えられることもありました。一緒に抗議していた船長が亡くなったとき、海上行動メンバーたちで追悼会を海でしたのですが、「お祈りしてくれ」と。「牧師の祈りでいいんですか」と言うと、「そうだ」と。現場に牧師がいることの意味を仲間たちが教えてくれた。そんな思いがしています。
活動自体がイエス様が示された非暴力の働き。目の前の具体的な基地建設を止めることが最終目的ではなく、活動自体が平和をつくる働きにならなければならないと思っています。一緒に活動する仲間に対して、軍隊組織のように、上から命令したり、パワハラが横行したりしては本当の平和つくりではありません。
—向かい合う人たちに対してはどうですか。
向かい合う相手、海上保安庁だったり、工事の作業員に対しても、人間としてかかわっていきたい。彼らも職務でやっているのですから。抗議活動では、ある規制ラインを超えると海上保安庁の職員が近づいて、船に乗り込んできます。抵抗する船長もいますが、私はむしろチャンスだと思っています。彼らは1人、2人で乗り込みますから、そのときこそ個人的な話ができるとき。ちらっと本音を語ってくれることもあります。いわゆる反対派とか、団体でひとくくりにするのではなく、平和、命を守りたいと思っている一人なのだと、分かってほしいと願っています。
あるときこんな会話をしました。「ドキュメンタリーで海上保安庁の人々が大変な訓練を通って活動している。人命救助の働きについては本当に心から尊敬しています」と告げました。海上保安庁の人は、自分たちが人命救助のプロとしての意識を持っていることを話し、「もし何か危険があればいつでも必ず助けにいく。そのときは命をかけます」と言ってくれました。立場としては規制する側、される側ですが、海上保安庁の人も、本来の職業倫理として人のいのちを助けることを相手が誰であれ、命がけでする思いがある。「あなたも命を守りたい、私も命を守っていきたい。目的は一緒ですね」と話しました。そんな心が触れ合うことは、近くで一対一になって生まれます。彼らも見張られている立場、自分の判断では動けません。その人一人ひとりのあり方が大事にされる場となっていきたいです。(つづく)
