
近年、瀬長亀次郎に再び注目が集まっている。2017年にはTBSドキュメンター映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(佐古忠彦監督)が全国公開された。瀬長は米軍統治時代の沖縄の政治家。琉球政府立法院議員、那覇市長、返還時期以降は衆議院議員を長く務めた。同作品では戦後の沖縄社会や瀬長の歩みだけではなく、現代の沖縄の課題をも映し出す。そのテレビドキュメンタリー版には、辺野古基地建設予定地の海で、船長仲間と談笑する金井創さん(日本基督教団佐敷教会牧師)の姿が映っている。
金井さんは、明治学院チャプレンを経て、2006年から沖縄県南城市の佐敷教会を牧会する。チャプレン時代から研修旅行で学生を引率したほか、毎年数回沖縄に来ていた。「基地建設抗議運動は牧師だけが突出して活動しているのではなく、当時すでに十数年前から続いていた教会の働きでした。着任して4日後には、信徒が辺野古基地建設現場に連れていってくださった。教会が祈りをもって送り出す働き、という大前提があります」
金井さんに、関わる活動や沖縄の課題を聞いてみた。【高橋良知】
−教会、牧師が基地建設反対の働きをするのはなぜでしょうか。
見ようによっては、教会、牧師が政治的なことに関わっていると見えるかもしれません。しかし私としては、信仰と離れた政治的な活動をしているという意識はありません。聖書を読み、聖書に聴いた者として促され、押し出されて活動している思い。聖書の中では、この世の中で踏みつけられ、小さくされている人たちに目を向けます。そのような方々とに一緒に立ちたいと思っています。
−辺野古の問題とは何でしょか。
辺野古の事柄は、私たちの生活そのものに関わる、いのちの問題だと思っています。海の埋め立ては、自然のいのちを殺して作られます。それも生活に必要なものでも、レジャー施設でもなく、人の命を奪う軍事施設がつくられようとしています。 戦後、米軍基地は、実際に他国への出撃の拠点にもなりました。沖縄は、犠牲者でもあるが、加害者の立場にもいや応なく立たされました。今、新たな基地が作られるときに、黙っているのは無言の賛同になります。だからノーの声をあげ続けたい。神様につくられたいのちが、生かされる沖縄、日本でありたいと思います。
反米というわけではありません。確かに米軍基地が関わる、事故犯罪があります。しかし米兵に対して汚い言葉を浴びせることには反対です。兵士もある意味犠牲者なのです。辺野古の建設現場でも、若い米兵と挨拶を交わすことがありますが、本当に彼らは好青年です。そんな彼らが戦地に行き、人を殺してしまう。生きて戦地から帰っても心が破壊され、元の市民生活に戻れなくなる事例もたくさんあります。軍事施設が人のいのち、兵士のいのち、心、生活を破壊します。そういうものを一つ一つ無くしていかないといけないと思っています。
—教会が社会的な問題に関わるときに何が大切でしょうか。
キリスト者であるならば、神様が与えたいのちを大事にしていく。その働きの一環として位置づけています。福音派、社会派と色分けされますが、そういう分け方自体意味はありません。聖書の言葉を神の言葉として生きていくなら、自分の生きる現実の中で、その言葉で生きて証ししていきます。私にとって具体的な課題は基地問題でした。人によってはホームレス支援、障害者福祉など様々な現場があります。これは良く、これはだめではなく、イエスの福音に生きる上で、一人ひとり具体的に違った場があることを知り、互いに神の言葉に生きていることを喜びあっていければと思っているんですね。
基地だけがクローズアップされがちですが、沖縄の貧困問題も深刻です。教会の近くにキリスト教児童養護施設があり、ずっと関わりをもっています。戦災孤児のために始まった施設ですが、今いる子は親がいる子ばかりです。親によるネグレクト、虐待があり、その背景は貧困です。教会学校の分校として毎週日曜、信徒と私で交互に行き、礼拝し、クリスマス、イースターには、子どもたちを教会に招待します。ただ、いろんな問題の根っこに共通したものが横たわります。沖縄は日本の中で、自立した経済発展ができない仕組みの中にいました。前知事が、貧困の解消に努力をし、4年で改善がみられていた途上でした。 (つづく)
