内村鑑三は「勝つ戦争もまた刑罰」と語った 教会の土台を〝共に〟考える⑥

戦後80年特別連載

戦後80年となる。世代交代が進み、戦中、揺さぶられた教会の歴史を考える機会が減っているかもしれない。本連載では、日本キリスト教史を専門とする山口氏が戦中の教会を考える上での重要テーマを解説し、次世代のクリスチャンが応答する。連載第六回目(毎月1回掲載します)

前回

国体無謬の信仰で大東亜戦争は「聖戦」とされた 連載 教会の土台を〝共に〟考える⑤ 
戦後80年特別連載 教会の土台を〝共に〟考える 戦後80年となる。世代交代が進み、戦中、揺さぶられた教会の歴史を考える機会が減っているかもしれない。本連載では、…
xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com

 ⑥非戦論と平和への努力

日本に非戦思想を紹介したのはフレンド派(クェーカー)が最初である。1884年にJ・コサンドが来日し、基督友会(普連土教会)が設立された。89年には日本平和会が発足し、91年には『聖書平和之教』、さらに翌年には機関誌『平和』が発行される。『日本普連土教会教旨及び同規則草案』の「平和」の項は〈愛敵の教〉を根拠に戦争絶対反対を主張する。戦争は主のみこころに反するものであり、特別の事情があって必要とされても、主の教を奉ずる一個人の節義を挫くことはできないと述べていた。しかし、フレンド派の非戦論は日清戦争に際してあっけなく瓦解する。立憲国家となった日本は挙げてこの戦争の〈義〉を信じ、内村鑑三は英文論説で「日清戦争の義」を主張した、、、、、

「二つのJ」(JesusとJapan)の問いかけ
応答 本間羊一 (新発田キリスト教会・村上福音キリスト教会 牧師)

山口先生は1930年代頃から現れた「日本的キリスト教」の研究もされている。そこから日本の教会が克服すべき課題の核心が学べると共に、福音の「文脈化」の課題にも示唆が得られると思い、数年前、山口先生の東京基督教大学の講義をオンライン履修し、、、、、

(次ページで全文)