(前回つづき)

写真=船「不屈」で辺野古の海を行く
—基地問題の難しさを感じますか。
私たちが向き合う相手は巨大な象のような存在です。お金、人を大量に投入して基地建設を進めていきます。それに対して私たちは蟻のような存在。現場での力だけで、基地建設を食い止められるとはさすがに思っていません。しかし、辺野古に居続けることで、一人でも多くの人に目を向けてもらい、それぞれが声を上げて大きな輪になり、世論全体を動かして初めて止まるのではないかと思います。東京で基地問題について知っている人はわずかですし、県内でも目を向ける人は多いとは言えません。しかし現場での活動の積み重ねがあるから、今のようなつながりがあります。現場に人がいなければ全く広がらなかったはずです。
—そのような働きを支えるものは何でしょうか。
イエス・キリストの十字架は救いの業で、神の計画の中にあったものです。一方ローマ帝国やユダヤの宗教権力など、時の権力に押しつぶされた面もあります。イエスは負け続けた歩みをし、その極みが十字架刑。しかし、イエスは逃げずにその歩みを全うした。復活によって、神様が、その歩みを「良し」とされた。そう思った時、負け続ける歩みも無意味ではないと慰められました。その他にも、活動を通して、聖書の言葉に新しい光を当てられて、生きていく支えになっています。
—基地問題に取り組む人に対して、批判の声があるかと思いますが、それらは大きな声になっているのでしょうか。
決して大きくはないと思いますが、増えてはいると思います。昨年12月に米軍普天間基地そばの緑ヶ丘保育園で「落下物」事件があったときに現場に行き、インターネットで発信しましたが、米軍が軍用機からの落下を認めなかったこともあり、バッシングを受けました。クリスチャンからも「日本の教会にとって迷惑」「全く証しにならない」などと言われました。一方で、いろんなデマを検証する団体があり、反論記事を書いてくれました。私自身が反論するよりも、客観的な立場で検証してもらうことで、バッシングが収まってきたところがあります。
—世代によっても基地問題の受け止めが違うと聞きます。
沖縄戦の記憶を受け継いだすぐ下の世代までは、基地問題は、生活にとって抜き差しならない問題になっています。しかし、30代以下は、生まれたら米軍基地があるのは当たり前で、改めて基地に向き合うことはありません。基地問題が、様々な判断の基準になっていないのです。沖縄の若い人にとって米軍基地はアメリカ文化を満喫できる場となり、基地本来の、戦争、軍事の問題が、見事に遮断されています。 多くの若者は基地に親近感をもっていて、「そんなんじゃだめ」と言っただけですまない課題を抱えています。若い人でも問題意識を持つ人はいますが、少数派です。次世代にどう伝えるかが課題です。辺野古基地建設予定地がある名護市の市長選(2月)では、かつて絶大な支持を受けていた基地建設反対の現職が落選しました。対立候補の支持層に30代以下が多くいました。彼らは基地問題で投票しない。基地のことを訴えても若者たちに何も届かなかった。若い人たちにとって就職、雇用、給与、貧困の方が、よほど日々の深刻な問題として響くのです。今回の県知事選では、デマも流されました。ちょっと立ち止まって考えていかないといけません。
—今後の沖縄について注目してもらいたいことはありますか。
県外の方たちから、「沖縄はかわいそう。だから助けてあげたい」という上から目線の善意を感じることがあります。むしろ本土の人は沖縄を見習ってつながってほしい。日本全体がアメリカの属国のような状況の中で、その状況が最も深刻な沖縄が頑張っています。引き裂かれ得るような状況に翻弄され、時に負けながら諦めないでいる人たちがいる。選挙に勝ったからではなく、負けても、本当の自治、民主主義をもがき、苦闘している人たちを見てほしいと思います。米軍支配下で抵抗した政治家の瀬長亀次郞、阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)、また最近の翁長雄志さんなど、心から尊敬できる人たちが次々に出てくる。こんな場所は日本にそうそうないのではないでしょうか。そういう人たちの生き方が、今生きている私たちが、大きな課題に直面するとき、支えになっています。自分の場を一生懸命歩み、先達の歩みを大事にして受け継いでいきたいと思います。
ーありがとうございました。
