恥じ受けても愛しますか?

<牧師館のキッチンテーブル><安食道子><恥じ受けても愛しますか?>

 ある時、私は祈りに覚えてきたAさんと会えました。間もなくこの地を離れると聞いていましたので、最後のチャンスかもしれないという思いが、私を焦らせました。「むこうに行っても、教会にぜひ行って下さいね」と語りかけました。すると、それまでの世間話では終始笑顔を絶やさなかったAさんが、表情をこわばらせて言いました。「クリスチャンの人たちって、みんな熱心に誘うのよね。でもね、あんたたちは天国に行けて、私のようなのは地獄落ちだから可哀想ねってあわれんでるんでしょ。キリスト教のそんなところが大嫌いよ。自分たちだけが偉いと思っているんだから…」
 次々とAさんの口をついて出てくる言葉に、私は黙り続けました。言いたい事、言わねばならぬ事はあったはずですが、何かが私の口を遮りました。彼女の激しい語調の背後に、かつてクリスチャンから受けた古傷がうずいているように思ったからです。
 意気消沈して、その夜イエス様の前に出た私は、多くの人の前で自分は恥じをかいたと訴えました。自尊心も傷ついたと申し上げました。もうこんなお役目はごめん被りたいと御託を並べました。
 その時に、イエス様に示されました。あの十字架の上で晒(さら)しものにされ、あらゆる恥じの中でも最たる恥を受けて下さった主の御姿を示されました。「あなたの小さな恥も、傷ついた自尊心も、私は既に経験しました。私はそれでもAさんを愛しますが、あなたはどうですか?」と主は語って下さったように思いました。
 (日本キリスト宣教団峰町キリスト教会牧師夫人)=第2・4週掲載=