
私が高座教会に仕え始めて7年ほど経(た)った1994年、長年担任を務めてこられた恩師・生島陸伸牧師が定年を迎え、退任されました。教会にとっては一つの危機だったと思います。当時、長老会には私を含め3人の牧師と18人の長老がいましたが、すぐに「これからの牧会をどうしていくのか」「そもそも牧会とは何か」を問い直す作業を始めました。
その際、長老たちと共に学んだのが、D・ボンヘッファーの『説教と牧会』でした。そこには「牧会とは、主日の礼拝で語られた御言葉を個々に適用する働きである」と記されていました。さらに、カンバーランド長老教会の「教会憲法」でも、牧師を「御言葉と聖礼典に仕える者」と定義しています。生島牧師の退任を契機に、高座教会が目指す牧会とは、聖霊の助けの中で、牧師が取り次ぐ御言葉を教会員一人ひとりが自分のこととして受けとめられるよう導き、仕える働きであると考えるようになりました。
しかし今振り返ると、どれほど整った牧会の定義があっても、それが実際の牧会にどう結びつくかは別問題であるように思います・・・
(次ページ[下部ボタン]で、牧会の実際、過去から学ぶときの注意点、など)
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