演劇の「共有知」を使う 「不自由」とコモンズ(共有地[知])への応答② 公共、芸術を考える

 9月に開催予定だった「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」が中止になった。表向きは新型コロナウイルス感染予防を理由としているが、実際は総監督辞任に至る、表現の自由に関わる問題が背景にある。そこには「あいちトリエンナーレ2019」(以下あいトリ19)の出品作家も関わっていた。公と芸術の関係の議論はまだ熟していない。

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写真=芸術公社の発行物。社会を表現する上で刺激的だ。一部資料はサイトで閲覧可能

政治批判こえた社会との関わり方

 本連載で紹介しているシアターコモンズの名前には、演劇(シアター)の「共有」(コモンズ)を活用し、社会の「共有」(コモンズ)を生み出すという意味が込められている。いわゆる劇場の中だけではなく、日常生活や都市空間の中で「演劇をつかう」のだ。演劇公演のほか、対話型イベント、レクチャーパフォーマンス、ワークショップを実施してきた。

 そもそもシアターコモンズと、その母体となるNPO法人芸術公社(2014年設立)は、あいトリ19に通じる問題意識を持ち続けてきた。芸術公社は、「芸術が今日の時代と社会に応答し、未来に向けて新たな公共理念や社会モデルを提示しうるものであるという認識」で出発した。芸術運営、研究、評論、広報などに関わる専門家らが対等な立場で集まった集団(コレクティブ)だ。

 芸術のための芸術にとどまらずに、歴史を思考し、現代の社会に応答し、アジアを中心に世界とネットワークする広がりも持っている。そこには美術界の内向き、縦割りを打破する意識があった。メンバーは、国際的に活躍する専門家たちだが、西洋で発達した芸術を翻訳するだけでは足りないアジアの現実にも直面してきた。それは植民地支配・被支配の歴史、アジアにおける民主主義の限界といったものだ。

 日本で言えば原発事故後から安保法案成立にいたる社会運動、アジアで言えば、台湾のひまわり学生運動、香港の雨傘運動などの衝突といった時代背景もあった。このころ、規制や検閲といった問題が目立ち始めた。芸術公社も関わり、『あなたは自主規制の名のもとに検閲を内面化しますか』(torch press、2016)を出版している。

 行政とも協働する芸術公社だが、芸術祭、オリンピックについても当初から批判的にかかわってきた。16年には社会学者、建築家、東京都の文化担当者などを交えたシンポジウム「都市と祝祭」を開催。芸術公社代表の相馬千秋氏は、「単に盛り上がりとしての祝祭でなく、本来祭には超越との対話、死者の鎮魂があった」と述べ、演劇的想像力の重要性を指摘していた。同シンポでは、国際芸術祭が地域振興の名のもとに全国で乱立する問題にも触れていた。同時期に『地域アート 美学/制度/日本』(藤田直哉編、堀之内出版、2016)が出版され、シアターコモンズやあいとり19にかかわる作家も登場した。

 単に批判だけではない。同シンポでは、「政策や解決策の提案ではない。政治が扱えない時間や過去との付き合い方」を主張していた。芸術公社設立記念イベント(15年)でも、「単 な る 問題の物語化でも、告発でもない、その先を提示できる方法をアーティスト とともに発明していきたい」と述べていた。

 17年に中軸事業としてシアターコモンズを発足させ、年一回開催している。18年開催概要では、「トランプ劇場」など、世界を分断する状況を背景に、「大げさな台詞や大きな身振りが、複雑な世界を単純化し、二分化するのだとしたら、私たちはむしろ、複雑な世界を複雑なまま見るために、誰もが着脱できる小さな身振りをそれぞれの身体や思考にまとっていくことが必要なのではないか」と述べた。19年は改めてオリンピックを意識した演目となった(シンポジウムでのルターの教育劇の言及は興味深い)。

 相馬氏は、あいトリ19で、演劇にかかわる部門の担当になったが、「表現の自由」の問題に直面し、

「すでにあった分断、差別、左右のイデオロギー的な対立構造が顕在化した。渦中にいて感じたことは、非常事態になったときに、あらゆる人が正義を語り出したこと。複雑なことを複雑なまま提示するのがアートだが、正義の衝突の中で、政治の言葉をなぞるだけになっていなかったか。本来声を発することのできなかった人の声を聞くことができたか」という心境になったという。

 20年のシアターコモンズでは、このような課題意識から、芸術と社会の関係を改めて問い直し、「聞くことのポリティクス」がテーマとなった。つづく)【高橋良知