
寄稿・水草修治
日本同盟基督教団
苫小牧福音教会牧師、
北海道聖書学院教師
序 教会と戦争の問題は、教会と国家との関係と深くかかわっている。なぜなら、神が国家に託した権力の本質は「剣」をもって秩序を維持することだからである(ローマ13・4)。今、この国家の「剣」がAIによって大きく変貌しつつある。
目次
1.古代教会前半―国家の弾圧下にあった時代
ローマ帝国の軍人には、平時の警察任務と、戦時の戦闘任務があった。福音書と使徒の働きの百人隊長たちは軍人であること自体は罪とされていない(マタイ8・8~10、使徒10章)。3世紀まで教会は帝国の弾圧下にあった。2世紀後半以降の文書に兵役を拒否し処刑されたキリスト者たちが現れるが、主な理由は戦闘拒否よりも、皇帝礼拝を伴う宣誓拒否であったように見える。だが少なくともこの時代の教会は、国家の戦争を積極的に正当化していなかった。
2.古代教会後半―公認・国教の時代―「義戦」―
313年のミラノ勅令でキリスト教が公認されると状況は一変する。翌314年アルル教会会議では、軍務放棄者を戒規の対象とするという決議がなされた。公認され、さらに392年に国教化された教会は、国家体制の維持に協力せざるをえない立場になった。
アウグスティヌスは、国家の正当な武力行使の条件を考察して「義戦(just war)」の条件を論じる。その軸は、主の愛敵の教え(マタイ5・44)、剣を取る者は剣で滅びるという教え(マタイ26・52)、個人の復讐を禁じ、神は悪に対する怒りの行使のために国家に剣を託しているという教え(ローマ12・17~19、同13・1~4)である。『ファウストゥス駁論』XXII 74、75、書簡138、189で挙げられた「義戦」の諸条件を略述すれば、個人ではなく公権力によること、平和を目的とし支配欲を目的としないこと、敵を愛し、敵に対しても信義を守り、敗者や捕虜には憐(あわ)れみを示すことなどである。アウグスティヌスにとって戦争は悲しむべき必要悪であった。だが現実に、これらの条件にかなう戦争があるだろうか・・・
(次ページ[下部ログインボタンから]で、3.中世の十字軍―「聖戦」、4.宗教改革時代、5.近代、6.AI時代)
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