東北出身でもなければ、母教会はルーテル同胞教団でもない。日本福音キリスト教会連合所属だった木津健博さんが2年半前、牧師として遣わされたのは、馴染みのない酒田ルーテル同胞教会だった。「神学校を通して招聘(しょうへい)の声がかかった時、酒田と聞いて『どこ?』『ルーテル同胞教団? はじめて聞いた』と。東北というと閉鎖的なイメージがあったのですが、違いました」。
酒田市は日本海側に面した土地柄、かつて船の行き来が盛んだった商売人の町で、人々は開放的。赴任された木津さん家族を、信徒達は明るく迎えた。牧師不足による他教団からの牧師の招聘は、教会、そして教団の歴史で初のことだった。
同教会の始まりは、同教団の始まりでもある。終戦直後、母体であるアメリカのルーテル同胞教会のモーリス・A・ワーダル宣教師が「日本で最も宣教されていない地はどこですか?」と祈り求め、宣教の第一歩を踏んだのが、この地酒田だった。木津さんは教団の姉妹教会の集まりに参加するたび、その歴史を実感する。「信徒や牧師から聞くのは『両親が酒田だ』とか、『牧師は元々酒田にいて』とか。何らかの形で酒田につながっているんです」
教団の歴史を背負っているぶん、信徒達は、教団の〝1号店〟としての意識も強い。無牧の時期も信徒で教会を支え、約50人いる信徒の多くが、何十年も一緒に信仰生活を歩んできた。「牧師より先に『今日あの人来てなかったね。連絡しよう』と役員が中心に行って報告してくださる」。
一方で、長年共に歩んだ関係だからこそ、時に信徒は「あの人は、昔からこうだから」と聖書的な判断を鈍らせてしまう。木津さんが教会形成する上で大切にすることは、「教会」であれ「交わり」であれ、聖書のいうところに立ち返ることだ。
「〝酒田市にあるキリスト教的な互助組織〟ではなく、キリストの体である教会を目指したい。長い歴史の中でいつのまにか決まりになっていることもある。私は色んな意味で外部から来たので、今直面している問題、見聞きしている現状、誰かの発言が、土地柄や教団、どこに根ざしたものから来ているのかを慎重に見極めている」。
教団・教派以上に、神様の思いを第一にできるように。同教会へ遣わされる時も、「キリストの体である教会を目指したい」という思いが背中を押した。しかし、一方的に切り捨てるだけでは溝を生むだけだ。だからこそ、常に役員会との、思っていること・目指していることの率直な意見交換は欠かさない。
「信徒が牧会方針について知りたくなった時に、同じ酒田で育ち、一緒に信仰生活をしてきた役員が『先生はこういう意図でやっているし、言っているよ。私達は理解しているよ』と伝えてくださる」。前例のない道のりでも、信徒相互牧会で歩むことは変わらない。
8月に、OMF(国際的な超教派の宣教団体。東アジアへの宣教を使命とする)宣教師のローナ・ファーガソンさんを協力宣教師として迎えることも、多くの祈りと話し合いが積まれた結果だ。木津さんの母教会がOMF日本支部(千葉県市川市)の隣にあり、宣教師との交わりが深かったことから、「長期的にOMFの宣教師が酒田に住み、宣教協力ができたら」という思いは赴任当時からあった。
ただ、、、
(次ページで、超教派の福音的な国際団体と宣教協力など)
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