相模原障害者施設殺傷事件とヒトラーの安楽死命令 寄稿・西南学院大学名誉教授 河島幸夫

 相模原市の「津久井やまゆり園」で多くの障害者を殺傷したとして逮捕された元職員の植松聖容疑者は、犯行動機に「ヒトラーの思想が降りてきた」と口走っていたそうです。しかし彼自身と同じような精神病者たちもナチスの時代にはヒトラーの思想によって殺されていたことを、彼は知っていたでしょうか。
 ヒトラーは著書『わが闘争』で、「健全な精神は健全な肉体にのみ宿りうる」から「国家は病人や遺伝病者、負担となる者を生殖不可と宣告し、それを実行すべきである」と主張していました。それを法制化した「遺伝病子孫予防法」(ナチス断種法)により、約35万の障害者・精神病者が不妊手術や中絶の犠牲になりました。第二次大戦を始めた年にヒトラーは「不治と診断された者に恩恵死を与える権限を親衛隊幹部ブーラーと医師ブラントに委任する」という秘密の安楽死命令を発しました。その結果、約20万の障害者・精神病者がガスなどで殺害されました。
 これに対してプロテスタントの福祉事業体=内国伝道の副議長ブラウネ牧師はヒトラーに建白書を提出し、「健康な者が病人や弱者を引き受けることこそ真の民族共同体を意味するものではないでしょうか」と書いて、「生きる価値のない生命の抹殺」の中止を訴えました。カトリック教会のガレーン司教は連続説教で「非生産的人間」や「不治の病人」の安楽死措置を非難し、それを殺人罪として警察に告発しています。
内国伝道の障害者施設ベーテルは施設長ボーデルシュヴィング牧師を中心に安楽死命令に応じませんでした。ブラント医師がベーテルを視察し、「交流能力のない者は消えてもらわねばなりません」と迫った時、ボーデルシュヴィング牧師は「先生、交流能力には2つの側面があります。重要なのは、私自身の方もまた相手に対して交流能力があるかどうかという側面です。この点で私はこれまでに交流能力のない人間に出会ったことはありません」と反論しています。 結局ベーテルは大部分の入所者を守ることに成功しましたが、ユダヤ人患者7人とドイツ人患者95人が別の病院などへの転院命令を受けてのちに殺害されていたことが、戦後に判明しました。また入所者の約3分の1が不妊手術を施されました。当時のベーテルの指導者たちもまた、不妊手術が障害者の増加を防ぐ医療措置であると思い込んでいたのです(拙著『戦争と教会―ナチズムとキリスト教』いのちのことば社)。
 こうした蛮行の基礎をなす優生思想はヒトラーの専売品ではありません。適者生存・自然淘汰を中心とする進化論を唱えたダーウィンの従弟ゴルトンは、すぐれた人間をふやし、劣った人間をへらす研究として優生学を提唱しました。劣った人間をへらす具体策として採用されたのが不妊手術=断種です。アメリカで最初の断種法が制定されると、北欧、スイス、ナチス・ドイツへと広がり、日本でも戦前に国民優生法、戦後に「不良な子孫の出生を防止する」ためとして優生保護法が制定され、1996年までに知的障害や精神病の約1万7千人が断種の犠牲となりました。ハンセン病患者にも断種や中絶が強制されました。クリスチャンの社会運動家・安部磯雄や賀川豊彦も優生思想を共有しています。
 生産性や「一億総活躍」の強調、精神的・肉体的優劣が重視される今日の雰囲気、また近年、出生前診断でダウン症などの陽性判定を受けた妊婦の多くが中絶を選んでいるという現実を見れば、私たち自身もまた優生思想から自由であるとは言えないでしょう。目の見えない人を前にし、その原因を尋ねられたイエスは「神のみわざが現れるため」と答えました(ヨハネ9・3)。私たち自身の心にも潜んでいる優生思想を反省し、それを克服するという困難な課題を、私たち自身もまた負っているのではないでしょうか。