<もう一つの甲山事件><キリスト故に真実貫き 本当に幸せでしたか?><無罪確定の荒木元園長に聞く>
甲山事件で偽証罪に問われ、十月二十二日に大阪高裁で無罪が確定した荒木潔さん=日基教団・御影教会員=。亡くなった園児の両親のことが一番心にかかるという。「当時、私は甲山学園の園長だったのですから、園児の死という負い目は一生消えません」
両親の心の癒しを願う。「事件当時、新聞記者などで『どう考えても山田保母がクロ』とご両親に話した人もある。山田さんが殺したと信じ続け、無罪判決が出ても受け入れられない。我が子を亡くした悲しみや怒りをぶつけるところがないですよ。検察が非を認めてくれれば、本当の癒しへの道と思うのですが」
事故や犯罪被害者の心のケアに関心がある。園長の職を失って以降、ボランティアによる電話相談の事務局長の働きを長く務めた。
他の冤罪事件に心が向くという。「兵庫教区・部落解放委員会主催の狭山事件救援集会で、『甲山は無罪が出たが狭山事件ではその動きにならない。国家による差別意識を感じる』という発言があった。私も関心を持ち取り組んでいかなければ、と思いました」
冤罪の温床になりがちな報道のあり方に疑問を感じる。警察・検察発表に一方的に寄りかかり、あおる報道に心が痛むという。一方、甲山事件を通して改善された点もあると感じる。「昔なら容疑者は呼び捨て。住所や家族構成まで事細かに書かれたものです」
それでも、マスコミがいったん報道したら、それが間違いでも信じ込まれてしまう構図は変わらない。松本サリン事件のように。「マスコミは責任と使命の重さを自覚してほしい」
――しんどいところに置かれ続けたわけですが、逃れる方法はなかったのですか? たとえば、検察官の誘導に乗り、国賠訴訟の証言を翻したとしたら。
「もし、そういううそをついたら、生涯負い目を負うことになる。そんな人生は嫌です。自己保全のためにそんなことをするのは」
そうしないで良かったという、満足感や納得感に近い気持ちが確かにあるという。「クリスチャンがうそをついてどうします」
「私のような立場に置かれたとき、みんなが勇気を持って証言できる。そのとき警察や検察に、偽証だなんて言われない社会。マスコミが無自覚な報道をしたり、それに大衆が踊らされない社会。そんな成熟した社会になってほしい」
子供の結婚のことで一番悩んだ。「子供たちに、『相手さんのご両親にも、お父さんが刑事被告人だということをちゃんと話したんか?』と聞きました。いつどんな風にご迷惑をおかけするか分からないですから。幸い、向こうのご両親も信頼して下さいました」
家族の信頼と支えを感謝している。「事件を通して絆が強くなりました。子供たちは、『お父ちゃんはうそをついていない』と信じ続けてくれた。そのようにまとめてくれたのは家内でしょうね」。その夫人は昨年亡くなり、無罪判決を聞かせることができなかったのが心残りという。また、御影教会の支え、支援会の支えに深く感謝している。
担当検察官で出世した人もいる。医者なら誤診で免許を取り上げられることもあるところ、それが出世の手段にすらなることに義憤を感じるという。「それで幸せでしょうか? 個人的な恨みは薄れましたが」
これからどうするか。「もう六十八歳ですから、周囲におもねず言いたいことを言っていきたい。ただし、宮沢賢治の言う『苦にもされず』というような範囲内でね。それに正しい生き方をしたい」
「正しい」とはどういう意味なのか? 「うーん。『自分はこれだけ正しく生きてきた。正しいことを言ってきた』と声高に言うのとは逆の生き方です」
甲山事件とは?
七四年、兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」(現在廃園)で園児二人が浄化槽から水死体で見つかった。警察は当時の保母、山田悦子さんを殺人容疑で逮捕。
実質的な直接証拠もない見込み逮捕だった。警察署内の留置所(代用監獄)に留置され、連日十時間に及ぶ取り調べは二十三日間に及んだ。
一か月前の行動を分刻みで説明させられ、「思い出せないのは無意識にやったからだ」と記憶を混乱させられ、「ポリグラフがクロと出た」「父親も同僚もお前を疑っている」と、虚実織り交ぜて自白を迫られたという。絶望した山田さんは、「私がやりました。あとは明日話します」と言い、留置場の房で自殺を図りさえした。
結局、証拠不十分として釈放。検察はその時、「犯行に及ぶ動機がない」「警察で一時、犯行を認める供述をしたが、検事に対しては否認し続けた。動機などについて、完全に筋道の通った供述をしたわけではなく、これは自白とは言えない」としている。
釈放後山田さんは、マスコミが自分を犯人視する報道に終始したことを知る。「不当な逮捕で侵害された人権の回復」を求め、国家賠償請求訴訟を起こした。検察・警察による新聞への謝罪広告などを求めたのだ。荒木さんはこの法廷で山田さんのアリバイを証言。 七八年神戸地検は、山田さんを再逮捕、起訴。
荒木さんも偽証罪の容疑で逮捕、起訴された。逮捕は突然で、手錠をかけられ車で連行。拘置所で裸にされ尻の穴までのぞかれた。「記憶はあいまいだった」という自白調書を取られたのは、山田さんが犯人との前提に立った取り調べのなか「肉体的疲労から思考力が低下」し、「いくら反論しても聞き入れてもらえない」という状況下だったという。
しかし、その後の裁判では一貫して、「国賠訴訟では事実を記憶通りに証言した」ことを証言し続けた。拘禁状態での検察の取り調べの様子をも証言してその不当性を訴え、判決に反映される。
神戸地裁で八五年山田さんに、八七年荒木さんに無罪判決。しかし、検察の控訴により大阪高裁で控訴審。九三年高裁は一審を破棄し、地裁に差し戻した。
九八年、二度目の無罪判決を得たが、検察が再控訴。今回、大阪高裁で三度目の無罪判決が出された。検察の「控訴断念」で両件とも、裁判開始から二十一年余にして無罪が確定。日本の刑事裁判史上最も長い刑事裁判に終止符が打たれた。
