初の市民推薦制度裁判官にクリスチャン弁護士--広島高裁判事に就任する工藤 涼二さん

<物事を正しく見る目を><メーカー勤務→地方公務員→弁護士→判事><日本初の市民推薦制度で広島高裁判事に就任する工藤涼二さん>

 日本で初めての市民推薦制度による裁判官が誕生した。4月から広島高裁判事になる工藤涼二さん(日本キリスト改革長老教会・北鈴蘭台伝道所会員=坂井純人牧師)だ。これまでの約50人の弁護士任官者とは異なり、昨年近畿弁護士会連合会が全国に先駆けて設置した市民参加の協議会が推薦したものだ。「働き盛りでは最後の仕事になるでしょう」。任地に伴う妻の久美子さんを見つめながら、ここまでの困難と喜びの交錯した年月に思いをはせる。

 昔から裁判官になりたいと思っていた。大学は父と同じ法学部。司法の道に進むか、就職か。卒業時の決断は、高校1年のときの同級生久美子さんと早く結婚したかったため、就職を選んだ。
 大手化学メーカーで働きながら1年後に久美子さんとゴールイン。しかし「How much」の世界よりも、直接人の役に立つ社会福祉に進もうと地方公務員に転職、1974年から西宮市の職員となった。
 希望の福祉に配属されず、人事労務畑で働くうち「やはり司法の道に進みたい」という思いが強くなってくる。
 久美子さんに相談すると「やりなさいよ」と返ってきた。25歳の奮起。働きながら独学で司法試験に臨む工藤さんを、それから10年近く、久美子さんは励まし続けることになる。
 仕事、育児、受験と重なった工藤さんの20代は体調を崩すほどハードだった。苦手の論文式試験が工藤さんを苦しめた。何回挑戦しても落ちる。能力の限界を突き付けられているような苦しい日々だった。
 「いつかこの生活が笑い話になるよ」との久美子さんの明るいことばが何よりの支えだった。母の日が試験日と重なるため、ゴールデンウィークに家族で出掛けることができない。それでも文句ひとつ言わず、仕事と勉強に疲れた工藤さんを、久美子さんは毎日マッサージしてくれた。
 「もうやめよう、いやもう1年やってみるか」。
不合格に落胆し、やる気がなえるかと思う間もなく、もう一度という力がわいてくる。強い糸に引かれるように勉強を続けた10年目の1985年、とうとう合格通知を手にする。
 その年、最高裁のオリエンテーションの帰りに国会議事堂を眺めながら、工藤さんは不思議な体験をした。
 「ああ、本当に合格できたんだ、この感激を忘れることなく、少しでも社会に役立つ仕事をしていこうと思いました。そのとき私の体を清めてくれるかのような、スクリーンのようなものが体を通り抜けた感触を今でも忘れることができません」
 第1希望だった裁判官ではなく弁護士の道へ。14年間苦しむ人々の心に添ってきた。尼崎公害訴訟や神戸連続児童殺傷事件にもかかわった。
 受洗したのは3年前。子どもの英会話教室がきっかけでクリスチャンになっていた久美子さんに付き合って「聖書の話を聞くのはおもしろい」と、教会に通っていた。
 久美子さんは「こんないい人はいない、神様はこういう人がお好きだろうな、神様がクリスチャンにしてくださらないはずがない」と信じていた。
 「あるとき罪人であることを痛烈に思い知らされ、キリストの救いとゆるしにすがりました。念願だった仕事に導かれた今、正しい裁きができるよう、物事を正しく見る目を与えてほしいと願っています」と涼二さん。
 洗礼を授けた坂井牧師からは「みこころを実現していく先兵として、神様が派遣されたのだと信じています。神の栄光を
表すため、本当の意味での証しする裁判官になられるよう祈っています」というはなむけのことばが贈られた。