熊本バンド140周年記念早天祈祷会開催 明治期青年たちの志 今に継ぐ キリスト教を日本中に 超教派の交流の要として

「札幌バンド」「横浜バンド」とならび、日本のプロテスタント教会の源流の1つに数えられる「熊本バンド」は、今年140年を迎えた。明治期の若者が信仰の決意をもって「奉教趣意書」に署名し、盟約を結んだ日である1月30日には、その結盟の場所である花岡山(熊本市)山頂にある「奉教之碑」の前で早天祈祷会が開催されてきた。今回の「熊本バンド140周年記念早天祈祷会」(同実行委員会主催)には、例年を大きく上回る400人近くが参加。牧師、信徒、キリスト教主義学校生徒らが、かつて新しい日本をキリスト教をもって導いていこうと志を立てた青年たちの、熱い思いを偲んだ。(8面に関連記事)【髙橋昌彦】

「熊本バンド」の呼称は、熊本洋学校から同志社英学校に転校した一団の生徒らを、当時の宣教師たちがそう呼んだことに始まる。
熊本洋学校は、1871年に設立。その教育全般を担う教師として招聘されたアメリカの退役陸軍大尉L・L・ジェーンズは、自然科学の知識や技術を教えるかたわら、生徒たちから請われて聖書の勉強会を自宅で始めたが、そこからキリスト教に入信する青年たちが次々と現れた。彼らは、76年、熊本郊外の花岡山に登り、35人が「奉教趣意書」に署名し、一致協力して信仰を守っていくことを誓った。その中には、宮川経輝、海老名弾正、横井時雄、金森通倫ら、後に明治のキリスト教界を担う人物がいた。DSC06694
しかし、キリスト教への偏見がまだ強かった時代、このことは大問題となり、ジェーンズは教師を辞任、熊本洋学校そのものも閉鎖されることになった。行き場を無くした彼らは、ジェーンズの紹介により、署名に参加しなかった者たちとも共に当時開校間もなかった京都の同志社英学校に入学。卒業後は、キリスト教界のみならず、各方面で日本の近代化に貢献した。
早天祈祷会は6時半開始だったが、6時前には山頂の駐車場には車があふれ、奉教之碑を目指す人々が列をなして歩いていく。小高いところに建つ碑の前では焚き火がたかれ、開始を待つ人たちが暖をとっている。讃美歌260番により祈祷会開始。聖書朗読、祈祷、九州学院、ルーテル学院中学・高校の生徒による賛美に続き、「奉教趣意書」が原文で朗読され、続いて口語訳で朗読された。DSC06775
奨励は、同志社大学学長の村田晃嗣氏が「寛容と忍耐」と題して語った。「異なる意見、立場が鋭く対立する現代にあって、寛容と忍耐こそが求められている。人間の歴史は、寛容と不寛容の闘いの歴史であり、その闘いに寛容はしばしば破れてきた。寛容は防御的であり、できることは説得と自らを省みる反省しかないからだ。また、寛容である者が、自分を守るために、いつの間にか相手に対して不寛容になり、パリサイ人になってしまうことがある。今のような時代にこそ、異なる意見に耳を傾け、自分の側に過ちは無いのかと問い、忍耐を持って歩みつづけることが求められている」とし、「熊本バンド発祥の地で祈祷会が持てることを感謝する。私たちは小さく、ともすれば、対立し合う貧しい存在だが、力を合わせて主イエスの教えに従っていけるように」と祈った。
その後、有志による自由祈祷、賛美、主の祈りと続いた。祈祷会終了後には温かい豚汁が用意され、明るくなった空のもと、参加者たちは暖を取りながら、交わりを楽しんだ。
今回は、この日に合わせて、同志社大学が「同志社大学フェアin熊本〜ゆかりの地に集う〜」を開催し、全国から卒業生、関係者らが参加。より記念の年にふさわしい集会となった。
奉教之碑とその土地を管理する日基教団・熊本草葉町教会の牧師で、主催者の実行委員長である難波信義氏は、こう語った。DSC06780
「この祈祷会は、『奉教之碑』が落成した翌年にあたる『熊本バンド結盟90周年』の1966年に第1回が開催されて以来、天候の善し悪しにかかわらず、毎年続けられてきました。それはやはり、熊本バンドの流れを汲む熊本草葉町教会の教会員をはじめ、熊本の多くの教会と信徒の方々の熱い思いと祈りがそこにあったからこそだと思います。奉教之碑を整備するのも、教会員の強い思いから実現したものです。その一人であり、熊本YMCAの創立に関わった福田令寿さんとの関係から、YMCAが深く関わってくださっているということも大きいと思います。地元のテレビと熊本日日新聞が、毎年必ず取り上げてくださり、この行事は熊本における“冬の風物詩”として認識されているように思います。信徒の方たちには、地元を愛する思いと、ここ熊本からプロテスタントの一つが誕生している歴史に対する、尊敬と感謝をもって受け止められているように思います。現在、YMCAをはじめとするキリスト教団体や、県内の教会が、超教派でつながって交流できるのも、熊本バンドの大きな遺産だと思っています」