
文学と聖書。長い歴史の中で蓄積のあるこのテーマに、再び光が当たる可能性がある。近年起きている「世界文学」の議論(※1)にも一つの道筋を与えそうだ。今年1月に、『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)で第172回芥川賞を受賞した福岡市の鈴木結生(ゆうい)さん(西南学院大学院生)が集う教会を訪ねた。文学、小説のみならず、言葉を扱う様々な働きや創作に通じる者の見方、姿勢が語られた。
聞き手・構成 高橋良知
写真撮影 千綿紘子
序・「世界文学」を縮減する
グローバル化にともない「世界文学」の視野が広がっている。書評家の渡辺祐真さんは、昨年から連載「世界文学の大冒険」(『文學界』文藝春秋、2024年7月号~)を開始し、世界中の名作文学を次々と紹介しようとしている。初回は「世界文学」論の序論的位置づけで、近年の歴史学や哲学の展開と絡めて、新しい「世界文学」史の構想をまとめていた。実は、この連載の次ページに、あたかも連載への応答かのように、『ゲーテはすべてを言った』発表前の鈴木さんのエッセイが掲載されている。世界文学の視座として、渡辺さんの連載と鈴木さんのエッセイの要点をみてみよう。
渡辺さんは、歴史学、哲学、文学で一致していることとして、西洋中心史観に始まり、世界の諸地域を平等に比較し、世界の相互関係や新しいテーマに目を向ける、という流れを紹介した。それらは「グローバル・ヒストリー」や「世界哲学」、新しい「世界文学」などとして展開している。これらは西洋中心主義のみならず、各国ごとの縦割りの歴史をも乗り越えるものだ。
ちなみに、この流れは、キリスト教宣教学の動向にも当てはまる。第二次世界大戦後、西洋中心主義、植民地主義が反省されてきた。昨年のローザンヌ世界宣教会議のレポートでも顕著だが、近年はアジア、アフリカ、南米などの人口増加、経済発展にともない、「西洋中心」ではなく、「多中心」と言うべき現実がある。
文学に話を戻すと、渡辺さんは、「取り上げる作品の選定基準」が「大きな問題」と語った。そこでとった方針は、「世界の名作のカタログや事典」から機械的に網羅しつつ、後世への影響などを記述する、ということだ。
最終的には「世界文学」の普遍性を追究しつつも、渡辺さんは、比較という水平的なアプローチをとる。これに対して、文学史の中心性を追究してきたのが、鈴木さんかもしれない。
「世界文学」を論じる際、必ず言及されるのが、「世界文学の始祖」とみなされているゲーテだ。鈴木さんの芥川賞受賞作『ゲーテはすべてを言った』では、ゲーテをはじめ、西洋文学を中心とした多数の作家への言及がある。そのため「『世界文学』の巨大な書庫と現代社会との間の窓が開け放たれ、その風通しを良くした」(平野啓一郎選評)と評されたのだろう。
また小説家として、「世界文学」への独特のアプローチも見られる。エッセイで鈴木さんは、「一冊の本の中には、その前に書かれた無数の本の遺伝子が刻まれている」、「小説こそ本の家系図」、「私の蔵書は小説によって縮減され、携帯されうる」と、ある種の文学観を示している。
これこそ、西洋〝が〟中心としてきた「一つの書物」の世界観とつながる思考だろう。前置きが長くなってしまったが、〝アマチュア文学論〟はここまでにして、鈴木さんの歩みや言葉に目をとめたい。以下、鈴木さんの芥川賞受賞までの歩みを振り返り、後半はインタビューを掲載する。
牧師家庭から西洋文学への関心

鈴木さんは牧師の家庭で育ち、聖書をはじめ、西洋文化にはなじみ深かった。聖書通読を達成した経験から、読書習慣が広がり、小学生でダンテの『神曲』を読み通すなど、西洋文学への関心を深めた。「たとえばゲーテの『ファウスト』は、今読めば、キリスト教批判的な要素にも気づくけれども、基本的には旧約聖書のヨブ記だな、と。なじみのある世界観で、面白いなって単純に思えた」と話す。
親が学んだ西南学院大学神学部がある福岡県生まれだが、幼少から小学校5年までは、牧師の父が赴任した福島県郡山市で過ごした。父母も読書好きで、読み聞かせで聖書や物語に親しみ、自らも絵本を創作した。
小学校1年生で、信仰告白となるバプテスマを志願したが、父からは「1年間勉強しなさい」と。「それが良かったですね。聖書を読み、考えることが信仰者として大事。家庭の環境要因は大きいけれど、僕としてはやっぱり神様と自分の関係の中でバプテスマに導かれたと思っています」
福島では東日本大震災と原発事故を経験。外出がはばかられる中、教会は子どもたちに自由な場を設けてくれたという。子どもたちで司会進行や聖書説教をする子ども礼拝にも取り組んだ。「震災前も、教会でしおりを作って販売するなど、自分で何かを作ることが好きで、同年代の仲間がそれに乗ってくれた。子どもたちがやりたい、ということに、大人が付き合ってくれた」と振り返る。
福岡に移り、中学時代から小説は書き続けていたが、大学時代には、地域の文学賞受賞で自信を得るなどして、本格的に、「人に見せるため」の小説を書き始めた。デビュー作「人にはどれほどの本がいるか」が林芙美子賞佳作となり、文芸誌『小説トリッパー』(2024年春季号)に掲載。同誌に掲載された『ゲーテはすべてを言った』『携帯遺産』は今年書籍化された。様々なスタイルの短編にも挑戦している。
教会の礼拝で 「信仰告白」の「愛」「言葉」

6月末、インタビューの場所は、結生さんが出席する福岡市西区の日本バプテスト連盟姪浜キリスト教会。午前の礼拝から出席した。礼拝堂入口横には九州のみならず東北の大きな地図が貼られ、東日本大震災・東京電力第一発電事故以来の祈りとつながりを感じさせた。礼拝奉仕者の一人として、聖歌隊のハーモニーの中に結生さんはいた。
この日、同教会では、教会独自の信仰告白作成の話し合いを再開する、と報告された。コロナ禍前に取り組まれていたもので、その経験が、コロナ禍で揺れ動いた教会の存在意義を確認するものとなったという。2026年に開拓伝道開始から70年を迎える節目での完成をめざす。
牧師で、結生さんの父でもある牧人さんが、信仰告白作成再開を踏まえ、教会誕生を物語る新約聖書・使徒2章から礼拝説教をした。十字架と復活の後の聖霊降臨という神の計画を確認し、聖霊が弟子たちを丸ごと覆った様子に注目。「神様が、私たちをありのまま、無条件で受け入れる愛の象徴ではないか。人は、まずありのまま受けいれられ、その後にそのままでいてはいけない、と変わっていける」と語った。
また聖霊に満たされた弟子たちが諸外国の言葉を語ったことについて、「祭りのためにエルサレムに集まった各地の人々の故郷の言葉、生活に語り掛ける普段の言葉だ。各地の人々は、自分たちが疎外されず、覚えられていると思ったのではないか」と述べた。
「愛」「肯定」「言葉」…これらのメッセージは、信仰告白を言語化する上でも方針となりうるものだが、結生さんの作品の中にも流れている。くしくもこの後のインタビューで語られることと響き合った。
〈インタビュー〉

「携帯」とカタストロフィー
―震災は小学校3年生で体験されて、とても怖い思いをしたと聞いています。当時はどのようにとらえていたのでしょうか。
そもそも原発が何なのかとか、全然分からなかったですし、大人も分からなかったんですね。だけど急激にいろんな情報が入ってきて、社会で起きていることとつながる感じがしました。すごく真剣に物事を考え始めた時期でした。今まではただ楽しく過ごしていたのですが、新しい自分のキャラクターが増えた感覚です。
教会には、日本中や世界中からキリスト教関係者が来てくれました。2年くらいは、父が全国津々浦々に招かれて、よく出かけました。土日でも平日でも被災地支援ということで動いていました。ひたすら旅をする経験をしました。
―旅、移動といえば、小説やエッセイなどで出てくる「携帯」のイメージが印象的です。
物を持ち歩くというのは、非常にカタストロフィーと通じているものがあると思っているんですね。震災後は余震が多くて、いつでも逃げ出せるようにしないといけません。避難グッズをそろえていました。これだけを持ち出せればいいというものを決めておくと安心できるということがありました。ですので、人生をまるごと携帯できるものを作る、選ぶということが自分にとってずっと大事なテーマになっています。震災前も、小学校一年生の時に、教会の隣が火事になり、聖書をもって避難したことがあります。このエピソードは形を変えて『携帯遺産』にも出てきます。
―物語も説教も書いていたんですね。
子どものころは、よく牧師ごっこをしていました。説教もいっぱい書いていました。
自分が書いているものが、説教的だとずっと考えていました。中高生時代になると、一般の人に読んでもらうために、客観性をもたせた文体に変えていきましたが、やはり自分の本質的な部分は、教えを説く、というところがあると思います。小説でも表面的には出ないけれど、根底に流れている部分があると思います。ジョン・バニヤンの『天路歴程』が好きなんですが、これは説教の延長でかれた文学みたいなところがありますし、ヨーロッパですと、かつて文学者は牧師や聖職者を兼ねている人がほとんどでした。ヨーロッパでは教会に通うのは日常でしたから違和感はないんですね。しかし、現代の日本となると、文学の中で、そういう場面はほとんど見ませんね。
―『ゲーテはすべてを言った』では、クリスマス礼拝の様子など、クリスチャン家庭のようすが描写されていましたね。
(次ページでは「アマチュアが本質的には上 しかし他者のため『プロ』に」、「文学とキリスト教は対立する?」、「自分の物語?他者の物語?」、「愛、リズム、肯定、共同体」、また今後の構想などについて。約8200字)
