<ろんせつ><佐世保児童殺傷事件><子どもたちを宣教師として>
衝撃的な事件が起きてしまった。青少年犯罪の低年齢化が繰り返し指摘されていた。また、カインとアベル、ヤコブとエサウ、ヨセフと兄弟たちの例を待つまでもなく、親しい関係にある者同士だからこそ、殺意に至るような葛藤が生じることがあり得るということも、理解しているつもりであった。けれども、小6の女子児童同士が校舎内で事件を起こしたことは、同じ小6の子どもを持つ親として、非常にショックであった。また、「チャットの書き込みがきっかけ」「バトルロワイアルの本を読んで」など、詳細の報道がなされるにつれ、以前起こりえなかったことが目の前で起こっている現実に直面させられる。学校は安全な場所ではなく、子どもも無邪気な存在ではない。
このように荒廃している公教育を避けて、ホームスクールを始めたり、チャーチスクールに子どもを通わせたりしている家庭も増えている。様々なオプションが与えられていることは、非常に感謝なことである。
ところで、その荒廃している公立校に通う子どもたちに福音を届ける使命は、誰が全うするのだろうか。このような事件が起きるたびに、親も教師も教会もできることが限られているという限界を切実に感じてしまう。
こういう状況の中、子どもでしかできない働きがある。中1のT君は、クラスで皆が1人を仲間はずれにしている時「こういうのやめようぜ」と発言した。T君の凛とした雰囲気に圧倒されてそれ以来いじめはやみ、彼は「天使のT」と呼ばれるようになった。保護者会で周りから「どんな育て方をしてきたの」と聞かれ、「特別なことはしなかったけれど、小さい時から教会学校に通わせた」と証しをする機会が与えられたことを伺った。
また、13回も靴を隠されながら、その友だちのために祈ったMちゃんの祈りが聞かれて、その友だちが教会のミニ四駆レースに来てくれたこともあった。学級崩壊で一番荒れていた子どもと友だちになり、「K君がいなければこの1年間を乗り切れなかった」と担任の先生に感謝された子どももいた。小6のAさんはキャンプで「クラスでタバコを吸っている子に脅されて周りの友だちも吸わされているが、その子に注意できる勇気が与えられた」と証しをしてくれた。中1のHさんは、「バイキン」と言われて苦しんだが、教会の祈りに支えられて自分の気持ちを作文で訴え、それ以来仲のいいクラスに変えられた。「いじめられている○○のために」と祈祷課題も多く出された。
子どもたちが地の塩・世の光として用いられていることに、日々心燃やされ、励まされている。彼らは子どもでしかできないすごい宣教をしているのだ。このような子どもたちを宣教師として遣わすような気持ちで毎日の熱い祈りをもって送り出したい。そして、私たちもスラム街に留まって児童伝道を続けているニューヨークのビル・ウィルソン氏のように、困難な状況の中にある子どもたちに出て行って福音を伝える者でありたい。
