福島市を中心に、幼稚園、保育園、英語学校、老人福祉施設など、福祉、教育などの分野で複合的な働きを展開する創世グループは、創立者・故野田新弼氏のキリスト教との出会いによって生まれ、今日の隆盛を見ている。英語学校の設立に始まったその事業は、長年チャプレンとしてその働きの精神的、霊的支柱となってきた澁谷敬一氏と、創立者の据えた理念を忠実に継承し、実践してきた野田濠市・信光兄弟によって、大きく展開され、発展してきた。今回は、「私は補佐役、実務だけ」と言う弟の野田信光氏を対談相手に、中野雄一郎牧師がその事業発展の秘密に迫った。
野田 中野先生の『聖書力』を読ませていただきましたが、仕事や実生活においての聖書に基づくアドバイス、宝物のような言葉がいっぱい入っていますね。これは、キリスト教が初めてと言うよりは、ある程度聖書の知識がある方に向けて書かれたのではないですか。
中野 まったくその通りです。かつてミッションスクールで聖書に触れたとか、少し教会に通ったことがある、といった人に向けて書きました。私も創世グループのパンフレットを拝見しましたが、理念として「キリストの愛の心、奉仕の心、神と隣人に仕える心」が掲げられ、随所に聖書のみことばが見受けられます。最初に事業を始められたお父様は、どのような方でいらしたんですか。
野田 創立者の野田新弼は、戦前に旧満州国に渡ります。そこで当時の「満鉄」南満州鉄道の駅長になって、ずいぶん成功したようです。3人子どもが生まれるんですが、2番目の長女をはしかで亡くしています。第2次大戦の敗戦で内地に引き揚げてきますが、こちらに戻ってからは、そういう時代ですから、かなり大変だったようです。私自身は日本で生まれました。
中野 福島に戻られたのですか。
野田 はい、福島の出身でしたから。父は貧しい農家の次男でした。兄弟もみな戦死しています。混乱した時代でしたから、父も迷っていたのだと思いますが、事業に失敗したり、かなり乱れた生活で、自殺未遂までしたようです。私も、ものごごろ付いてからの父の記憶は、酒を飲んで母に殴る蹴るの暴力を振るっている、そんな父でした。暗い家庭で貧しくて、家は雨漏りがして、満足に食べられなかった時代です。飲んだくれの夫に仕えて、母が頑張ったんです。その頃子どもの私が母に言っていたのは、「大きくなったら俺が親父を殺してやる」ということで、そうやって私なりに母を励ましていたんです。そんな父でしたが、いろいろな宗教に関わったようで、父なりに、自分は変わらなければいけないという思いとか、真理を求める気持ちとかがあったのではないでしょうか。
中野 そんなお父様が変わられたのには、どんな理由があるのですか。
野田 キリスト教との出合いですね。当時福島市内にバプテストの神学校があったのですが、そこのダン・ビジョップ先生、穂積与四郎先生と出会ったことから、聖書の教えを受けてキリスト教に導かれるのです。自宅で家庭集会を持つようになり、近所の人も集まっていました。私が小学校1年生の時だと思いますが、父が日ごとに変わっていくのを目の当たりにしたんですね。「人間って、こんなに変われるものなのか」と、そこに輝きを感じました。2年生の時に学校で図画の時間に絵を描いたんです。教会の絵です。父の変化を見るにつけ、暗闇に光が射してきたようで、その感動とうれしさで描きました。当時、このあたりは田舎ですから、周りに教会はありませんでしたから、想像で描いたのですが、それが教室に貼り出されたんです。その頃の私は、夜尿と吃音がありまして、おそらく精神的に不安定だったせいだと思うのですが、教師に認められたということが、とても自信になりました。父も暴力をやめるどころか、面倒を見てもらった母の両親に、とても孝行をするようにもなったのです。
中野 この事業を始めるには、何かきっかけがあったのですか。
野田 父が穂積先生に相談したんですね、世の中の役に立つことをするにはどんなことをするべきかと。最初は、神学校を作るというような話もあったようなのですが、ミッションスクールを作って、福島から世界に羽ばたく若者を教育しよう、ということで、具体的な話が動き出したようです。私が5年生の時でしたが、大人たちが集まってその相談をしているんです。資金はどうやって集めるか、制服は校章はどうするかとか。私はそういう話に興味があって聞くのが楽しかった。父も、子どもの私が大人が相談している場所にいるのを止めなかった。普通は、あっちに行ってろ、ということだと思うのですが。そのうちに、新聞社が取材に来るようになって、その車が道路に10台くらい止まるんです。その頃まだ車なんて珍しかったですから、それが父への尊敬にもなり、感動にもなりましたね。お金もないのに始めたのですが、いろいろなクリスチャンが協力してくださって、その時できたのが、聖光学院と自動車学校です。
中野 そのことが野田さん自身にも影響を与えたと。
野田 母は父に協力していましたし、2人からの影響は大きいですね。両親はいつも聖書の話をしてくれました。そして、「お前は出来る」「タラントがある」「神に愛されている」ということをいつも聞かされるものですから、私はもともと出来が悪いんですが、自分でもその気になってきて自信がついてくるようになったんです。いろんなことにチャレンジするようになった。中学3年生の時には高校は東京に行こうと思って、明治学院高校に入学します。校長の武藤富雄先生のメッセージには影響を受けましたし、クリスチャンとの出会いや、ビジョンも与えられました。
中野 お父様から事業を引き継いだ時には、どれくらいの規模だったのですか。
野田 聖光学院と自動車学校と、後で始めた英語学校がありました。私が27歳の時です。学校債を発行していましたから、全部で2千万円くらいの借金がありました。今の価値で2億くらいですね。父からその借金を無くしてみろ、と言われまして。夜昼無く、がむしゃらに働いて、3年で返済しました。その後、幼児教育を始め、また老人福祉の働きをするようになりますが、それらの事業を創世グループとして、兄と私と、職員皆一緒になってやっています。(19面に続く)
