会堂というより多目的センターでありたい 清瀬グレースチャペル

「オレンジカフェ」の様子

 「この場所が教会だと気づかない人もいるかもしれません」と語るのは、清瀬グレースチャペル主任牧師の菅谷勝浩さん。光の差し込む大きな窓ガラスに、円形のテーブル席。お洒落な飲食店さながらのその場所は、木曜日は実際にカフェとしての一面も持つ。多くの地域の方が訪れ、毎週完売が出るほどの人気だ。

会堂の入口はカフェのよう

 約2年前からは「オレンジカフェ」(認知症の本人や家族、専門家などが情報交換・交流するカフェ)の会場でもある。きっかけは、偶然カフェに訪れた一人のお客さんだった。「この場所いいですね」。そう口にしたのは、訪問介護のケアマネージャーを務める女性だった。教会の住所は埼玉県新座市だが、道路を挟んだ向こうは東京都清瀬市。新座市の端の端にある教会の周辺は、高齢者が多い地域でありながら、市のサービスが届きにくい場所だという。彼女が市に直接掛け合い、現在は、市の職員や地域包括センターの協力の下、月に一度オレンジカフェを開催する。病院や老人ホームが会場となることがほとんどの中、珍しい会場ということもあり、市役所で行われる会議では、教会のビジョンについて語る機会も。


 「栄光の人生、栄光の教会をめざして」。教会のビジョンが与えられたのは、教会開拓よりも前のことだ。実は、枝教会として設立された同教会の母体は、菅谷さんの母教会でもある練馬グレースチャペル(東京・練馬区)だ。その教会の成長が停滞した時、当時の牧師が祈り求め、与えられたのが先のビジョンだった。その後、セルグループや弟子訓練の開始で練馬の会堂から人があふれた際、導かれたのが、一教会を限りなく大きくすることではなく、初代教会さながら教会を増殖していくことだった。清瀬近辺のセルのリーダーたちが中心となり、2000年清瀬グレースチャペルを開拓。翌年、牧師として菅谷さんが遣わされた。

菅谷勝浩さん
教会開拓前、各セルのリーダーたちで実施した開拓トレーニング


 当初は毎週礼拝場所を求め、信徒それぞれの自宅や市の会議室、塾の教室などを、礼拝器具を詰めたリヤカーを引いて転々とした。数年後与えられた間借りの場所も、たちまち人でいっぱいに。「広い場所に移っては、感謝なことにまたいっぱいになりました」。


 そんな最中のことだ。2011年、東日本大震災が発生し、当時教団の理事であった菅谷さんは、津波で行方不明になった同教団の牧師を捜索に宮城へと向かった。その時、目にした現地の教会の光景が今も目に焼き付いている。

(次ページ [下部ボタンから]で、会堂建設に向けてのコンセプト、多目的に活かされている会堂の様子について 約1100字)

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