「子どもの頃、CSは退屈でつまらないものでした。でも、天国には入りたくて、いつも罪のことばかり考えていました」。日本ホーリネス教団東京中央教会牧師の錦織寛さんは、かつての自分をそう振り返る。教団の教案誌「聖書の光」の編集責任者で、2月に主催する「CS教師研修会」の講師も務める錦織さんに、話を聞いた。

「学ぶことは変わること」

牧師家庭に育ち、小学3年生で信仰告白をした錦織さんだが、自分は神様に愛される資格があるのかと考え、常に罪の思いに囚われていたと言う。そんな思いから解放されたのは、大学生になってキャンプ場でワーカーとして奉仕する中、先輩クリスチャンたちが一生懸命働き、仕事が終われば思い切り遊ぶ、そんな姿を見てから。「教会で聖書の言葉は教えられていましたが、自由に信仰に生きている人たちの姿を見て、クリスチャンはもっと自由でいい、と気づきました」
今の子どもたちには、かつての自分のような窮屈な信仰でなく、聖書はワクワクするもの、福音を喜びとして伝えたい。でも、それは「技術ではない」と言う。「教師研修会」でも、聖書を通して何を伝えるか、御言葉をいかに福音として語るか、を問いかけたい、と考えている。「牧師に限らず、教える者は、自分が何を語っているかを、常に振り返る必要があります」
教会では、教育の重要性は以前から一貫して認識され、いろいろな教材やプログラムが提供されてきた。その必要性と共に、人と人とが関わり、同じ経験をすることなしに学びは無いと、錦織さんは言う。「知識が増えるだけでは不十分です。私も、あのキャンプ場での人との触れ合いのなかで、変わりました。学ぶことは、変わることです」
「教会教育」の幅は広い。CSのクラスだけでなく、教会の活動、あり方すべてが教育的な意味を持っている。コロナの時には礼拝のあり方を考え、会堂建築の過程では、信徒が互いの立場を知る時となった。「そうやって一人ひとりが学んでいきますが、それは教会が学び、成長していくことです。教会教育は、最終的には教会が教育されること、、、、、

2025年02月02日号 04面掲載記事)