
前回まで→ ・普段着の読書
筆者は国語が苦手であった。本はたくさん読むが、試験では点が取れない。大学入試では、二次試験に国語がない学校を選んで受験した。一方で、筆者の子どもたちは国語ができる。全く勉強しなくても、試験で点が取れるのだ。彼らと自分の何が違ったのか、分からない。幸いなことに、筆者は、合衆国に留学し、聖書解釈を学び、英文で論文を執筆することを通して、皮肉にも日本語の国語力も上がったようだ。
国語力とはなんだろうか。文科省は国語力を「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの中核からなる能力と定義している。加えて、これらの能力の基礎に語彙力があると考えている。つまり、様々なことばを知り、それらを用いて自分が感じたことを表現し、未知のものや他者の姿を想像し、自分の意見を筋道を立てて相手に伝える。これを可能とする力が国語力である。
一方で、今日の教育現場では国語力の欠如が問題になっている。「今の子は知識の暗記や正論を述べることだけにとらわれて、そこから自分の言葉で考える、想像する、表現するといったことが苦手」である。そして、国語力の貧困が、誤解、生きづらさ、トラブルを生む。筆者の体感は、子どもたちのみではなく、神学校で学んだり、教会で働いている人の中にも、「国語力の貧困」に苦しんでいる人がいる・・・
(次のページ[下部ボタン]で、国語力低下の要因、ことばを回復する働き、聖書における言葉の搾取と回復、など)
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