©DOI Toshikuni
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福島第一原発事故によって居住している町や村から強制的に退去させられた人たち。仮設住宅への入居した人、近隣地域に移転しそこで職を得ている人、遠隔地へ転居した人などそれぞれが選択した避難先は、家族の離散をも余儀なくさせている。

福島原発からおよそ40Kmの位置にある飯舘村は、原発事故の情報提供の不備から2ヵ月ほど放射能汚染に被曝し、その後全村避難となった。原発事故から2年。いまも村の中央部ほとんどが居住制限区域で、村南部の一部は帰還困難地域に指定されている。土井敏邦監督は、この村から強制避難させられている2つの家族を中心に村の人たちの姿を追いながら、住民が帰村した後の生活をイメージしないまま帰還事業を推し進めようとしている実情を描いていく。

酪農をしていた志賀さん一家は、老夫婦と息子夫婦とが離れ離れに暮らしている。75歳の父親は、村民自らが組織した「見まもり隊」で集落の家々を警備する仕事をして生活費にしている。息子はコンクリート工場に就職したが、帰村してまた親子で暮らせる日の来ることがお互いの願いだという。

4世代で暮らしてきた長谷川さん一家は、両親が福島市郊外の仮設住宅へ、長男一家は山形に転居した。放射線量の高い村では、子どもを育てることは出来ないとの判断から帰村する考えはないようだ。将来、また一緒に生活することはできるだとうか。離散している親子夫婦それぞれの思いが、微妙に揺れ動いていく。

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村の人たちにも、大きな不安が覆いかぶさっている。とりわけ、幼い子どもを持つお母さんたちは、線量の高い村に2カ月ほど残ったことで子どもらを被曝させてしまったことを悔やみ、自らを責め続けている。将来、その影響が子どもたちにどう現れるのだろうか。重くて大きな不安を語り合う場面に胸が切なくなる。

帰村のための放射線量基準値を年間20ミリシーベルトに修正し、避難区域の見直しと除染による帰還事業を提示して説明する国と行政。だが、それは子どもたちが安心して暮らせるレベルなのだろうか。飯舘牛をブランドにまで高めてきた酪農を復活できるのだろうか。行政は、復帰後の生活に関してはイメージできる回答を持っていない。ただ、目標の基準値まで帰還事業を早く達成させ、その時点で戻るかどうかは村民の選択だとまでいう。膨大な事業費の話ばかりが飛び交う中、翻弄される村びとたちが置き去りにしようとしているかのような国と行政の在り様が浮かび上がっていく。それは作業でどうにかなる除染とは異なり、志賀さんは「心が汚染されたことは、いつまでも消えない」と語る。重くてつらい言葉だ。

離散しているパレスチナの人々をドキュメンタリーで追ってきた土井監督。同じディアスポラの困難と苦悩が重なってくる。現代の日本の中で、離散を強いられているフクシマの人々。そこから目をそむけてはならない。 【遠山清一】

監督:土井敏邦 2013年/日本/119分/ 配給:浦安ドキュメンタリーオフィス 2013年5月4日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開。
公式サイト:http://doi-toshikuni.net/j/iitate2/