日本か、沖縄か、琉球か 「第2世代」が沖縄の聖書教育問う

 米軍基地問題を巡って国と沖縄県は対立している。この背景には、政治情勢のみならず、沖縄の歴史、アイデンティティーの問題があるという。宣教、聖書教育において、それらはどうかかわるのか。沖縄戦から73年、沖縄返還から46年。県民の中でも世代交代とともに問題意識は変化している。このような状況の中、沖縄教会史を学ぶ会、沖縄キリスト教平和総合研究所共催による、シンポジウム「沖縄での聖書教育−これまで・これから−」が9月に中頭郡西原町の沖縄キリスト教学院・沖縄キリスト教短期大学シャローム会館で開催された(10月14日号で一部既報)。沖縄返還前に活動を始めた「第2世代」の牧師たちが、次世代に向けて、沖縄の聖書教育の課題と展望を語った。【高橋良知】

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写真=左から平良、運天、饒平名の各氏

福音派、社会派超えた学びの気運

 旧沖縄キリスト教団(1969年に日本基督教団に合同)で活躍してきた牧師たちの間では、「旧沖縄キリスト教団第二世代牧師懇談会」(2012〜14年、全17回)が実施されていた。戦後世代に学ぼうという気運は、日基教団、福音派、ペンテコステ派を超えた教職・信徒らにも起こり、16年から「沖縄教会史を学ぶ会」が開かれた。17年からは従来から開かれていた2・11「信教の自由を守る日」集会が福音派、社会派合同で開催された。沖縄全県レベルでは、1998年、2003年に沖縄宣教伝道会議が開かれてきた背景もあった。

 戦後の沖縄の教会の始まりは、米軍収容所にいた沖縄の人々の間で広がった賛美と礼拝だといわれる。その後、教会が形成され、沖縄キリスト連盟(1946年)、沖縄キリスト教会(50年。53年に沖縄バプテスト連盟が離脱)を経て、沖縄キリスト教団(57年)が成立。同時に同教団以外の様々な教団教派による教会形成も進んだ。

 元沖縄キリスト教短期大学学長(第2代)の平良修氏(日本基督教団沖縄教区議長)は、同校の50周年誌を引用し、金城重明氏(第3代学長)の指摘から、同校の創設の背景として、①沖縄戦、②敗戦による精神的支柱の喪失、③キリスト教と沖縄再建、の3点を紹介。初代学長で戦前から教育者として歩んでいた仲里朝章が、戦前の教育を反省し、キリストにある人格教育を志したことを話した。「ミッションによる設立ではない。沖縄の教会がたてた学校だった。仲里は、単にキリスト教の知識を与えるだけでなく、キリストに感化され、人格を形成する学校を目指しました」

 57年に沖縄キリスト教学院が首里教会の会堂で始まった。当初、キリスト教指導者、伝道者の養成が目標とされていた。59年には沖縄キリスト教学院短期大学(後に沖縄キリスト教短期大学に改称)を設立し、やがてキリスト教学科ほか、英語科、保母養成科(保育科)を拡充した。

 70年には志願者減少により、キリスト教学科を廃止。「開学の方針に定めたキリスト教会指導者・伝道者の養成を断念したということではない。残る英語科、保育科のカリキュラムの中にキリスト教関係課目をこれまで以上に強化充実することにより、両科を通してキリスト信仰に立つ英語教育者、保育者を養成し、さらにこれらの専門性を持つ伝道者の養いに力を入れることにした」と平良氏は振り返る。

 仲里の「沖縄」へのこだわりにも注目。「戦後、琉球列島米国軍政府により琉球大学が設置され、『琉球』には被統治のイメージがあった。仲里は日本へ復帰して沖縄県を回復させたいと考えていたようだ。現在は、むしろ『琉球』を求めるべきではないか。日本の『沖縄』ではなく、新しい『琉球』をつくることが教会の将来を考える大きな流れではないか」と問うた。

アイデンティティー踏まえて

 沖縄聖書神学校専任教授の運天康正牧師は沖縄信徒聖書学校設立の経緯と今後について語った。1967年から沖縄聖書教会に連なる4教会での合同の信徒聖書学校について祈り始め、73年に沖縄聖書教会の教師会で、学校設立を話し合った。超教派の沖縄福音伝道会に連なる渡真利文三牧師、国吉守牧師らも信徒教育の必要性を考え協力。沖縄聖書教会、沖縄バプテスト連盟、沖縄福音連盟に連なる18の教会、福音伝道会、ライフセンター那覇書店の協力で同年沖縄信徒聖書学校が設立された。沖縄キリスト教書店も加わり、現在52の教会が協力、543人の卒業生を輩出した。

 『旧沖縄キリスト教団第二世代牧師懇談会会議録』(同会発行)にも注目し、各参加者の提言を紹介した。「編集長の大城実氏は、戦後第一世代が、日本基督教団との合同に消極的であり、独立の『琉球教会』を目指していたという背景に言及し、『国家を超えることの出来ないヤマトの教会から解放された独自の教会を形成していく必要』を語った。同感だ」と話した。

 旧沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同のとらえなおしの背景にも留意して、「沖縄のアイデンティティを育んでいく必要」(神山繁實)、「真に沖縄にふさわしい神学校、信徒学校、そして多くの『沖縄の牧師』、『沖縄の信徒伝道者』、『沖縄の信徒』を生み出してほしい」「沖縄の歴史、文化、社会政治状況を学び、『沖縄』で聖書を読み、『沖縄』にふさわしい宣教論を樹立実践すること。太平洋の『軍事的要石』から自らを解放し、人間共生の『万国津梁』への回帰を求めている沖縄において福音宣教する教会として、『万国津梁の神学』を生み出して欲しい」(平良修)などの言葉を紹介した。

 運天氏は「会議録を読んで、いても立ってもいられない気持ちになった。信徒神学校をつくるなら、沖縄にある同じ教会として協力して、何とか沖縄の教会の充実のため、頑張らないといけない」と語った。

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 沖縄宣教研究所の饒平名(よへな)長秀氏は「沖縄で伝道すること」と題して語った。1990年代から開催されてきた沖縄宣教伝道会議から発展し、沖縄の神学、思想、教育を考えてきた。「そもそも福音とは何か。旧約、新約を通しての神の約束の成就、神の国の良き訪れ」と言う。Ⅱコリント5章17節を引用して、「キリストによって、新しい秩序がすでに始まっている。個人の心、魂の救いだけの問題ではない。政治、経済、社会も含まれる。ドイツ・バルメン宣言では、この世界にイエスがおられない領域はないとする。イエスが味わわれなかった苦しみはない。社会と離れた伝道は机上の空論、地に足がつかない」と語った。「沖縄は、薩摩藩による支配以降、非常に厳しい歴史を歩んできた。植民地化され、沖縄戦では、最悪のものを味わされた。沖縄の現実と関わりのないキリスト教はあり得ない。社会と教会を分ける二元論を克服しないといけない。バルメン宣言起草の中心になったカール・バルトは、『新聞抜きには聖書は存在しない』と言った。新聞と聖書は別々の物だが、どちらかを軽んじるなら宣教は成り立ちません」。

 また「植民地主義のキリスト教の反省がなければ、それを引き継ぐことになる。沖縄には特殊性、異質性がある。この認識がなければ、厳しい言い方かもしれないが、沖縄から退去して行ってもらいたい。沖繩の人のためにも、当の本人のためにもならない」と強調した。

 翁長雄志前県知事が「アイデンティティー」を焦点に政党を超えて「オール沖縄」陣営をまとめたことに触れ、「『オキナワ・アイデンティティー』は、私の終生の中核的課題の1つだった。沖縄は日本国内の単なる47都道府県の1つではない。政治・経済・軍事面のみならず、マイノリティー(少数民族)という特殊性・異質性がある。沖縄における希望の倫理は、貧しい者、虐げられている者に目を注ぐ神の神学すなわち『小さき者の神学』」と話した。