県庁に赴任の挨拶をする島田叡(中央)。荒井警察部長(右)と県知事付きの職員・比嘉凛。 (C)2022 映画「島守の塔」製作委員会

第二次世界大戦時、唯一の地上戦が展開された沖縄。日本はポツダム宣言を受諾したのち、1951年9月に連合国軍とサンフランシスコ講和条約(平和条約)を締結し、連合国との戦争状態は終了、日本の主権が回復された。だが、沖縄など南西諸島は、1972年5月15日に(日本)本土復帰するまでアメリカの信託統治制度の下に置かれていた。沖縄復帰から50年にあたる今年、最後の官選沖縄県知事を務めた兵庫県出身の島田 叡(しまだ・あきら、1901年12月25日~’45年6月26日?)と沖縄県警察部長をつとめた栃木県出身の荒井退造(1900年9月22日~’45年6月26日?)ら、沖縄県民の疎開・住民避難に尽力した人々を描いた本作が全国で順次公開される。

過酷な沖縄地上戦下
軍と政の狭間に…

’44年(昭和19)夏。沖縄県警察部長の荒井退造(村上淳)は、栃木県清原村に帰省していた。サイパン島玉砕によりアメリカ軍の沖縄侵攻が迫っている空気を感じている母は、退造に「死ぬな…」と懇願する。この夏、大本営は泉守紀(勝矢)沖縄県知事に非戦闘員10万人を九州もしくは台湾へ疎開させる命令を通達したが、泉知事は島外疎開には消極的なため荒井部長は疎開業務の陣頭指揮に奮闘する。だが、祖先崇拝の宗教観の県民はなかなか沖縄を離れようとはしない。荒井部が続く長は、率先垂範を示そうと警察関係の家族・学童らの島外疎開を率先して実施した。しかし、長崎に向かっていた疎開船団のなかで1100人以上の学童は乗船していた対馬丸がアメリカ軍潜水艦の魚雷攻撃で沈没、乗組員・疎開者合わせて約1700人が犠牲になるなど九州・台湾への疎開には大きな危険をはらんでいた。

’44年10月10日には、那覇近辺の飛行場はじめ那覇市全体が壊滅する大空襲に遭った。那覇空襲の後、泉県知事は東京に出張したまま帰島しなかった。内務省官僚の島田は、上海赴任時代に面識を持った沖縄を守備する第32連隊司令官・牛島満(榎木孝明)中将の推薦もあって沖縄県知事に推挙された。家族や周囲の人たちは辞退するよう勧めるが、「俺は死にたくないから誰かが行って死んでくれとはよう言わん」と覚悟を述べて’45年1月末、10・10那覇大空襲後は宜野湾に移転した沖縄県庁に赴任する。

学生野球では名選手として鳴らした島田は、正岡子規の随筆『筆まかせ』から「実際の戦争は危険多くして損失夥しベース・ボール程愉快にみちたる戦争は他になかるべし」の一節を語り、やはり野球学生野球で主将だった荒井警察部長と意気投合する。島田付を任命された県職員の比嘉 凛(ひが・りん:吉岡里帆)は、本来は兵士の訓戒「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず」と自決覚悟の精神教育を叩き込まれてきた。島田は知事として敵との持久戦に備え自ら台湾へ米の買い付けに赴く、また飛行場つくりなどさまざまな労働徴用に応じてきた県民の労をねぎらい村祭りの解禁など島田が発する戦場行政や県民に寄り添う実行力に凛はじめ県民らも信頼を寄せていく。

島田の「生きろ!」のことばに、戦後を生きた凛。 (C)2022 映画「島守の塔」製作委員会

3月中旬から先島諸島、慶良間諸島へアメリカ軍が攻撃を展開し、本島へも「鉄の暴風」といわれるほどの艦砲射撃が連日連夜行われ、4月1日には読谷村から上陸作戦が開始された。激しい地上戦が展開され徐々に追い詰められ苦戦する日本軍は、島田知事に徴兵年齢以下の少年・師範らを鉄血勤皇隊や女学生らのしらゆり学徒隊など少年兵、学徒隊を組織するための名簿提供を求められる。本来、県民の生命を守るのが県知事や警察の使命だが、軍官民の「共生共死」の方針を軍から明示され、内務官僚として遣わされている島田は苦渋の決断を迫られる…。

「平和条約」締結の年に
建立された「島守の塔」

本作のタイトル「島守の塔」は、沖縄地上戦最後の激戦地・摩文仁地域に設けられた県営平和祈念公園に実在する。日本が’45年8月15日に連合国が無条件降伏を求めたポツダム宣言受諾から6年後、沖縄県民の寄付金によって島田県知事の慰霊碑「島守之塔」自然石で建立された。その奥に、島田知事と荒井警察部長が最期に見かけられた壕の前には「島田叡・荒井退造の終焉之地」碑と戦没職員469名が刻銘された「県知事島田叡・沖縄県職員」慰霊塔が立つ。サンフランシスコ講和条約締結による沖縄の本土復帰後、島田知事の出身地・兵庫県では継続的に友好関係と顕彰活動が行われてきたが、荒井警察部長の出身地・栃木県での顕彰活動は近年になってからという。コロナ禍で一時撮影が中断された本作だが、沖縄の本土復帰50年にちなんで沖縄・兵庫・栃木の関心が撮影再会と完成に大きな影響を及ぼしてきたことだろう。

島田知事、荒井警察部長ら二人の内務官僚は、戦場行政のなかで軍の方針には逆らえない立場で、苦悩しながら県民の生命保護のため疎開業務に苦闘した姿を描く作品をと制作現場の趣旨が伝えられている。慶良間諸島など離島での“集団自決”が有名だからか本作では現状としては描かれず比嘉 凛の自決覚悟を語るシーンが幾度か描かれる。近年、教科書検定に“愛国”を強調する問題が顕在化しつつあるなか、内務官僚の島田知事が沖縄県の解散を宣言し、一人の人間として発した「命(ぬち)どぅ宝」(命こそ宝)が忘却されることのないように。ウクライナでのロシア侵攻禍、中国の海洋進出など大国の武力主義の危険性が叫ばれるなかで、戦場へのプロパガンダに本作が流用されないようにと願わされる。【遠山清一】

監督:五十嵐 匠 2022年/131分/日本/映倫:G/ 配給:毎日新聞、ポニーキャニオンエンタープライズ 2022年7月22日[金]よりシネスイッチ銀座、8月5日[金]より沖縄・兵庫・栃木にて上映ほか全国順次公開。
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