第30回「教会と国家」セミナー 宣言

 来年「戦後」70年を迎えようとする日本が今,「戦後」から「戦前」へ位相を転換しようとしています。2006年第一次安倍内閣で強行された教育基本法改正を皮切りに,全国的世論を無視して昨年12月に成立・公布された「特定秘密の保護に関する法律」(秘密保護法)。そして今年7月1日に閣議決定された集団的自衛権の行使容認。これらにより,憲法前文ならびに9条によって方向づけられ営まれてきた平和国家としての「戦後」の歩みは転轍ポイントを越え,「戦前」をひた走り始めたと言うことができましょう。

 同じく7月には,5年前に始められた沖縄密約情報公開訴訟に対し,最高裁は政府の文書不公開を認める判断を下しました。政府が文書の存在を否定する限り,市民にはその公開を迫る法的権利は無いに等しいこと。従って,秘密保護法と連携しつつ閣議決定による(柔軟な!)解釈改憲が今後も行われるならば,何事も政府の思うがまま(秘密裏!)に進め得ることが明らかとなりました。戦争の悲惨を体をもって識った市民が営々と築いてきた「戦後」平和国家の基盤が脅かされていることは,もはや言を待ちません。そしてそれは,キリストの十字架による全世界・全被造物との和解と平和を信じ求める私たちキリスト者の信仰・信条に対する侵害そのものでありましょう。

 この時にあたり,日本基督教団奥羽教区に連なる私たちは,自らに,また奥羽教区や日本基督教団に対し,そして日本社会に対し,どのように行動するかを神から問われています。私たちはこのことを強く意識しつつ,第30回「教会と国家」セミナーに参集しました。

 これまでの私たちの歩みを振り返ると,日本基督教団は「戦後」を歩み始めるにあたり,国策に従順な合同教会として強制された自らの出自と歩みを,神と人との前に真剣に悔い改めることを怠りました。とりわけ沖縄では,地上戦が始まる前にほぼ全ての教職者が沖縄を離れていたこと。そして国家による「沖縄処分」に先立ち,米軍直接統治下に置かれた沖縄にある「日本基督教団九州教区沖縄支部」を当然のように切り捨て,その痛みも責任も覚えないままに教団の「戦後」がスタートしたことを忘れるわけにはいきません。

 戦後21年にして漸く教団は「戦争責任」を覚え告白することを決意,同時に,戦後独自の歩みを始めていた沖縄キリスト教団との合同を提案しました。この2つが同時に建議・可決されたことは決して偶然ではなく,歴史に対し自覚的に応答しようとした当時の教団の決意に由来するものと言えましょう。こうして1967年3月「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」は教団総会議長声明として発表され,1968年10月それぞれの総会で決議された両教団合同は,翌年2月に議定書を取り交わして正式にスタートしました。

 しかし,これら2つの事柄