Movie「唐山大地震 想い続けた32年」――長く重い心の余震から解き放たれるとき
スクリーンに現れる1匹のトンボ。やがて数匹になりついには数万匹の群れになって貨物列車の後を追い、車も人もその凄まじさに足がすくんで踏切も渡れない。天変地異を予感させるオープニングだ。ファン・ダーチアン一家のその夜の団らん。母親のリー・ユェンニーから真新しい学習バックを買い与えられ、冷やしたトマトを奪い合う姉ファン・ドンと弟ファン・ダーの双子の姉弟。家族4人の庶民的な家族風景が、自然に幸福感を伝えてくる。だが、深夜…。
1976年7月28日深夜、中国河北省唐山市を襲ったマグニチュード7.8の直下型大地震。23秒間の揺れで100万都市が一夜にして全壊した。地割れと液状化に呑み込まれていく人、亀裂が入り瓦解していく建物に押しつぶされる住民。子どもたちを助けようとしたファン・ダーチアンもその瓦礫の下引きになり死亡する。その大地震のシーンは、あまりのリアリティさと迫力に圧倒される。
朝になり、その遺体が運び出されると間もなく、ファン・ドンとファン・ダーの2人が住居の中から身動きできない状態で発見された。壁の両端に挟まれ1人を助ければ、てこの原理で片方は傾く壁に押しつぶされて助からない。どちらを助けるかと迫られる母親のユェンニー。何としても2人とも助けとと強く懇願するが、救助を求める声が増す中で、「息子を!」と究極の決断をする。その苦渋の叫びを聞いて姉のドンは、意識が遠のいていく。
助け出された弟のダーは、左腕を失い気を失っている。姉ドンは、父親の遺体の隣に並んで置かれる。2人の遺体にすがりつく間もなく、ダーを救護所へ背負っていくユェンニー。だが、降りしきる雨の中でドンは息を吹き返し、避難所へ向かう人々の中で保護されて、解放軍人のワン・ダーチンとドン・グイラン夫妻に養女として引き取られていった。
限界状況の中で壮絶な決断をして心に深い傷を負いながらも、懸命に息子を育てていくユェンニー。自分は選ばれなかった深い悲しみと、苦渋の決断をした母ユェンニーの声が頭から離れない娘のドン。この2人のその後の生きざまを骨太な柱に据えて、家族の絆のしなやかさや強さが丹念に描かれていく。
唐山大地震のシーンのような迫力ある演出が、この作品のようにあまりにも素晴らしいと、人間の内面性のような深みが埋没してしまう恐れがよぎる。だが、この作品はそのような心配事を見事に打ち砕いてくれる。一人ひとりの人生の決断と生き方が、厳しくも優しいまなざしで切り取り、繋げていく。
唐山の瓦礫の中で愛するものを失った一人の婦人が、声を振り絞り「神さま!なんということをしてくれたのか!!」と、天に向かって叫ぶ。それは、だれの胸にも込み上げてくる慟哭。
だが、それは神の存在の拒否とは聞こえてこない。神もくは神仏の存在に触れるシーンは、唐山での地震のシーンとドンの妊娠にかかわるところだけ。しかし、聖書の神を信じる者には、聖書の神が人と人の出会いと営みの中に生きて働かれていることを知っている。その視座から見つめれば、唐山大地震から32年後に起きた四川大地震をきちんと描き、そこで再会する姉ドンと弟ダーの再開からラストシーンへの展開に、深く心打たれる。そこには、失ったものの意味の大きさに打ちひしがれながらも、自ら決断してきた意志を真摯に生き抜いてきた者の勇気と赦しの謙虚さがあふれている。
唐山大臣では24万2千人、重傷者16万4千人も犠牲者が数えられている。この日本でも阪神大震災(1995年)、新潟中越地震(04年)と大きな地震災害が起き、被災した人々の心に深い傷が刻まれ、同時に他人事には済まされない連帯の絆が結び合わされてきた。それぞれに負っている長く重い心の余震。その悲しみの深さを思い遣る心のつながりが、明日への一歩を気付かせてくれる。 【遠山清一】
監督:フォン・シャオガン、中国映画/2010年/2時間15分。提供・配給:松竹。3月26日(土)より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー。原題:唐山大地震 AFTERSHOCK