映画「わたしの、終わらない旅」――受け継がれゆく“核”不要、“脱原発”への使信
タイトルの’わたしの’という一人称は、直接的には本作の坂田雅子監督ご自身のことのようだ。坂田監督の母・坂田静子さんが、手作りの謄写版印刷で1977年から「聞いてください」の標題で地域に配布し続けた。ひとりのクリスチャンとして、明日を担う子どもたちのため、そして、まだ生まれていない子どもたちのために、生活者の視点からの’核’の危険性、原子力発電などに疑問を発し、よく調べ、危うい道からの脱出を訴え続けた亡き母のいのちへのメッセージ。「花はどこへいった」「沈黙の春を生きて」で枯葉剤被害について描いてきた坂田監督が、福島第一原発でメルトダウンが起こり、母・静子さんの警鐘が現実となったことから、改めて核エネルギーの歴史と未来を考える旅を撮りあげたドキュメンタリーだ。
母・静子さんが’脱原発’へと踏み出したきっかけは、長女・悠子さんからの1通の手紙。悠子さん一家が住むガンジー島(英国)の対岸にあるラ・アーグ岬(フランス)の核燃料再処理工場から漏れる放射能汚染被害が出始めているという内容だった。
それから35年以上が経ち、坂田監督は姉の悠子さん一家が今も暮らす英仏海峡を訪ね、原発、再処理工場、核廃棄物を貯蔵するラ・アーグの現状を取材する。原子力発電所や関連工場が造られ’原子力村’にまで発展したいきさつ。住民の反対運動の歩みと現在。広場に核廃棄物を詰めたドラム缶が積み上げられ、土を被せただけの貯蔵現場に背筋を凍らせられる。
46年に行われたマーシャル諸島ビキニ環礁での核爆発実験。地上だけでなく水中核爆発実験も行い、放射能汚染で今も奇形の魚が獲れる。ビキニの住民は、船着き場も作れないキリ島へ移住させられた。いまも、3か月に1回輸送船が生活物資を運んでくる不便な暮らしを強いられている。ある島民は、カヌーで他の島へ渡れないキリ島での暮らしを「監獄生活みたいだ」という。
50年代は、米ソを中心に頻繁に核実験が行われた。カザフスタンのセミパラチンスク核実験場では、450回も実験を行なった。さらに、人造湖の造成に核爆弾が使用された。周辺地域の住民は、いまも低線量の放射線に曝(さら)されている。
静子さんが35年ほど前から告発し続けていた一つひとつが、現実となって映像に記録され、問題の所在と被害者の証言などが、いまも「聞いてください」と迫ってくる。
4年前、福島原発がメルトダウンし現在も放射能を放出している。本作には、坂田監督の’わたし’のみではない迫りがある。謄写版印刷の鉄筆を握らざるを得なかった静子さんの指針は、いま生活している場から出来る’わたしの’現在と未来への旅の始まりへと誘われる。 【遠山清一】
監督:坂田雅子 2014年/日本/78分/ドキュメンタリー/ 配給:シグロ 2015年3月7日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。
公式サイト http://cine.co.jp/owaranai_tabi/
Facebook https://www.facebook.com/owaranaitabi
◎ポレポレ東中野での公開期間中、「核をめぐる」トークイベントが開催されます。
<すべて10:30の回上映終了後>
3月7日(土) 加藤登紀子さん(歌手)×坂田雅子監督
「母から子へ いのちをつなぐメッセージ」
3月8日(日) 坂田雅子監督 舞台挨拶
3月10日(火) 鎌仲ひとみさん(映画監督)×坂田雅子監督
「福島第一原発の事故から4年を前に、いま伝えるべきこと」
3月14日(土) 後藤政志さん(元・原子力プラント設計者)×坂田雅子監督
「技術者の目から見た原発の安全性/危険性」
3月15日(日) 島田興生さん(写真家)×坂田雅子監督
「ビキニと福島 2つの土地を見つめて」
3月21日(土) 太田昌克さん(共同通信編集委員)
「日米核同盟 原爆、核の傘、フクシマ」
※予定変更等は、上記の公式サイトにてご確認ください。