2018年04月08日号 01面

 次世代の信仰の確信と献身を願い開催されたユース青年大会「リフォユース500」(宗教改革500周年記念教会青年大会、日本基督教団主催、3月21日開催)には青年ら千人以上が集った。説教や賛美リードにカトリックと、プロテスタントの日本基督教団、ルター派、福音派、聖霊派から登壇。宗教改革を踏まえ、神への信頼、日本の将来への期待が力強く語られた(3面に関連記事)。【高橋良知
09フィナーレ

集会全体は現代的なバンドスタイルで賛美や祈りを交え進行した。特別賛美チームは、リーダー中山有太氏(イエス・キリスト愛の教会牧師)と、前夜祭を盛り上げたロックバンド、ナイトdeライトらで構成。「イエス様に注目しましょう」と導き、終盤では「自分を捨ててイエスに従う祈りを」と勧めた。

 ゲストとして、キリスト者学生会(KGK)のダンスチームKDK、事前にワークショップを重ねた100人ゴスペルクワイア(中山栄嗣ディレクター)、ロックバンドのサルーキ=が全身で福音を表現。会場も総立ちになって応答した。

「宗教改革」を次世代の言葉で語る

05関野

説教では宗教改革のスローガン、「キリストのみ」「信仰のみ」「聖書のみ」「万人祭司」について、教派が異なる4人が担当。ロックバンド、牧師Rocksのボーカルでもある関野和寛氏(ルーテル東京教会牧師)は、ヨハネ3章16節を引用し、「お前のためにキリストは命をかけたんだ」とロックテイストで語りかけた。

 宗教改革の歴史を振り返り、「自分の命を救う神の言葉が一握りの人にしか届いていなかった」とまとめ、「500年たった今も変わってない」と指摘。「なぜ日本でキリスト教が伝わっていないのか。イエスが命をかけて語った言葉を教会や教派教団の中に閉じ込めていないか」と問いかけた。

 ルターが「私は神の言葉に立つ」と述べたことに触れ、「自分のために命をかけた方がいる。何も怖くない」と将来の教会への取り組みを励ました。

06晴佐久

晴佐久昌英氏(カトリック浅草、上野教会司祭)は説教者の姿勢として「イエス様が私を通して語ると信じて語る。そうでないと、とてもじゃないけど、ここに立てない。才能あるなしは関係ない。それを承知で神様は私たちを選ぶ」と話した。  青年時代から長年かかわっていた後輩が、この日、神父になる叙階式を迎えたことを紹介。「神学校をギリギリの成績で卒業。失敗もあり神父の道が閉ざされていた。しばらく故郷で助祭(神父の前段階)を続けた。彼のすばらしい働きがあちこちから耳に入った。彼を通して救われた人、生きる勇気をもった人がいた。神父叙階が決まり、私は泣いた。彼は、『神父をあきらめよう』と思ったこともあったという。しかし『神が望めば必ずかなう』という信仰に立ちました」 「日本の教会はまだ黎明期」とも述べた。「この日本でキリストの教えがすべての人を救う光を放つ」と期待を語った。

07大嶋

大嶋重徳氏(KGK総主事)は、ヘブル4章12、13節から語った。「ヘブル書が語るのはイエスは誰か、自分とどういう関係があるか。ここを取り戻さなければ宗教改革の意味はなくなる」と語った。「ありのままの自分は罪人。神の言葉は、そのままではいけないと語る。神の前に隠し通せるものはない。イエス様は私の罪をすべて分かっているのに、あきらめずに助け、私の罪のために十字架にかかってくれました」 「リフォユースに来て『教会が仲良くなる』『クリスチャンがたくさんいてよかった』で終わってはいけない。『聖書のみ』の信仰が重要。いつもの教会や、また毎朝個人で読む聖書が生きた神のことばだと信じたい」と勧めた。「神のことばは、自分に対して生きているように、友人にも生きている」として、学生時代に後輩が目の前で信仰告白をしたときの感動を紹介。さらに40年間伝道していた父親が最近信仰告白したことにも触れて励ましを語った。

08小林

小林克哉氏(日基教団・呉平安教会牧師)は「今回、他の説教者のような賜物をもたない私が、なぜここに立つことになったか。理由は1つ。神に選ばれたからです」と語った。

 マタイ4章17節を引用し、「悔い改め」とは「方向を変えること。呼びかける方の声の方を向くこと」と解説。教会に行き始めたころ、高校受験に失敗し落ち込んだ経験を話した。まだ信仰はあいまいだったが、ある夕方、暗闇の中で光を見てイエス・キリストを確信した。

「たった1つはっきり分かったことは、イエス様は、決して私を見放さず、見捨てることも無いということだ。すべての人に対しても確信をもって語れる。何があろうとも、イエス様はあなたを見放さず、見捨てることはありません」

   「神は、私たちをチームとしても選ばれる」と述べた。「牧師、説教者、賛美リーダーだけが召されているのではない。特技のない人間も、ある人間も、チームとして召されている。それぞれの教会、教派を大事にするだろう。それと同時に私たちは、個々の教会を超えてこの国に福音を宣べ伝えるため、一緒に召されている。今、ここにキリストはおられ、神の国は始まっている。伝えましょう。家族、友人、隣人、この国の人々に。恐れなくて大丈夫。いっしょに召されているチームがある。神様は決してあなたを見見放さず、見捨てない」