「土俵の上に女性は上っても良いのか。救命のために土俵に上がった女性の問題です。……」

by クリスチャン新聞福音版2018年6月号  スクールカウンセラー碓井真史先生執筆のコラム「あなたのことが好きだから」

土俵の上に女性は上っても良いのか。救命のために土俵に上がった女性の問題です。そのときには、「女性の方は土俵から降りてください」とアナウンスが流れましたが、後日相撲協会が謝罪のコメントを出しました。相撲協会は、救命目的は例外だとしつつも、また伝統を大切にしたいとも言います。たしかに、伝統を無視して良いわけはありません。

二千年前。ユダヤ人たちは、厳しい律法に従って生きていました。たとえば、週に一度の「安息日」には働いてはいけません。これは、大切な決まりです。

ところが、イエスの弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食べます。これは禁じられている労働だと、イエスに反対する人々が抗議しはじめました。けれどもイエスは語ります。「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません」(新約聖書・マルコの福音書2章27節)。

イエスは、決して律法の破壊者ではありませんでした。むしろ、律法の完成者でした。言葉尻や表面的なことだけにとらわれず、律法の真の意味と目的を実現させたのです。現代にも、様々な伝統や決まりがあります。ルールを守ることはとても大切です。しかし、すべてのルールは「いのち」のためにあるのだと思います。

「廊下は走ってはいけません」。小学校の決りです。しかし、火災が発生し、後ろから火が迫っているときも、走ってはいけないのでしょうか。もちろん、そんなことはありません。いのちを守るためのルールに従っていのちを落としたら、本末転倒です。

では、急いでいるときは廊下を走っても良いでしょうか。それも違います。ルールを破る人には、いつもそれなりの理由があるでしょう。けれども、それでルール違反が許されるわけではありません。気に入らないルールも守り、自分に不都合なルールにも従う必要があります。

宗教改革で有名なジャン・カルヴァンの本を読むと、しつこいほどに法律には従え、王様や警察や役人に従えと何度も出てきます。繰り返し、上の権威には従えと強く主張しているのです。そうして、従うことの大切さをずっと強調し続けたそのあとで、それでもなお王が神の意思に背くのなら、そのときには抵抗せよと最後の最後に語っています。

道徳が正式な教科になると話題になっていますが、心理学では道徳心の発達についての研究があります。最初人は、やりたいようにやります。次に、親や先生の判断を道徳の基準とします。さらに成長すると、決まりを守ることの大切さを知ります。そして発達の最終段階になって、決まりの重要さを心から理解しつつ、それでも真に大切なことのために行動できるようになるとされています。

学校も政治も大相撲も、真の目的は何なのでしょうか。みんなの幸せのために、私たちはどのように考え、何をするべきなのでしょうか。