COVID-19と教会の社会的責任とは? 逃げない、治める、受け入れる 宣教フォーラム分科会②(下)

日本福音同盟(JEA)宣教委員会主催による「JEA宣教フォーラム2020」が9月29、30日、オンラインで開催。テーマ「コロナ禍で、宣教について考える」に関連し、主題講演(10月18、25日号既出)と共に分科会でも議論が展開された。分科会「COVID-19と教会の社会的責任」では、元公衆衛生医の吉田浩二氏(JECA・厚別福音キリスト教会牧師)が発題。今回はその続き。
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感染者が礼拝に出席するリスク計算、新型コロナの国内発生動向などのデータ、感染症の歴史などを踏まえながら「コロナ禍にあって礼拝を休むことが社会的責任を果たすことではない」と強調する吉田氏。では教会の果たすべき社会的責任とは何なのか。吉田氏は①逃げない、②正しく治める、③受け入れる、の三つのキーワードを挙げた。
①では、「恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしがあなたを助ける」(イザヤ41・14)を引用し、こう語った。「ルターの書簡から、〝逃げない〟ということに目を留めたい。説教者や牧師などの霊的奉仕に関わる人は、死の危険にあっても堅く留まらなければならない。信徒の方が逃げることはあっていいとルターも認めている。ウイルス感染は確かに怖いし、私も怖い。しかし、神様に召された教職者は、怖いからと言って逃げてはいけない。私たちは『虫けらのヤコブ』のような者だが、こんな虫けらでも神様は守ってくださる」
②については、「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這(は)うすべての生き物を支配せよ」(創世記1・28)を引用。「私たちは人類に対する文化命令に目を留めたい。地上の生きとし生けるものを治める責任が私たち人間に与えられている。新型コロナも例外ではない。人類の歴史は感染症との戦いの歴史とも言える。新型コロナもその歴史の一幕だとしたら、私たちキリスト教会はそれにどう対処するのか問われているのではないか」
具体的には、第一に「過剰反応しない」こと。「その背景には感情的な恐れ、認識の誤りがあると思う。公衆衛生学的に感染症に対応する際、事前確率という概念が大切だ。事前確率とは、その集団についてまだきちんとした検査はされていないが、そこに感染者がいる確率が高いか低いか、ある程度事前に推測される確率のこと。例えば介護施設では、一般的な状況では事前確率はかなり低い。その場合、一般的な感染防止対策を取ればよい。だが入居者の中で一人でも陽性者が出たら、その時点で事前確率が高い状態に変わる。その時は高度に専門的な感染症対策が求められる。しかし、事前確率が低いにも関わらず、厳しい対策を取ることは事前確率に関する認識の誤りということに、、、、、、、

2020年11月15日号掲載記事