8月6日広島に、9日長崎に原爆投下されてから76年。今年も広島、長崎で原爆で亡くなった人たちを追悼する礼拝、集会が開かれた。今年はコロナ禍で、大人数で一緒に集まれない状況もあり、対面だけでなくオンライン併用での開催が見られた。また、当日の内容が見られるよう終了後に音声・動画をウェブサイトにアップする追悼礼拝もあった。

平和の使者として新しい一歩を

広島 被爆76年 8・6キリスト者平和の祈り

広島では、6日に「被爆76年8・6キリスト者平和の祈り」が、広島市中区の広島流川教会で開かれた。カトリック広島司教区、日本基督教団広島西分区、日本聖公会広島復活教会、広島市キリスト教会連盟共催。
最初に肥塚侾司氏(カトリック光教会司祭)が挨拶。「被爆60年の2005年、私たちの先輩である牧師、神父たちに『何かしないといけない。まずできるのは祈りだ』との思いが与えられ、この集会は始まった。『8月6日には、広島のどこかの教会で、キリスト者が、平和を祈るために集まっている。世の終わりまで』。この願いから、被爆した方々の話を聞く形で続けられている。今日祈ることで、私たち一人ひとりが8・6平和の使者として新しい一歩を踏み出す大きな機会になることを祈念し礼拝を捧げたい」と述べた。

被爆証言する塩冶節子さん

続いて、被爆者、被爆者二世、若者、子どもたちの代表が、「平和の鐘」を点鐘。亡くなった被爆者に「どうぞ水を飲んで下さい」という思いを込め「献水」が行われ、「とりなしの祈り」(1981年、ヨハネ・パウロ二世の広島「平和アピール」より)が司会者と一同で交読された。
被爆証言は塩冶節子さん(日基教団・広島古市教会信徒)。塩冶さんは「母の手に助けられて~被爆体験と私の役目~」と題して語った。塩冶さんは5歳の時、爆心地から約1・6キロの、比治山通りのすぐそばにあった長屋で被爆した。「天空が光った瞬間、がれきが落ち、真っ暗闇の中に入った。すると、ぱっと光が入って、母の手が伸びてきた。私は母に助けられた」、「何が何だか分からないまま表通りに出た。遠くに火が燃えているのが見えた。真っ黒に焼け、髪もぼうぼうになっている人々の姿が遠くに見えた。その姿が5歳の私の脳裏に焼き付いている」
「いちばん記憶に残っているのは、やはり子どもたちの死だった」と塩冶さん。「再び戦争がないように、子どもたちが悲しまないように、と願いながら被爆体験を語っている。小さな働きだが、神様がこの役目を与えてくださっている。これかも頑張って語っていきたい」と話した。
「被爆76年8・6キリスト者平和の祈り」は、広島流川教会のウェブサイト(URL https://nagarekawa-church.com/)で視聴できる。

 

平和は神の言葉に聞く訓練から

長崎 被爆76年 長崎原爆記念礼拝

長崎では9日、「長崎原爆記念礼拝 死の同心円から平和の同心円へ」(日本聖公会長崎聖三一教会、日本聖公会九州教区主催)が、長崎市大浦町の同教会で開催。長崎市内のプロテスタント諸教会、キリスト教学校・団体が加盟する長崎キリスト教協議会(柴本孝夫委員長)が合流した。礼拝の模様は、Youtubeでライブ配信された。
式文に従い賛美、祈りが捧げられた後。原爆投下の11時2分前後に約5分間の黙祷=写真左=。続いて長崎聖三一教会牧師の柴本司祭が説教した。

原爆投下の11時2分前後に約5分間の黙祷

最初に長崎原爆に関する記録『原子爆弾の運搬から長崎市に投下までの映像』をYoutubeで見た感想を述べた。「この映像は、原子爆弾(通称ファットマン)が準備・投下されるまでを撮影したもの。B29から原爆が投下され、巨大なきのこ雲が立ち上っている様子と共に、前日、ラフな格好で淡々と作業を行っているごく普通の若い兵士たちの姿にショックを受けた。戦闘の準備は特別なことではなく、日常の流れの中で進められていく。兵士たちはこの後、一発の爆弾が一瞬のうちに7万5千人の命を消滅させることを想像できたのだろうか、と考えさせられた」
以前聞いた、アメリカ軍の海兵隊がどう作られていくかという話も衝撃的だったという。「12週間にわたるブートキャンプ(新兵の訓練)に、全米から若者が志願して参加するが、着いた途端、怒鳴られ、48時間眠ることが許されない。常に大声で叫べと怒鳴られる。上官の命令には絶対服従。こんなことが毎日行われる。こうして、普通の若者を人殺しできる人間に変えていく」
「愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」(コロサイ3・14、15、新共同訳)を引用し、「若者が御言葉に触れ、浸って過ごすことは重大なこと。人生で一体どんな言葉を聞いたかは、その後の人生に大きな影響をもたらすと思えてならない。私たちは神様の言葉に聞く訓練が必要だ。これこそが平和の同心円を広げることだと思う」と結んだ。この後、原爆で亡くなった長崎聖三一教会の信徒をしのび、花が捧げられた。