写真=ラジオの収録に臨む村上氏(左)、羽鳥氏。1991年ごろ

PBA(太平洋放送協会、矢木良雄理事長)が創立70周年を迎えた。その働きは、ラジオ「世の光」、テレビ「ライフ・ライン」を始めとして、日本の放送伝道の草分けとなり、今なお日本の諸教会によって支持され、多くの視聴者に聖書のメッセージを届け、福音の種をまき続けている。8月26日には「PBA創立70周年記念礼拝」がオンラインで開催された。70年の歴史を踏まえて、PBAはさらにどのように歩みを進めていくのか。オンライン礼拝の模様とともに、矢木理事長、セランダー常務理事に話を聞いた。【髙橋昌彦】

 

 宣教団支援から日本の 教会による協力体制へ

 

オンライン礼拝では、最初にその歴史が映像でたどられた。1949年、当時NHKが独占していたラジオ電波を民間に開放するよう連合軍占領本部が指示し、ラジオによる福音放送を志した6人の宣教師により、51年、PBAの前身である太平洋東洋放送会社が設立された。

その翌年には、日本初の福音放送「暗き世の光」が北日本放送(富山)から開始された。すぐに「世の光」と改題され、当時の民法30局中23局から放送された。54年にPBAと改称し、羽鳥明氏が理事長兼ラジオ牧師に就任した。

60年からテレビ「世の光」の放送が始まったが、60年代半ば以降、それまで経済的に支援してくれていた団体が独自の働きに資金を振り分けるようになり、経済的な危機に直面する中、羽鳥氏は『日本人への伝道は、日本人の責務。海外からの援助でなく、日本の教会協力の上にこの放送伝道を成り立たせる』として、全国各地の教会を巡って支援を呼びかけ、現在につながる「協力会」「支える会」が各地に起こされていった。

名誉会長の村上宣道氏は、エペソ書5章15〜17節からメッセージ。

「過去70年、その時々で『今の時・機会』を生かしてきたのがPBAの歴史だった。最初は、電波の民間開放にすぐさま反応し、ラジオ放送を開始した。経済的な危機に際しては、羽鳥氏はむしろ喜ぶべきと受け止め、全国の地域教会による協力体制を築いた。

その危機が、PBAの働きをその本質的なあり方へと転換させた。今、コロナウィルスによる地球規模の緊急事態の中で70周年を迎えたのには特別な意味がある。いかにしてこの危機を未来への飛躍のステップとするかが問われている。

『網を降ろせ』と言われる主の言葉に従い、今与えられているノウハウ、機器、人材に加えてネットワークという協力体制を用いて、この危機を機会と捉えたい。コロナで人々が距離を取り、分断、孤独が深刻化し、自殺者の増大する今、メディアは心の距離を縮め、つなげる役割を担っている。

この働きは、神の働きであればこそ、主の熱心に促されて進められてきた。時代が変わっても主は変わらず先頭に立って導き、方法は変わっても前進し、さらなる飛躍を与えられると信じている」

(この後、常務理事のティモシー・セランダー氏と理事長の矢木良雄氏が、地上波の可能性、地域教会が宣教の担い手、と語ります。2021年10月31日号掲載記事)