本郷台駅前のイベントでトールペイントを楽しむ

月井さんは3月末から3週間ほどポーランドで支援活動に従事。一度帰国したが、5月に再度ポーランドに赴き、約2か月間、ポーランド、ウクライナで支援活動を行った。
そんな中、ハンガーゼロはウクライナ国境の町プシェミシェル人道支援センター(通称テスコ)内に、日本への渡航を希望する人のための相談窓口「ジャパンデスク」を開設。相談は月井さんが対応した。「現在、ハンガーゼロ経由で15人、日本に避難してきている。他にも日本行きを希望する人がいて、身元保証人の保証書と共にワルシャワにある日本大使館でビザを申請し、ビザが発行されれば、日本に来られる」
現在、オアシスやハンガーゼロの呼びかけに応えた教会が身元保証人となり、更に数人がビザ申請の準備を進めている。身元保証人となったオアシスでは、行政の支援を受けるための手続きや日本での生活の相談支援、日本語を学ぶ支援など、様々なサポートを行っていく。「ウクライナからの避難民の中には、プロテスタントの信仰を押し付けられたくないという方もいるが、そのような人たちも受け入れ、まず個人的な信頼関係を築き、キリストの愛をもって仕えるようにしている」と月井さんは言う。

オデーサで。母親との別れの時

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3人の避難民に話を聞いた。カトリーナ・フルトワさん、クリスティーナ・コローブカさん、ヤナ・ラブリーシコさんだ。インタビューには、英語ができるフルトワさんが答えた。  ラブリーシコさんはドネツク出身。ドネツクは非常に危険な場所であり、キーウから3時間ほどの場所に親兄弟で避難していたが、そこも危険だと感じ国外へ。国外のどこにするか考えた時、日本の文化が好きだったこともあって、日本に決めた。
ラブリーシコさんを含む3人が日本を選んだ理由は、安全な国であることと、日本人の優しい国民性だと言う。オデーサ出身のフルトワさんはこう語る。「家族はブルガリアに避難していたが、そこではロシアのテレビ番組が放映されていて、ロシアを応援する人が結構いた。助けてくれた人には感謝しているが、安全だとは感じられなかった。それで、日本に行こうと。母は私たちが日本に行くことを応援してくれているが、オデーサの家が爆撃に遭うのでは、と心配なので向こうに残っている」
フルトワさんはオデーサで、母親と涙の別れをしてきたという。
こうして日本に避難してきた3人の、日本に対する第一印象は「都会だなあ、発展しているなあ」ということ。「横浜は未来のオデーサを見ているみたい」とフルトワさんは驚く。

左からフルトワさん、コローブカさん、ラブリーシコさん、月井さん

一方、様々な手続きの書類の多さに驚いたとも語る。「ウクライナでは、身分証明書、パスポート各種、ワクチン証明書など、役所に行かなくても全部、携帯でできる。その点の違いに驚いた」
日本では、3人ともデザイン関係の仕事につきたいと願う。今後についてフルトワさんは、「日本に残って日本で生活を築いていきたい。そのために日本語の勉強も始めている。そういう中で、ウクライナに戻って家族に会えることを望んでいる」、ラブリーシコさんは「私は日本が好きだけれど、戻れる時が来たら戻りたい」と語った。
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今後、ハンガーゼロ、オアシスでは、身元保証人となる日本の教会や団体が増やされることを願っている。月井さんは「必要はまだまだ大きいので、関心のある方はぜひお問い合わせください」と語った。
問い合わせ先は以下の通り。【一般財団法人オアシス】Eメールinfo@oasis-smile.jp、Tel045・894・3500(担当 鈴木)。