2000年4月2日号《ヘッドライン》

2000年4月2日号
《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎中国の知識人、革命よりキリスト教倫理に関心——J・チャオ氏語る
★大阪で若者による若者の全国生年宣教大会
★米国:国連人権委員会に中国非難決議案提出へ
★中国:宗教団体への指導を強化
★居ながらに世界宣教を——英・中・日対訳トラクト
★<21世紀への対話>ペンテコステと福音派(11)万代栄嗣・内田和彦
★<落穂抄>JTJ宣教神学校のスピリット ◎<落穂抄>命にかかわる救急隊員のプロ意識  = 2 面 =
★拝啓、税務署長殿:献金は礼拝での信仰の行為 記・鈴木 重義
★モザンビーク:洪水の被害広がる——石川博之宣教師救援活動へ=
★モザンビーク:現地入りした石川博之宣教師から第1報
★モザンビーク洪水被害にワールドビジョンも救援活動
★ウガンダ:教会集団自殺? 死者500人以上
★6月に福島で初の「キャンプ宣教学校」——キャンプ宣教研究所が主催
★ブライダル宣教団が20周年
★<世界の出来事フラッシュ>アルバニア、トルクメニスタン
◎<論説>子どもを迎え入れる教会に 記・片岡 伸光
★<逆転の信仰経営>(43)生まれ変わったビジネスマン<21> 三谷康人回顧録
 = 3 面 ザ・教会=
☆日本福音キリスト教会連合・本郷台キリスト教会
 = 4 面 関西だより=
★若者らが全国生年宣教大会開く
★阪神宣教祈祷会:堀越勝氏迎え震災・心の復興セミナー
★ゴスペルフェスティバル2000、5月19日大阪国際会場で開催
★来年の伝道大会の講師、結論持ち越し
★機関紙ちょっと拝見
 = 5 面 =
★ありのままで病と向き合う——患者の西田 稔と医師の朋美さん父娘
◎若手牧師ら新世紀の東京伝道考える——ミレニアム・クラブ発足
★松永希久夫氏「イエスの生と死」、NHKで4月から放送
★<召天>更井 良夫氏(岡山博愛会名誉理事長)
★<召天>内藤 淳一郎氏(前女子聖学院短大教授)
★<召天>浅野 輔氏(元TBSニュースキャスター)
★<声なき叫びが聞こえますか=43>土曜日の教会を子どもの活動の場に 記・岡本富郎
 = 6面 =
★<聖書66巻>箴言記(2)心の価値をはかられる主 記・世良田 湧侍
★<書評>「人間イザヤとその預言」鍋谷 尭爾著
★<新刊書紹介>「日本の市民から世界の人々へ」平和遺族会全国連絡会編
★<新刊書紹介>「医師は叫ぶ」キリスト者遺族の会編
★<情報クリップ>催し情報ほか      
 

中国の知識人、革命よりキリスト教倫理に関心−−J・チャオ氏語る

台湾総統選挙で、陳水扁氏の当選により、国民党政権樹立以来50年で政権が交代。
微妙な中台関係のなか、自由化を巡って中華人民共和国がどちらの方向に行くかが注目を集めている。
そんな情勢下、総統選の直前に、台湾から中国教会情勢についての第一人者、ジョナサン・チャオ(趙天恩)氏が来日。
信仰への政府の干渉を嫌って、弾圧をも甘受する地下教会の道を選んだ「家の教会」の立場から20年以上、中国とその教会の情勢を注視してきたチャオ氏が、中国自由化のすう勢にキリスト教的な思想が大きな影響を与えていることを指摘し、中国文化のキリスト教化のビジョンを訴えた。
自由化が実現した時に備えて、国外からできる助けにも触れ、特にクリスチャンビジネスマンに挑戦を投げかけた。 自由化にらみビジネスマンに「備えを」 講演のテーマは、「近年の中国における聖霊の働きと新しい千年期へのビジョン」。
3月13日、神戸・カベナンター書店ホールで、日本キリスト改革長老教会神戸神学館(瀧浦滋校長)が公開講座を開いた。
チャオ氏は、聖書の権威にのみ服そうとする福音的な「家の教会」の立場から、20年以上にわたって中華人民共和国とその教会の情勢をリサーチ。
香港返還に伴って台湾に拠点を移し、調査と、神学教育などにおける家の教会への協力を継続してきた。
チャオ氏は、市場経済移行や近代化が急速ななかでも、家の教会が依然、監視や弾圧を受け続けていることを指摘。
そのうえで、中国の将来を憂える一般の学者や知識人の間でキリスト教への関心が高まっており、そのことは聖霊の働きであると受け止めて、「福音的なクリスチャンが中国の文化をキリスト教化していく備えをするべきだ」と強調した。
また、家の教会の開拓期、聖霊は超自然的なしるしや癒しというかたちでの働きを頻繁に行われたことを指摘。
一方、天安門事件など社会的出来事のなかにも摂理のみ手を働かせて、中国の将来の方向性を導いておられると洞察した。
クリスチャンでない学者らのキリスト教への関心の例として、ある大学の哲学部主任が「革命倫理はもはや中国において有効ではない」と語ったと指摘。
革命のためなら殺人を含め何でもやってよい、という考え方では中国の未来は開けず、社会の安定のためにキリスト教の倫理を持ち込むことを考えているというのだ。
「そのような関心から、何百という学者が真剣にキリスト教を学んでいます」天安門事件は、共産党員を含む多くの知識人が、民主化促進を願うきっかけとなったと指摘。
彼らが無神論やマルキシズムの放棄まで視野に入れている文脈のなかで、政府公認の三自愛国教会を含め、教会に多くの人々が押し寄せている、と解説。
過去において清朝の崩壊で教会の刷新がもたらされたのと同じ程度に、中国の教会にとって重要な出来事として記憶にとどめられるようになる可能性が高い、と指摘した。
中国文化のキリスト教化について、中国は過去1500年間、徹底的な「人間中心」思想でやってきた、と指摘。
そこに、創造主であり絶対者である神を認める聖書的世界観を確立していくのは「大きな弁証論的使命で、500年はかかる。
私たちのできることは限られているが緒はつけたい」と語り、将来、本土に大学を設立したいとのビジョンを語った。
「新聞やテレビ局も設立されるでしょう」国外からできる働きとして、「土地が安い間にクリスチャンビジネスマンが、できるだけ広い、よい土地を買ってほしい。
将来そこに学校や病院を建てることができる」と語った。
自由化に伴い、家の教会が世俗化や権威主義に陥る危険もあると指摘。
将来に備え、交代可能な複数リーダーシップなどの教会政治のあり方を構築することや、福音的神学で装備する必要性などを指摘した

<論説>子どもを迎え入れる教会に 記・片岡 伸光

主イエス・キリストは、「子どもたちを、わたしのところに来させなさい」と言い残された。
私たちはこの命令を、今の時代にもう一度新たに聞き直す必要に迫られていると言わなければならない。
成人である私たちは、自分の課題だけでもこなしきれない程多忙な日を送っていることであろうが、キリストはその私たちに、子どもたちがキリストのもとに行くことができるようにしなさいと言われるのである。 子らを取り巻く環境 今の子どもたちは、幼い日から、将来に備えての「教育」のために、非常に詰め込まれた生活をしている。
彼らの生活は、学校以外にも塾や習い事の時間で埋まっている。
幼少時から教育のためにあまりにも時間をかけることは逆効果で、後にこれからというとき、無気力な青年を生み出すということが指摘されても、その流れと勢いはいっこうに衰えない。
そのような国と時代に生きていることを、しっかり見据える必要がある。
しかも、それらの「教育」の多くは知識・技術の習得に終始しており、人の生き方やたましいのことは取り扱われていない。
じつのところ、子どもたちの多くは、罪の問題に、それとは知らず、また持っていく先もわからず悩んでいるのであり、罪を解決してくださる唯一のお方であるキリストの元へ連れて行かれることがどうしても必要である。
そして、それこそが、教会に託された第一の使命であることを覚えたい。
その一方で、自分が生きることに精いっぱいで親になりきれない人を親に持つ、放置された子どもも増加しているように見受けられる。
経済的には豊かで衣食は足りていても、精神的にストリート・チルドレンと変わらない状況の子どもがいるのである。
親から受けるべき注目を受けていない子どもも、親の一方的な関心を集めすぎた子どもも、等しくキリストの元に連れていかなければならない。 問われる教会学校の役割 従来から教会では、子どもたちのために日曜学校、教会学校が開かれている。
もともと日曜学校は、親が十分目をかけることができない子どもたちの所に出かけ、福音を伝える働きから始まったと聞いている。
また、教会学校は、教会に集う人の生涯教育の一環としての位置づけをもつものであろう。
教会は、まだ教会に来ておらず福音を知らない子どもたちにとどくことと、すでに教会に来ている子どもたちにみことばを教えることの、二重の使命をいつも与えられているのである。
名称の由来はともかく、私たちの教会の子どもに対する取り組みもまた、みことばを情報として与える教室として終わっていないだろうかということが問われる。
それは、必要なことだが、子どもたちがキリストを信じて生きるように育つことに目を向けなければならない。
教育は、教え育てると書くが、子どもが育つという視点から教会学校教育を見直す必要がありはしないか。
育つことは当の本人が主体的にすることであるが、それが可能となるためには、いつも温かく見守ってくれる仲間や先輩が必要である。
ともに生きているという経験が、育つことを支える土台となる。 一部の人の重荷でよいか 教会学校の働きが、一部の重荷を負う人だけの働きになっていないだろうか。
毎週毎週、子どもたちの前に立つのは、なま易しい務めではない。
自分の命を与える務めであると言っていい。
彼らの前に立ち、生き、かかわりを持ち続けてこそ、子どもの信仰が育つのである。
その働きを支えるのは、担当者の使命感はもとより、教会全体がその働きを認め、関心を払い祈ることである。
教会全体が子どもを迎え入れるようになることである。
そのことは、まずは、私たちが教会に来ている子どもたちに関心をもつことから始まるのではないか。
また、まだ教会に来ていない子どもたちのために、祈ることを始めたいのである。
(記・片岡 伸光)

若手牧師ら新世紀の東京伝道考える−−ミレニアム・クラブ発足

東京の若手の牧師や伝道団体スタッフらの協力関係作りと、21世紀の東京における伝道ビジョンの模索を目指すネットワーク「ミレニアム・クラブ」の第一回の会合が、3月7日、東京・千代田区のお茶の水クリスチャンセンターで開かれ、25人が参加した。
東京だけでなく、神奈川県や埼玉県からも、これからの伝道ビジョンに関心を持つ参加者があった。
同クラブは「キリスト降誕2000年を画期的なあかしの年に」東京地区の伝道委員会が、「2000年にとどまらない、2001年以降の東京における伝道を、東京の若い教職者や伝道団体ワーカーの協力関係によって考えたい」と呼びかけて実現。
協力関係作りの一手段として、Eメールやインターネットによる参加者同士のネットワーク構築を提示しているのが一つの特徴。
(1)東京の若手の牧師、伝道師、神学生、伝道団体スタッフの認知とメーリングリスト(Eメールのアドレス名簿)作り、(2)交流、親睦を深めて、東京のための同労者として協力関係を築く、(3)21世紀の若者をとらえる伝道ツールや戦略のシンクタンク作り、(4)21世紀に行う東京全体レベルでの伝道プロジェクトの母体作り、(5)2001年の具体的な伝道を話し合う場の提供、の5つを目的とする。
集会では、発起人の一人の栗原一芳氏(日本キャンパス・クルセード・フォー・クライスト代表)による目的説明の後、日本コンピュータ聖書研究会代表の能城一郎氏(単立・暁キリスト教会牧師)を講師に「インターネット社会と21世紀の教会」と題してミニセミナーを実施。
能城氏は「21世紀の若者伝道にはインターネットなどのメディアが不可欠」として、「伝道の使命に立ち、先見性をもって技術を身につけること」を訴えた。
参加者のほとんどはコンピューターを使用しており、会場では名刺と共にメールアドレスの交換も行われた。
「今後さらに、東京で主のために働く人、特に20代、30代の若手の働き人が積極的に参加してくれるように願っています」と栗原氏。
四月から六月にかけては毎月会合を開くと共に、活動状況を知らせるニュースレターをEメールで配信する用意もある。
次回の会合は4月11日午後1時30分からお茶の水クリスチャンセンターで。
アーサー・ホーランド氏の講演、最近のブラックゴスペルブームについての報告と考察、新世紀の伝道ツールの展望などを予定している。
問い合わせは栗原氏(TEL042・926・0868)へ。