2000年4月9日号《ヘッドライン》

2000年4月9日号
《ヘッドライン》
 = 1面 =
★子らの危機覚えマーチ・フォー・ジーザス今年フィナーレ——6月10日11都市で大規模更新
◎「沖縄宣教研究協議会」発足——教派横断して困難な課題を検討
★イスラエル:帰還民の市民権撤回
★台湾:教会指導者、台湾の主権承認を訴える
★第22回あかし文学賞の第1次選考通過作7編
★<21世紀への対話>ペンテコステと福音派(12)万代栄嗣・内田和彦
★<落穂抄>子どもの存在そのものが感動ジョイジョイキャンプ
 = 2 面 =
★NCC:「生命倫理」に神学的検討——特設委員会を発足
★同盟基督教団:「日の丸・君が代」拒否問題は継続審議
★「慰安婦」問題の戦後責任果たす立法措置を求め請願運動
★ペルー:福音派信徒がゲリラに処刑
★米国福音同盟:NCC加盟教会の正式加盟を認める
◎<論説>注目されるユダヤ人理解 記・中川健一
★<逆転の信仰経営>(44)生まれ変わったビジネスマン<27> 三谷康人回顧録
 = 3 面 =
★「国旗・国家」強制と抵抗の視点:多様なあり方視野に共同戦線を 記・亀井俊博
★「国旗・国家」強制と抵抗の視点:法的視座からの抵抗と闘いの理念 記・漆崎英之
 = 4・5 面 聖書特集 面 =
★「死海写本」の発見——聖書写本の意義 記・杉本智俊
★死海写本に関する資料
★現代的な演出とSFXで描く21世紀のイエス伝——ビデオ「ムービー・オブ・ジーザス」発売
★一般の出版社から出た聖書の資料
★<書籍紹介>「四福音書対観韓表 ギリシア語—日本語版」荒井 献・川島貞夫監修
★<書籍紹介>「新共同訳・新約聖書略解」山内 眞監修
 = 6面 全面広告=
☆日本ペンサコーラ聖会「目覚めよ日本 クルセード2000」
5月24日~26日(パシフィコ横浜)、27日(横浜文化体育館)
講師・スティーブ・ヒル
 = 7面 =
★漫画伝道、夢だった!——初のクリスチャン漫画大賞発表
★信仰表現する活動に評価——版画家・西村正幸さん名古屋市芸術賞受賞
◎爆破活動は聖書に逆らう行為だった——益永利明死刑囚・三菱重工爆破事件を謝罪
★ブラジル:「歌う神父」のミサ、インターネットにも登場(http://www.padremarcelorossionline.com.br)
★三浦文学 映画と賛美コンサートのジョイント
★<声なき叫びが聞こえますか=44>困難の中にも「私のための十字架」を思う 記・岡本富郎
 = 8 面 =
★<聖書66巻>箴言(3)知恵ある者のことばを聞け 記・世良田 湧侍
★<書評>「聖書の牧会者たち」クリスティアン・メラー編、加藤常昭訳
★<新刊書紹介>「神父ド・ロの冒険」森 禮子著
★<新刊書紹介>「物語新約聖書」五十嵐 均著
★<情報クリップ>催し情報ほか      

「沖縄宣教研究協議会」発足−−教派横断して困難な課題を検討

沖縄のキリスト者が、沖縄の現状と課題をふまえたこれからの宣教のあり方を、プロテスタントの主流派、福音派、カトリックなど立場の違いを超えて共に研究する「沖縄宣教研究協議会」が発足、3月12日に北谷町の聖公会北谷諸魂教会で発会式を行った。
この協議会は、98年11月に開かれた「98沖縄宣教・伝道会議」後に設立が提案されたもの。
同会議では、歴史的・文化的特異性と政治的・社会的に困難な状況にある沖縄の土壌をより深く理解しようと、沖縄のキリスト者が幅広く教派の違いを超えて討議。
そこで見いだされた宣教の理念と方策を日本全土と世界に発信すること、各教派の信仰と神学の共通点・相違点を明らかにしつつ宣教活動において一致協力できる点を探ること、を目標に掲げた。
このような会議を定期的に行い、沖縄宣教の諸問題の討議、超教派的交流を継続するための協議会の設立が、同会議の実行委員会から提案されていた。 「宣教・伝道会議」で提案、定期開催の主体に 事業内容は▽「98沖縄宣教・伝道会議」と同質の会議を4年に一度開催し、その際の呼びかけ団体となる▽同会議の分科会で討議された基地問題などのテーマを継続して学ぶ機会を年に1、2回開く際の推進団体となる▽講演会・フォーラムなどの開催、会報・研究誌・レポートの発行など。
「神学」「基地・平和」「沖縄の宗教・習俗」「アジア宣教」「天皇制問題」などの部門が置かれる。
同協議会は今後さらに諸条件を整え、将来的に「沖縄宣教研究所」となることを前提にしたもので、2002年開催予定の次回の宣教・伝道会議までには名称を変更するとしている。
理事会の構成は以下の通り(敬称略)。
▽理事長=友寄隆治(那覇キリストの教会牧師)▽理事=折田政博(天久神の教会牧師)、平良修(日基教団・うふざと教会牧師)、棚原恵正(聖公会・屋我地聖ルカ教会牧師)、名嘉隆一(日基教団・コザ教会牧師)、谷昌二(聖公会沖縄教区主教)、荷川取順市(ホーリネス・高原教会牧師)、比嘉盛二郎(日基教団・高原教会牧師)、国吉守(那覇バプテスト教会牧師)、ラサール・パーソンズ(カトリック・小禄教会司祭)、芳澤弘和(日基教団・美里教会牧師)、饒平名長秀(神愛バプテスト教会牧師)▽常務理事=饒平名長秀▽事務局長=荷川取順市。
沖縄宣教研究協議会の事務所は、〒901-0201沖縄県島尻郡豊見城村真玉橋372。

<論説>注目されるユダヤ人理解 記・中川健一

3月12日に行われた特別ミサで、法王ヨハネ・パウロ?世は、カトリック教会が過去にユダヤ人や女性、異端者、原住民などに対して残酷な扱いをしたことを謝罪した。
この謝罪に対しては、さまざまな反応が上がっている。
反ユダヤ主義の見張り人でもある反中傷連盟(ADL)は、「教会の悪行の認識についての新しい進展」と評価しているが、その一方で、ホロコーストへの言及がないとしてこの謝罪に不満を表明するユダヤ人も多くいる。
また、ドイツのプロテスタント教会からは、今回の謝罪はカトリック信者の罪を認めたもので、カトリック教会の過ちを認めたものではないという神学的な声も上がっている。
いずれにしても、この謝罪と法王のイスラエル訪問を契機として、キリスト教とユダヤ教の対話が急速に進展することは間違いない。
日本でも、ますますユダヤ教やユダヤ人に対する関心が高まってくるであろう。 日ユ同祖論とは このような時、私たちにとって重要なのは、聖書的にユダヤ人を理解するとはどういうことなのかを知ることである。
その際に問題になるのが、いわゆる「日ユ同祖論」である。
最近は、書籍だけでなく、インターネットのホームページを使ってこの立場を啓蒙しようとする動きもある。
日本人はユダヤ人の血を引いているというのが、「日ユ同祖論」の立場である。
その中にも、さまざまなバリエーションが見られる。
(1)日本文化とユダヤ文化の関連性を強調し、両民族のなんらかの繋がりを示唆するもの、(2)天皇家とユダヤ人との関係を強調するもの、(3)失われた北の十部族のある部分が、日本に流れ込んできたとするものなど。
日ユ同祖論に関しては、次のような点に目をとめておく必要がある。 日ユ同祖論は聖書的ユダヤ人理解を助けるか (1)日本人とユダヤ人の関係は、現時点では、だれも学問的に肯定も否定もできないテーマである。
(2)ユダヤ人を自らの先祖とする考え方は、日本固有のものではなく、世界中にその型が見られる。
英国、韓国、中国にも、それはある。
(3)自らの先祖がユダヤ人であることに気づけば、日本にもリバイバルが起こると考える人もいるようだが、それは非現実的である。
多くのユダヤ人は、イエス・キリストを信じてはいない。
また、北の十部族も、偶像礼拝の民として知られていた。
ユダヤ人であることと、真に霊的であることとは別問題である。
(4)日ユ同祖論を伝えることが福音となり、本当の福音が二義的なものになってしまう。
イエス・キリストの十字架を伝えるという情熱が、そがれてしまう。
異邦人にとっても、ユダヤ人にとっても、イエス・キリスト以外に、救いはないということを思い出そう。
(5)日本人がユダヤ人の末裔(まつえい)であるかもしれないと考えることは、本来ユダヤ人に属している霊的な祝福を横取りする考え方である。
しかも、ユダヤ人たちが世界各地で迫害にあっている中で、自分たちは何の迫害も受けないで、いい所だけを取ろうとする都合の良い考え方である。
異邦人のクリスチャンたちは、メシアニック・ジューの兄弟たちが、日ユ同祖論のような考え方にいかに違和感と不快感を抱いているかを理解すべきである。
(6)異邦人がユダヤ人に対して果たすべき役割を忘れ、神の御心を無視する生き方につながる可能性がある。
以上のような理由から、筆者は、日ユ同祖論は聖書的なユダヤ人理解の助けにならないばかりか、逆に混乱をもたらすものと考えている。
ユダヤ人伝道や異邦人とユダヤ人に関係について論じるときは、啓示された神のことばである聖書を土台にし、その枠内で論じることが大切である。
(記・中川健一)

爆破活動は聖書に逆らう行為だった−−益永利明死刑囚・三菱重工爆破事件を謝罪

中東・ヨルダンの刑務所に収監されていた日本赤軍のメンバーが、先ごろ日本に送還され話題になった。
赤軍派などによるゲリラ事件が国内外で多発していた1970年代前半、「東アジア反日武装戦線『狼』(おおかみ)部隊」のメンバーとして、三菱重工ビル爆破(74年)などの企業連続爆破事件に関与し、87年に死刑が確定(現在再審請求中)した益永利明受刑者が、昨年12月2日、東京拘置所内仮法廷での同「『大地の牙』(きば)部隊」メンバーだった浴田由紀子被告の公判で証人として出廷。
三菱重工爆破事件の被害者、遺族に対して謝罪する文書を読んだ。
これは、益永受刑者の近況などを伝える「ごましおの会」の機関誌が今年1月に明らかにしたもの。
浴田被告の公判で、自ら用意した「謝罪書」を朗読。
若いときキリスト者として、戦争や暴力を憎む者だったが、戦争や暴力をなくすためにと自らとった行動が実際には暴力そのものだったと告白。
「その矛盾から目を外らしつづけた私は、『人を裁くな』という聖書の言葉に逆らい、神に背を向けて己れを絶対化した未熟でごうまんな人間でした」と認め、爆破行為を「民主主義社会では絶対に許されない反社会的行為」だったとして、三菱重工爆破で死傷した被害者と遺族、関係者に対し謝罪。
犠牲者への哀悼を表明した。
涙を流し、時折声をつまらせながら謝罪書を読み上げたという。
「謝罪書」の全文、近況はごましおの会のホームページで見ることができる(http://plaza4.mbn.or.jp/~hannichi/goma/no201.html)。
同ホームページの内容によると、獄中でも聖書を読み、防衛産業にかかわる企業の爆破などの行為を「正義」と思って活動してきたことが自己正当化の誤った行為だったと反省してきた模様。