[CSD]2003年10月12日《ヘッドライン》

[CSD]2003年10月12日《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎ゴルファー中嶋常幸の復活物語——出版記念会で夫婦が語る
★ライフセンター大阪書店リニューアルオープン、「オアシス梅田」に
★牧師が負傷——十勝沖地震
★<恵みのどんでん返し>脳梗塞、動揺の中で祈った言葉 記・小林 浩
★<落穂抄>コンビニより多い日本の教会

 = 2 面 =
★信仰者の自立学ぶ「バウンドリー」セミナー開催
★「社会に支えられ、社会に仕える福祉」——キングス・ガーデン連合研修会盛況
★イスラエルのための合同祈祷会—建国以来の危機覚え—
★<論説>青年宣教もうひとつのテーマ——読書のすすめ 記・山口 譲
★<今週の本棚>『イエスを十字架につけた人たち』池田 博著(いのちのことば社、1,300円) 評・平野 耕一
★<今週の本棚>『悩んでいないで聞いてみたら?』山下正雄著(いのちのことば社、1,500円)
★<今週の本棚>『しあわせいっぱい』ぶん リンダ・パリー/え アラン・パリー(女子パウロ会、620円)
<情報クリップ>催し情報ほか

 = 3 面 =
★児童伝道、新たなる出発へ——日本児童福音伝道教会(日本CEF)が本部を茨城に移転

 = 4 面 全面広告=
☆ジョン・ウェスレー生誕300年記念

 = 5 面 =
◎ミラノに日本語教会を——韓国・日本両教会が宣教協力
◎東ボントック語の新約聖書翻訳完了——虎川 清子宣教師が報告
★おっちゃん500人集まる——「釜ヶ崎」で毎週集会

 = 6 面 かぞくのページ=
★父子で取り組む冒険塾——いざ富士山頂目指して<前編>
★<カウンセリングカフェ>神の目的に合う使い方、大切な金銭感覚の一致 記・丸屋 真也
★<ちいろばの心>[2]自分自身の聖書物語を描くこと 記・榎本 恵
★<家族診断>[14]不登校したかいのある不登校を 記・碓井 真史


ゴルファー中嶋常幸の復活物語−−出版記念会で夫婦が語る0310120101

80年代、賞金王を4回獲得し、青木功、尾崎将司とともに日本ゴルフ界の黄金時代を築いた。しかし、95年より優勝から遠ざかった。昨年6月、ダイヤモンドカップで7年ぶりの優勝を遂げたクリスチャンプロゴルファー中嶋常幸さん。そこには、ありのままの自分を愛してくれる神様と出会った自然体の中嶋プロがいた。いのちのことば社マナブックスは、中嶋プロ復活の軌跡を妻の視点からつづった『ロープ-隔てから絆へ』(中島律子著)を10月に出版した。東京・千代田区のレストランで1日に開かれた「ロープ出版記念感謝会」(いのちのことば社ジャーナル出版事業部主催)では、一読して夫妻の飾らない率直で真実な内容に感動した牧師、伝道者ほか、一般のジャーナリストからも多大な賛辞の声が寄せられた。『ロープ』が今後どのように伝道に用いられるかが注目される。  「77年に中島家に嫁いだ時、普通に生活していた私は、世の中にこんな家庭があるのだと、まるでドラマの世界に入ったのかなあと思った。その中で神様がいつも介入し、道を整え、すばらしいドラマを作ってくださったことをうれしく思っています」と律子さんは言う。ゴルフ狂で試合に勝たないと納得しない父・巖さんとの確執で、真夜中、はだしのまま夫婦2人で家出を決行するなど、まさにドラマチックなエピソードに満ちた内容だ。
 もともと中嶋プロへの執筆依頼だったが、「彼女が書く『中嶋常幸』だったら読んでみたい」との中嶋プロのひと言で、律子さんが執筆することになった。
 タイトルは、中嶋プロのたっての希望で「ロープ」とつけられた。試合でよく見られる選手と観客を分ける「ロープ」だ。その中には、たとい家族であっても中に入ることはできない。
 ロープの中で戦う中嶋プロと、外で見守る妻。中嶋プロは前書きで「いつしか私は自分の心を自我という罪のロープで縛っていたのです。…絡めるロープや隔てるロープではなく、つながるロープに気がついた時から私は変わり、私のゴルフも変わりました」とつづる。
 律子さんは「主人が絶不調の時は、ロープというより鎖というイメージ。もがけばもがくほどきつくなっていった。でも神様が祝福の鍵をくださり、奇跡を見せてくださった。主人は校正段階から、涙を流しながら読んでいた」。神様を見ていなかったと悔い改めた律子さんの姿に「彼女の信仰が伝わってきた」という中嶋プロは、「評価に関係なく、神様のお役に立てただけでも協力してよかった」と述べた。
 中嶋プロは「9月に、倉本昌弘プロが8年ぶり優勝(茨城県石岡市・アコムインターナショナル)を遂げたけれど、見ていて涙が出てきた。人の勝利を心底喜んでいる姿は、昔では考えられなかったこと。自分は変わったなあと思った」と語った。
 細川勝利さん(福音キリスト教会連合・浜田山キリスト教会牧師)は『ロープ』を「愛とロマンのサスペンスのような本」だと語る。「苦しみ、試練、葛藤、極めつけは『祈るな』『祈らなかった』という不信仰。でも苦しみ、試練が宝となったものだけが、これだけ率直になれるのだと思った。成功物語でなく、朽ちない宝を探し続けている途上の新鮮さも感じる。だから人々の慰めになる」と本の感想を述べた。
 雑誌「プレジデント」で中嶋プロのインタビュー記事を書いたフリーライターの宮崎紘一さんは「中嶋プロの『一生懸命やる。結果はその次』、律子夫人の『人間は一人ひとり愛されている』の言葉の背後に、神様がいるのを感じた。これは単なる夫婦の物語でないと感じた」と述べた。
 中川健一さん(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ理事長)は『ロープ』を「戦後の伝道史上、画期的でインパクトのある本」と評価。?ゴルフの世界に焦点を当てることで人生そのものを語っている?自然体で語っているゆえに神様の恵みが映し出されている?親子関係を通して、天の父が私たちをどんなに憐れんでおられるかをよく表している、と述べ、「単に新刊が出たというレベルでなく、私たちの伝道のあり方にチャレンジを与えてくれる本」と語った。
 律子さんは「一般の人に読んでいただきたいと思うとともに、信仰をもっていながらキリストから離れている人に、特に読んでほしい」と願う。
 『ロープ』の問い合わせは、tel:03-3291-8524、ジャーナル出版事業部まで。【中田 朗】

ミラノに日本語教会を−−韓国・日本両教会が宣教協力0310120501

音楽、ファッション、アートの町として知られ、芸術を学びに来る若者が多いイタリア北部の古都ミラノ。ここには現在、約4千人の日本人が生活しているが、今まで日本語教会がなかった。この現状を見て、まずミラノで宣教する1人の韓国人牧師に日本人宣教の幻が与えられ、ミラノを訪れた日本人夫婦にそのビジョンが受け継がれていった。今年7月、内村伸之(34)、まり子(32)夫妻=シオンの群中野キリスト教会員=は、東京・中野区の同教会で執り行われた派遣式で按手を受けたあと、ミラノ入りした。
     ◇
 「今の学校教師の仕事を辞め、ミラノで日本人の宣教のため働いてはどうだろうか」。01年夏、休暇でミラノを訪れた伸之さんは、同地の韓国人教会「大韓イエス長老教会ミラノ賛美教会」で日本人宣教に踏み出していた林潤産牧師に言われた。その時は「仕事を辞めることはできません」と断ったが、一方で「魂が震えるのを感じ、御心であるならば主ご自身が私を招いてくださいと祈っていた」。
 その前の年、妻のまり子さんがチェンバロの学びのため留学。ミラノに日本語集会がないことを聞き、礼拝を守れる教会を祈り求めていたが、韓国人が日本人のため通訳を立てている賛美教会の存在を知り、出席した。「ミラノには2千人の韓国人に対し5つの韓国語教会がある。しかし、日本語教会は1つもなかった。林牧師はその必要を覚え、日本人の活動の準備をしていたのです」
 今から10年以上前、ミラノ駐在の日本人クリスチャンらによる家庭集会があった。参加者の帰国や転勤で中断したが、彼らはミラノを離れた後も日本語教会ができるようにと祈り続けた。
 やがて賛美教会とのかかわりの中で、ミラノに3か月間滞在することになった駐在員の日本人夫婦により家庭集会開始。最初は2人だったが10人、15人と増加。「日本人宣教師が遣わされるように」との祈りも積まれた。まり子さんも家庭集会を始め、そこで受洗者が起こされた。
 ミラノを訪れるたびに日本人の群れが成長するのを見てきた伸之さんは02年夏、「だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をする」(黙示録3・20)の御言葉が示され、「一番閉ざしていた心の奥にイエス様を迎え入れ、召しを確信した」。ミラノ駐在の日本人クリスチャンらの祈りが答えられた瞬間でもあった。
 翌年3月には教師を辞め、小牧者訓練会(卞在昌代表)が主催する12使徒共同体神学校で学ぶなどして、派遣に備えた。
 伸之さんは東京都総合技術センター研究員、東京都立芸術高校美術科の主任教諭として将来を嘱望されていた若手美術教師。「今まで築いてきたものを、なぜまた捨てなければならないのか、私が行かなくたっていいではないか、とも思った」
 しかし、伸之さんの美術、まり子さんの音楽のキャリアが、芸術の街ミラノでの宣教では大いに用いられているという。「ミラノには音楽、ファッション、デザイン、アートを学びに来る日本の若者が多い。夢を追う中で挫折する人たちも。そういう人たちの気持ちが私たちには理解できる。日本語教会の存在は、彼らには励まし、慰めの場として大きいのです」
 この働きの特徴は、ミラノの地において韓国教会と日本の教会との宣教協力によって進められていること。内村夫妻の生活費は、韓国側と日本側が半々で支援していく。
 日本では、シオンの群中野キリスト教会、福音キリスト教会連合・キリスト教朝顔教会はじめ、多くの教会と信徒有志により「内村伸之・まり子宣教師夫妻を支える会」が結成され、支援体制が整えられている。
 現在、伸之さんは宗教ビザ取得のため一時帰国中だ。「イタリアでは、宣教のために来る日本人は初めてのケース。宗教ビザを取得し、キリスト者としての正統性が認められた中で宣教活動ができるよう祈ってほしい」と語った。
 【内村伸之・まり子宣教師夫妻を支える会】〒164-0002東京都中野区上高田4ノ46ノ9、tel&fax03-3386-5156、Eメールmilano@mission-i.net。ホームページhttp://www.mission-i.net/【郵便振替】00130-4-480962(内村伸之・まり子さんを支える会)。
【中田 朗】

東ボントック語の新約聖書翻訳完了−−虎川 清子宣教師が報告 0310120502

日本フリーメソジスト教団・海外宣教大会(日本フリーメソジスト宣教支援会主催)が9月28日、大阪市阿倍野区の大阪キリスト教学院教会で開かれ、日本ウィクリフ聖書翻訳協会の翻訳宣教師虎川清子さん(南仙台キリスト教会)からフィリピンのごく一部で使われている東ボントック語の新約聖書翻訳が完了したことが報告された。
     ◇
 7千の島を擁するフィリピンの言語は約80。公用語はタガログ語、学校では科目により英語やタガログ語で学び、日常会話は現地語。日本では考えられない言語環境だ。
 ウィクリフ翻訳宣教師として79年にフィリピンに渡った虎川さんが、ルソン島の山間部、人口約5千人のバーリグ村で東ボントック語聖書翻訳プロジェクトに参加したのは85年。翻訳作業と共に東ボントック語の識字教育も推進した。文字は発音しない音を除いたアルファベット23文字。村で日常使われる東ボントック語の読み書きを普及させるためだ。「ウィクリフが提唱していることは、真に教会が自立して働くには、母語に訳された聖書が不可欠であること。御言葉を文字にしなかったら伝わらず、広まりません」
 娘を訪ねた虎川さんの母に「二度と行きたくありません」と言わしめたほどの僻地のその村は、写真で見ると日本の山間の田園風景によく似て、狭い棚田が山を刻んでいる。階段状に作られた道が主要な生活道路。相当険しい土地だ。
 「非常に懐の深い親切な人たちばかり。私を親戚のように受け入れてくださって、あんたは何も持ってないからと、お米や鶏の足をくださったり。あるとき生きた鶏をいただいて、こわごわ絞めたんです。あ、やっと死んだなと思って鍋に入れると生き返っちゃって、悲鳴を上げたことがあります」
 泣き笑いを繰り返しながら徐々に村の暮らしにも慣れ、周囲の協力を得て翻訳に取り組んでいった。困難だったのは、ない言葉を探すことだった。土地に存在しないものは言葉としても存在しない。海がないから海という言葉はない。ぶどうも羊も、存在しないから、ない。
 「ほかの地域の共通語を使ったり、意味を変えないで正確にわかりやすく表現する工夫をしながら訳していき、1節1節複数の人に見てもらって確認していきました。1章訳し終わるのに1か月かかりました」
 99年に新約聖書の翻訳は完成したが、69年の言語調査から始まったプロジェクトで当初訳されたものが古くなったため、改訂訳を行う作業が待っていた。この最後の大仕事では、中国人、カナダ人等多国籍の協力者が与えられ、当初懸念していた遅滞もなく、8月15日に翻訳は終了。任務を終えた虎川さんは、異境の地で過ごした年月から大きな収穫を得たと振り返る。
 「体も弱く、鶏も絞められない人間だった私を神様はだんだん強くしてくださいました。できない、ではなく、『神様、これをさせてくださるならできる力を与えてください』と祈って、恐る恐るでもやらねばならないのだとわかりました。神様は必要も弱さもご存じの上で、時にかなって与えてくださることを体験してきました」
 虎川さんを長年支えてきた教団、教会は、今回の偉業を共に祝福。南仙台キリスト教会の行川孝夫牧師は「現地訪問でわかったことは、これは祈りと支えがないとやっていけないということでした。この18年間、翻訳のために支援し続けてくださった教団の皆さんと完成の時を共にできることは感謝です」と喜びのメッセージを語った。
 現在、現地ではバーリグ聖書協会が旧約聖書の翻訳をスタートさせている。来年4月17日には同地で献書式が行われる予定だ。   【藤原富子】