[CSD]2004年3月21日《ヘッドライン》

[CSD]2004年3月21日《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎神学校校長(下川友也氏)、北の国で牧師になる——無牧の教会へ行こう
★見た者に悔い改め迫る——メル・ギブソン監督映画「パッション」全米で話題
★<恵みのどんでん返し>去った教会員を神に委ねて 記・萩生田 明
★<落穂抄>少年Aへの手紙

 = 2 面 =
★東京基督教大学に「信仰と文化センター」始動——アジアの宣教指導者とネットワーク化
★靖国に代わり得るか?——「国立追悼施設」めぐりシンポジウム
◎<緊急連載・心の監視はどこまで来たか>[2]「国旗に向かって起立」が義務?
★<論説>オウム事件の問い——宗教の意味を批判的に検討する 記・稲垣 久和
★<今週の本棚>『ヨセフの見た夢』遠藤嘉信著(いのちのことば社、1,800円+税) 評・佐々木哲夫
★<今週の本棚>『愛の便り Love Letter』卞在昌著(小牧者出版、8820円)
★<今週の本棚>『枯れ木にいのちの水流れて』金守珍著(いのちのことば社、1,500円+税)
<情報クリップ>催し情報ほか

 = 3 面 特集・聖書の世界を広げる=
★「21世紀・聖書注解シリーズ」マタイ3巻完成——開かれた態度が研究実らす
★「新改訳聖書」改定3版に対応の出版計画続々——『新聖書注解』『チェーン式聖書』など
★大型聖書注解の邦訳続く——「ニューセンチュリー」「ティンダル」
★聖書各書の中心主題がわかる『聖書66巻がわかる』——早くも4刷、新改訳3版に対応
★NIV(新国際訳聖書)との和英対照聖書出版計画相次ぐ
★歴史探訪:聖書和訳の先駆者ヘボンの足跡を訪ねて

 = 4 面 北米日本人宣教 =
◎米国で家族の救い祈る——邦人学生同士が励まし合い 記・石田みちよ
★気軽なおしゃべり通じ——日米協力で留学生伝道 記・金田 豪

 = 5 面 =
★卒業する20代——次の一歩に成長活かすぞ
★大阪レディースランチョン35周年——70回のランチョン伝道「教会支援があったから」
★バロック時代へ「ご招待」——松蔭オルガン・コンサート
★<召天>丸山安太郎氏(98歳)——「キリスト教日本未伝地地図」を独自調査で発行
★英国:国教会がウェブ牧師を募集
★<CDの時間>「二番目に言いたいこと」ソプラノ・西 由起子(ライフ・ミュージック、1500円=税別)

 = 6 面 ビジネスのページ=
★<信仰人スピリッツ>会社に埋没せず自立を目指す——経営コンサルタント島田事務所・島田 恒さん
★<ミッションと起業>洋菓子製造は布教でもあった——森永製菓・森永乳業(株)創業者 森永 太一郎 記・杉山康夫
★<ブックレビュー>『五十歳からの生き方で大切なこと』佐藤 綾子著 評・中野 雄一郎(海竜社、1,400円)
★<私の信仰とビジネス>[19]営利企業から見た非営利団体・2——ヤマト福祉財団理事長・小倉 昌男

神学校校長(下川友也氏)、北の国で牧師になる−−無牧の教会へ行こう0403210101

 過疎化が進む地方の教会で牧師不足が深刻だ。その中で、この3月に東京基督神学校の校長を定年で退任する下川友也氏(64)=日本同盟基督教団副理事長=が、4月から北海道沙流郡日高町の日高キリスト教会に牧師として赴任する。5年間の無牧を堪えてきた10人の信徒たちは「こんな小さな教会にすばらしい先生が来て下さるなんて」と驚きながら、「主は本当に祈りに応えて下さる」と大きな喜びにわいている。多くの教職が一線を退くとともに無牧教会の増加が課題となっているが、地方に展開する教団の教会が全国規模の教団に合流する中で実現したこの教職人事は、問題解決のひとつの可能性を示している。   【根田祥一】
 下川氏は20年間の牧会を経て86年から18年間、東京基督神学校の校長として献身者を育てる働きに専念してきた。日高赴任のいきさつについて、3月1日発行の「牧会ジャーナル」04春号に掲載の手記「若い牧師に贈る言葉」で証ししている。校長退任を前に昨夏、次の進路を求め祈っていた。クリスチャン新聞発行の『クリスチャン情報ブック』を開き、どのようなところへ行くべきか探り求める中で、無牧が多い日本の教会の実情が見えてきたという。
 まだ少々は働ける。日本中、世界中、駆け回るのは若い伝道者にまかせて、私たちができるのは辺境の教会の働きではないかそんな思いがわいた。北から順に都道府県別に全国の教会リストを編集してある『情報ブック』を見て祈るうち、特に北海道の無牧が気になった。ちょうど、北海道を地盤とする聖書福音教団の諸教会が地方の小教団の閉塞状況を打ち破るため日本同盟基督教団に加盟する話がまとまったところで、無牧の教会への牧師派遣が課題となっていた。「摂理的なタイミング」と下川氏は受け止めた。  
 日高キリスト教会は1955年の天幕伝道に端を発し、スウェーデン人宣教師の協力を得て聖書福音教団の教会として数代の日本人牧師が赴任したが、5年前から無牧になっていた。かつては5千人ほどあった人口が今では2千100人にまで減った過疎の町だ。車で1時間ほどの門別町にある同教団富川福音教会の竹内忠教牧師が兼牧し、2か月に1度ほど礼拝を担当するが、他教団も含む近隣教会の牧師らが交代で毎週の礼拝を支えてきた。
 10人の信徒のうち80代の男性1人は入院中。残りの9人は60代から80代の女性で、5年間の無牧の間、「みんなでイエス様を中心にしてやっていきましょうと、無我夢中でした」と教会員の武田洋子さん(62)は語る。「人口は減ったが、これからまだまだ救われなければいけない魂はたくさんいる。日高に合った牧師を与えて下さい」と祈り続けてきたという。
 その結果与えられたのが下川氏。武田さんは「下川先生は私たちと同じ年代なので気持ちも通じますし、日高の教会にちょうどいい方を神様は備えて下さいました」と感謝する。
 昨年12月、日高に「お見合い説教」に行った下川氏は「5年間の無牧を堪え忍んでこられた姉妹たちの信仰に、歓迎に、もったいないような気持ちです。生かされて今、なお主の召しに応えることのできる幸いをかみしめています」。
 日高の信徒たちは「人生の一番密度の高い時に来て下さる牧師を大切にしていこう」と話し合い、「東京から来られる先生夫妻が寒くないように」と牧師館の窓を三重にし床暖房を設置するなど内装を新たにした。まだ寒い日高の4月、できるだけの気持ちで牧師夫妻を迎えようと、信徒たちは手編みの手袋と靴下を用意し、首を長くして着任を心待ちにしている。

<緊急連載・心の監視はどこまで来たか>[2]「国旗に向かって起立」が義務?0403210203

 「国旗に向かって起立」「国歌斉唱」。従わない教員は処分される。処分が続けば免職だ。こうした強制の流れはどこから来たのか。
 戦前、教育勅語が教育全体を支配し、「皇民」の精神形成をした。学校行事では儀式規定で、紀元節などの祝祭日に教師・生徒一同が行う儀式が定められた。内容は、御真影(天皇皇后の写真)拝礼、勅語奉読、祝祭日唱歌斉唱など。さらに、祝祭日に歌うべき歌として「君が代」が告示され、「君が代・日の丸」は、天皇の祭祀と結びついた祝祭日などの儀式や様々な学校行事で重視されていった。
 実は戦前、国旗も国歌も法律で定められたことはない。しかし、日清・日露戦争前後から学校では「君が代」が国歌、「日の丸」が国旗として扱われ、子どもを通じて国民に普及していった。さらに十五年戦争中の1941年、国民学校令で教育の目的に「皇国の道」を明記し、「日の丸・君が代」は学校行事に不可欠のものとなった。
 敗戦後、日本国憲法・教育基本法の制定後は、学校行事の中で「君が代」斉唱や「日の丸」拝礼はなくなった。ところが50年に文相が、祝日の行事には国旗掲揚、「君が代」斉唱が望ましいとし、修身復活の必要を表明。58年、文部省は学習指導要領を改訂し、祝日などに「国旗を掲揚し、君が代をせい唱させることが望ましい」と明記した。以来「国旗国歌法」成立を待たずに、文部省は「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と位置付け、学校での実施率を高めるべく圧力をかけ続けた。御真影が「壇上正面の国旗」に代わっただけ。国家が教育の場を舞台に、力で「お上」への忠誠心を絡め取ろうとする構図は戦前とうりふたつだ。
 「国旗国歌法」施行後、同法には国旗掲揚や国歌斉唱について何も規定がないが、学校では「従わなければ処分」が現実に。それを厳格に職務命令化した昨年10月の東京都の通達はこうした流れの急先鋒だった。
 1月30日、都立高校や養護学校の教員228人が、都教育委員会を相手取り、国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務のないことなどの確認を求めて、東京地裁に提訴した。  【根田祥一】

米国で家族の救い祈る−−邦人学生同士が励まし合い 記・石田みちよ0403210401

 日本人青年が留学先の北米などで信仰をもち、クリスチャンになる割合が高い。伝道を進める日本人クリスチャン学生や日本人教会、アメリカのクリスチャンらの協力体制がここ数年整ってきた。昨年末イリノイ州で開催された学生対象のアーバナ宣教大会での日本語集会と、ワシントン州の日本人教会の宣教の様子をレポートする。
 「2万人近い学生が人種を超え、国境を越えて集まって神様を賛美する機会は、天国を垣間見たようでした」(ネバダ州・岡卓也さん)「言葉が違い、文化が違い、生活習慣が違うのに、神様の御前に共に集まり、共に主を賛美し礼拝をささげる。全員が一つになれたのです。その一人ひとりが、神様と一対一の個人的関係を同じ場所でもっていたことが励まされました」(東京聖書学院修養生・藤原真由巳さん)。昨年暮れ、米国イリノイ州にて行われたアーバナ宣教大会に参加した日本人の生の声だ。
 アーバナ宣教大会は、3年に1度、北米の大学生を対象に世界宣教への献身を促すことを使命として開かれてきた。200人近くの日本人の参加者(多くが北米で勉強する日本人留学生)があった。北米以外の国としては、1か国からの最多参加者で、約30人が日本からの参加者(日本ホーリネス教団より)、約180人がカリフォルニアをはじめとした北米各地からの参加者だった。
 期間中毎晩、JCFN(日本人クリスチャン・フェローシップ・ネットワーク)のコーディネートのもと、日本語集会が開かれた。中心となってコーディネートしていた森作ダンさん(JCFNアソシエート・スタッフ)は、「97年のアーバナに参加した際、初めてあれだけ多くの日本人のクリスチャンに一度に出会いました。主は日本を、日本人を愛している。その励ましを今回参加する皆さんに体験してもらいたい。そして主が自分を呼んでくださったように、今回の参加者から次の世代のリーダーを主が立ててくださるように、と祈り仕えてきました」と語っていた。その祈りのとおり、多くの日本人参加者が、初めて多数の日本人クリスチャンに出会えた感動を語っていた。この日本人集会でのネットワーキングが、今も北米で、あるいは帰国後、海を越えて日米間で続いている。
 日本語集会の中で、日本の家族・友人の救いのために、特別にとりなしの祈りをするときが設けられた。「今、リバイバルがあると信じています。もし、私たちクリスチャンが心を一つにしてとりなしの祈りをするなら、必ず神様は日本に奇跡を起こしてくれることと思います」と、カナダから参加した岩本美和さんは言う。彼女は、本大会中でアラブ首長国連邦(UAE)からの留学生が、イスラム教の家族との確執を乗り越えてキリストを受け入れた力強い証しを聞き、まだ救われていない家族との関係を神様と正直に向かい合う決断をした。  今、JCFN本部に寄せられつつあるアーバナ宣教大会の証しには、神様から触れられ人生が変えられている体験、献身に対する願いが綴られているという。 ロサンゼルスから参加した藤田義彦さんは、アーバナをきっかけに多くの兄弟姉妹の背後の祈りに支えられ、聖書大学に行くことを決断したという。日本から参加した佐々木郁美さんは、アーバナをきっかけに心燃やされ、できなかった朝のデボーションができるようになり、友人にクリスチャンだということが言えるようになった。将来についての漠然とした不安が消え、自分は何もできないと今まであきらめていて挑戦しなかったことをチャレンジできるようにもなったという。
 また、参加者の中には、このような人生を変える宣教大会が、形が違ったとしても日本にも起こってほしいという声もあった。藤原真由巳さんは、「お互いが励まされ、砕かれ、神様と個人的に深く交わり、宣教・伝道に対する思いを新たにさせられ、神様にどのような形であっても、献身していく者が起こされるようなすばらしい青年大会がいつか日本で実現されるように祈っていきたい」という。アーバナ宣教大会から、たくさんの参加者が決断とパッションを日本に北米各地にもち帰った。今この瞬間も、神様のみ国の建設が進んでいる。(記・石田みちよ)