[CSD]2010年1月24日号《ヘッドライン》

[CSD]2010年1月24日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎ウガンのダエイズ孤児らとCS生徒らの文通が本に——『ウガンダに咲く花』コイノニア社から出版
★新成人にエール——「真の希望伝えて」

 = 2 面 ニュース=
★東アジア10か国の青年らも互いに祈る——セントルイス市で第22回アーバナ宣教大会 記・青木 勝
★平和宣教大賞に故田内千鶴子——日韓キリスト教議員連盟10周年 東京記念式
★<逝去>白柳誠一枢機卿(カトリック東京教区大司教、81歳)
★<落ち穂>龍馬ブームのなかで

 = 3 面 ニュース=
★マレーシアで教会攻撃——キリスト者も「アラー」使える高裁判決にイスラム教徒反発
★卞氏らをパワハラでも提訴——「上位者に絶対服従」強いられ障害に
★中米ハイチで12日に大地震——WVJで緊急支援へ派遣
★民主党政権でも首相は伊勢神宮参拝——政教分離の会など抗議声明
★<オピニオン>教会のユダヤ人に対する負債 記・藤山勝彦

 = 4 面 ニュース=
◎キリストの教会系3派が聖書復帰運動200年で合同礼拝——世界的にも初めての「大いなる交わり」

 = 5 面 ビジネスパーソン =
★岸本 茂雄さん[上](伊藤忠総務サービス[株]取締役)——「君のポストはない」と言われ
★<人生何とかなります>[2]実際的な情報が失業者の助けに 記・佐藤 敏

 = 6・7 面 特集/日本ケズィック・コンベンション =
☆私を変えたケズィック——圧倒的なみことばの恵み

 = 8 面 全面広告 =
東京聖書学院 2010年度 学生募集
ホームページ http://www.jhc.or.jp/tbs/

 = 9 面 情報 =
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★MOVIE:「ユキとニナ」——ナイーヴな心を包む森(日仏共同監督作品。23日より恵比寿ガーデンシネマほか全国ロードショー)
★BOOK:『キリストこそ我が救い——日本伝道150年の歩み』日本基督教団日本伝道150年記念行事準備委員会編(日本キリスト教団出版局、2,730円税込)
★REVIEW:『人物でたどる礼拝の歴史』江藤直純、宮越俊充編(日本キリスト教団出版局、3,150円税込)評・荒瀬牧彦

 = 10 面 教会学校 =
★託児所が地域とのパイプに——東京ホライズンチャペル世田谷
★<CSもうひと味>今春の教会学校研修会?——CS教師デビューの人へ

 = 11 面 クリスチャンライフ =
★ハンセン病隔離から100年を超えて[2]——療養所も教会も高齢化
◎生誕100年記念でマザー・テレサ映画祭——東京都写真美術館で2月14日まで開催

 = 12 面 教会 =
★区と合同建築し新会堂 地域へと「出て行く教会へ」——御茶の水キリストの教会



◎ウガンダのエイズ孤児らとCS生徒らの文通が本に−−『ウガンダに咲く花』コイノニア社から出版=100

 「私はあなたと出会うために、そして神様を信じるために、生まれてきたことを知りました。本当にありがとう」。アフリカ中央部に位置するウガンダ。長年の内戦で貧しく、エイズに苦しむ子どもたちが多くいる国でもある。そのウガンダの子どもたちと、神奈川県川崎市にある日基教団・桜本教会(藤原繁子牧師、鈴木文治伝道師)の教会学校(CS)の子どもたちが、文通を通して美しい物語を紡いだ。昨年12月、『ウガンダに咲く花』鈴木文治編著、コイノニア社、千260円税込)として1冊の本になった。

 冒頭の言葉は、死を前にしたウガンダの孤児ナマトブさん(仮名)が、小学校5年生の千佳さん(仮名)に宛てた最期の手紙のひと言だ。手紙には「千佳さん、ありがとう。私の友達になってくれて。あなたがいて、私は生きる元気をもらいました」とも記されている。
 この手紙を書いてまもなく、ナマトブさんは12歳の若さでエイズで亡くなった。千佳さんはその知らせを聞いてショックを受け、しばらくCSに行けなくなった。「神様、どうして? 本当にいるの?」と疑問を投げかけるようにもなった…。
 この物語は、「実話に基づいたフィクション」と編著者の鈴木さんは言う。文通のきっかけは94年、同教会にアジア学院で学ぶウガンダ人留学生(本書ではサンテグさん)が訪れたことから。彼は、長年続いた内乱で両親を失い孤児になり施設で暮らす子どもが多い、週1回しか学校に行けない、子どもの多くがエイズにかかっている、というウガンダの現状を語った。鈴木さんは、そんな孤児たちを何とか支援できないかと考え、CSで集めた献金を送ることに。そんな関わりの中で文通が始まった。
 本書では、2人が文通を通して深い部分まで心を通わせていく姿が描かれている。戦争で家族をみな失ったナマトブさんは、「戦争は絶対にいや」と千佳さんに本心を打ち明ける。千佳さんは日本とウガンダの状況の違いに驚き、戸惑いながらも、日本にもいじめがあること、障がいをもった友達の明子さんがいじめられた時助けられなくて、後で明子さんに謝ったこと、などを打ち明けた。
 そんなやりとりを重ねるうち、2人はかけがえのない友達となっていった。「私には、千佳さんという友達ができました。神様が二人を結びつけてくれたと思います。ずっと、いつまでも友達でいようね…」。ナマトブさんの言葉だ。
 このような美しい物語が生まれた理由として、鈴木さんは「極限に置かれながらも信仰をもって生きるウガンダの子どもたちの姿」を挙げる。「多くの子どもたちは自分がやがてエイズで死んでいくことを知っていたと思う。でも、自分にはイエス様がいて、将来には希望があるんだということを手紙で表明している。この姿に、日本の子どもたちが励まされた」
 また、桜本教会が「インクルージョン(どんな人をも排除しない)の教会」として、ホームレスの人、障がいをもった人、在日外国人と一緒に礼拝する教会であることも大きいと語る。「そういう環境の中で、CSの子どもたちは弱い立場にいる人たちの痛みを感じる感性が養われていたのではないかと思います」。本書にはホームレスの人や、障がいをもった人も登場する。
 その後の千佳さんについて。千佳さんは再びCSに出席するようになり、現在はCS教師として子どもたちを教えている。また養護学校の先生になることを目指しているという。
 大人、子ども問わず、多くの人に一読をお薦めしたい。

◎キリストの教会系3派が聖書復帰運動200年で合同礼拝−−世界的にも初めての「大いなる交わり」=10

 ルーツを同じくする「ディサイプルズ」、「キリストの教会無楽器派」、同「有楽器派」の3派が、「聖書復帰運動」から200年の区切りの年、再びキリストにある一致を目指していこうと、合同礼拝を昨年11月29日に開催した。
 「聖書復帰運動」は、約200年前の米国で、聖書の解釈の違いから様々な教派が乱立していることに心を痛めた人々が中心となって開始。キリストにあって一つである教会の回復を目指した。初期の指導者の一人トーマス・キャンベルは、その著書『宣言と訴告』において「教会は聖書に帰らなければならない。イエス・キリストの教会は一つである」と主張し、大きな影響を与えた。復帰運動の開始時期については議論が分かれているが、『宣言と訴告』の記されたのが1809年であることから、一つの区切りとされている。
 ディサイプルズ、無楽器派、有楽器派の3派は、復帰運動をもとに生み出された一つの群れだった。しかし南北戦争などを経て20世紀初頭、「ディサイプルズ派」と「キリストの教会」(無楽器派)に分裂してしまう。
 「聖書復帰運動」から200年。この区切りに、分裂した3派が再び一つになろうとの動きが北米を中心として高まり、昨年10月4日、アメリカ、カナダ、オーストラリア、インド、南アフリカなど世界各国で合同礼拝が行われた。「世界的にも初めての合同の礼拝です。この動きは、『大いなる交わり』と呼ばれています。日本では、開催地の関係で11月29日に開きました」と、御茶の水キリストの教会(東京都千代田区)の野口良哉伝道者(牧師)は振り返る。当日、全国各地にある3派の教会から約60人が同教会に集まり、共に礼拝し聖餐にあずかった。司式は、3派を代表して井本晴雄牧師(日基教団・滝野川教会)、池田基宣牧師(恵みキリストの教会)、野口伝道者によって行われた。
 「3つの群れが、同じルーツをもつ兄弟姉妹として交わりを深め、共に日本の宣教に遣わされていることを覚えるひとときでした。この時を、新しい一致への試みの原点としていきたい」と、野口氏は期待を込め語った。

◎生誕100年記念でマザー・テレサ映画祭−−東京都写真美術館で2月14日まで開催=100124110

 「すべてを捨てて貧しい人の中におられるキリストに仕えよ」。
 神様からの「よびかけ」を受け、差別された人、愛に飢えた人、死にゆく人たちのために生涯をささげたマザー・テレサ。生誕100年を迎える今年、「マザー・テレサ映画祭」が開催されている。日本人として初めてマザー・テレサの映像取材を許された千葉茂樹監督の最新作「マザー・テレサと生きる」も同映画祭で公開される。千葉監督に、マザーとの出会いや新作について話しを聞いた。
 千葉監督が初めてマザーと出会ったのは70年代半ば。「若い頃は生き方、人生について憧れ、自分にないものを模索します。漠然とですが、『何か』を求めていた時期に出合ったのがマザーの働きでした。こんな生き方があるんだと非常にショックを受けました」。直接話す機会にも恵まれ、ますます影響を受けた。日本人として初めて映像取材が許されたのは、マザーがノーベル平和賞を受賞する前のことだった。
 なぜ映画制作に至ったのか。また、世界中から多くの取材依頼が舞い込むマザーへの取材がなぜ許可されたのだろうか。
 「初めに撮影の目的があったのではなく、まず、マザーへの尊敬がありました。その僕に、何ができるだろうかと思ったとき、カメラを通して人々にこの働きを、マザーを伝えていくことだと思ったのです。やがてカトリックの女子パウロ会の協力もあり、78年に撮影許可に至りました」

 81年、マザーは初めて日本へやって来た。一億総中流ともいわれた経済成長期の日本を、「精神的に貧しい国だとマザーは言いました。当時、中絶件数が60万と公表され、実態はその3倍と言われていました。命を軽んじる国がどうして豊かと言えるのでしょうか、と」。
 千葉監督の最新作「マザー・テレサと生きる」は、彼女に感化され、東京の山谷などで働く人々の姿を紹介し、「日本のマザー・テレサ」を映す。「山谷のホスピス、『きぼうのいえ』ではハーピストのキャロルさんがハープでセラピーをしていました。音楽など芸術、芸能と貧しい人がどのように関わるのかを探りたいという思いと、人間を映したいという思いが強くありました」と千葉監督は語る。撮影中、入所者をめぐる豊かな人間関係や生き方、マザーにたどり着くエピソードが珠玉のように現れ、企画段階では予期していなかった映画となった。
 「この映画はとくに若い人たちに観てほしいと思っています。没後13年、小学校の教科書などでも紹介されていますが、その分『歴史上の人』になってしまっています。マザー・テレサはそうではない。今も身近にいて、私たちに多くのことを語りかけています。過去から今、未来を生きる人に、彼女の生き方は大きな意味をもつと思います」
 「マザーは『あなたの周りのコルカタを見つけてください』と言いました。多くの人がそれぞれのコルカタを見つけ、黙々と活動しています」。遠くインドの働きだけでなく日本の貧困や格差社会に向き合い、格闘する人たちを伝える本作は、彼女の働きを身近なものにしている。 
 マザーの働きの根幹にあるキリストへの信仰。しかしそれは、隙のない完全なものではなかったと千葉監督は感じている。「マザーも迷ったり悩んだりもしていたはず。絶えず神様に祈り、問い合わせをしていた。信仰がいかに人の生と結びついているか知っていたからこそ、他宗教の人をも受け入れ、重んじたのでしょう。まさにキリストにならって生きた姿だと思います」
 映画祭では、国内外の7作品を通してそんなマザーの生き方に触れることができる。
 世界と比較しても日本人はマザーへの関心が高い。今でも年間に千人以上がコルカタの神の愛の宣教者会を訪れ、奉仕活動をしているという。信仰がなくても奉仕は成り立つのか。
 「マザーの残した働きに関わっていると、宗教の必要性や信仰と人生の関係に気づくのではないか。私は、マザーとの出会いを通して神様の存在を実感し、キリストへの信仰をもちました」
 マザーの放つ強烈な信仰と愛に、きっと多くの人がキリストを見ることだろう。