[CSD]2011年9月4日号《ヘッドライン》

[CSD]2011年9月4日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎壊滅した町の復興に教会が協力——南三陸町を支援するキリスト者ネットワーク発足
★震災以来の疲れに癒しの時——被災県の牧師家族ら 軽井沢でのリトリートに招待

 = 2 面 ニュース=
★南スーダン:独立後 北部の教会に圧力増す
★「あなたは特別な存在」全身で表現——東京福音リバイバル聖会ユース大会
★インターネット伝道の具体策——eトレーニングコーチセミナー開催
★<落ち穂>被災地へトラクトを「ラブ・ジャパン」計画

 = 3 面 =
★<竜馬をめぐる人々>[58]坂本直寛の章:17——死生観が180度変わった 記・守部喜雅
★生物学んで神様の偉大さが分かる!——ジェネシス・ジャパン主催で聖書&科学カンファレンス
★<オピニオン>被災地支援と真の福音宣教 記・近藤 愛哉

 = 4・5 面 災害対策特集 =
◎日頃からつながりを——地域のネットワーク
★日頃からつながりを——単立の教会
★日頃からつながりを——教派のネットワーク
★地の塩のエネルギーを使って!——一色尚次氏(東京工業大学名誉教授)に聞く
★地域のためのシェルター伝道

 = 6 面 ビジネスパーソン =
★萩原 達夫さん[中](CVSリーダーシップインスティテュート インストラクチャー)——アメリカ留学へ
★<ビジネス本>『必ず成功する「本気の営業」45のルール』川本可奈子著(秀和システム、1,260円税込)

 = 7 面 特集 =
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★BOOK:『キッズフェイスブック』(キッズ&ファミリーサポートミッション事務局、非売品 T&F.072-72-0703)
★BOOK:『B29より高く飛べ!』一色尚次著(原書房、1,680円税込)
★REVIEW:『聞いてください』坂田静子著(オフィスエム社、1,365円税込)

 = 8 面 ひと =
◎品川謙一さん(日本福音同盟 総主事)——「神様に動かされる時」は唐突に」


◎壊滅した町の復興に教会が協力−−南三陸町を支援するキリスト者ネットワーク発足=1109040101

 東日本大震災から間もなく半年。夏が過ぎ秋を迎えて被災者らの必要は移り変わりつつあり、生活基盤も根本的に変わろうとしている。多くの避難所は8月末をめどに閉鎖され、仮設住宅への移転が進む。そうしたなか、住民1万7千人余りの約62%が津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町で活動してきた支援団体の関係者らが集まり、8月18日、「南三陸町を支援するネットワーク」(中澤竜生代表)を結成した。

 状況の大きな変化に、支援団体が個別で活動することは困難だとして、聖協団・西仙台教会の中澤竜生牧師が呼びかけ、森谷正志(災害復興支援SBSネットワーク)、佐藤弘司(ルーテル同胞・仙台新生キリスト教会牧師)、菅谷勝浩(聖協団・清瀬グレースチャペル牧師)の各氏らが中心となり、南三陸町で支援活動をしている32団体58人が同日南三陸町のホテルで会合した。
 南三陸町は町の広範な地域が壊滅的な被害を受け、町づくりを一から始めなければならない。復興の青写真が描けない状況で、行政も住民も何をどうしてよいか分からない中にある。同町にキリスト教会がないことは、支援に関わった多くの教会関係者が重荷を感じた点でもあり、ネットワークには南三陸町に教会を開拓することを願う人も参加している。
 「この地方においてこれまで教会はコミュニティーの形成にあまり関与してこなかったが、今回のことで教会が町づくりから復興に関わっていける機会を主が備えて下さったと思う」と事務局長の佐藤氏は言う。
 18日の会合では、キリスト教と称してカルト的な団体が入り込み、被災地の人々の心を踏みにじるような言動が現実に起きていること、行政と被災者の間に立つ人がいないために両者の間に溝が生まれていること、行政は宗教関係者に対して一定の距離を取りながら、良心的な団体と協力したい意向もあることなどが話し合われた。
 ネットワークを組むメリットとしては、行政と現場での窓口を一本化し各支援団体にフィードバックできること、支援団体間で情報を共有し合い手薄な地域や支援をカバーし合えることなどが説明された。
 救援物資やボランティアなどを供給してきたサマリタンズパース、クラッシュジャパン、国際飢餓対策機構などの支援団体や、日本福音同盟(JEA)援助協力委員長の中台孝雄氏、地元教会ネットワークのホープ宮城など10団体から活動報告があった。
 今後、同ネットワークでは南三陸町での活動支援を強化するだけでなく被災地域全体に広げていきたい願いがある。南三陸町は人口面からも地理的面からも支援が手薄になりがちだが、この地域でよい協力関係が結ばれていけば、全国的規模に発展していくことは可能ではないかと、関係者らの間では期待の声が上がっている。
 ▽南三陸町を支援するキリスト者ネットワーク事務局=〒981- 3622宮城県黒川郡大和町もみじが丘2ノ38ノ9、仙台新生キリスト教会内、080・5225・7532、佐藤弘司 qqq68d69k@crest.ocn.ne.jp

◎日頃からつながりを−−地域のネットワーク=1109040401

地域のネットワーク

 東北HELPは仙台キリスト教連合を母体に、震災後1週間でできた。事務局長の川上直哉氏(日基教団・市民教会牧師)は「地域のつながりは急にはできない。各地に様々な立場でエキュメニカルなグループがある。60年代にあった機運は今や強くないが、遺産を生かしていく必要はある。若い牧師も地域のグループに積極的に参加してほしい」と願う。
 震災後、日頃から交流がある若手牧師や仙台キリスト教連合の世話人からの意見により、「情報共有と義援金受付」という東北HELPの核ができた。NGOと協力して配給・炊き出し、ホームページ開設、募金受け付け、弔いのプロジェクトを行った。
 週1回の連絡会が他地域の教会、団体の支援窓口になった。早く入った団体は地域と関係ができる。4月以降に来た団体は、先に来た団体の紹介で地域に受け入れられる。様々な救援団体が「津波のように」押し寄せるとき、「受け入れる側がいかに偏見を捨てられるか」が重要だ。大切なことは「誰のため、何のため」しているか。「自分たちの主義主張ではなく、被災者のためになるかどうか。弱い人のかたわらに神がいるという『解放の神学』の学びが役にたちました」
 行政に対しては「宗教者の強みがある」。与党、野党など政党の立場に立たず、ものが言える。
 行政には市町村、県、国など法律上の行政と、町内会、民生委員、さらに講、結など地域の基層にある強い結びつきがある。地域の結びつきには「顔役」と信頼関係が必要。旧来、寺の檀家がこれらと強い結びつきを持っていた。法律上の行政は西洋でできたものなのでキリスト教が強い。東北HELPや、川上氏らが立ち上げた宗教者による「心の相談室」では、仏教者・神道者と連携した。「どちらかだけだと行政は動かない。両方が連携することで、働きかけられた」と意義を語る。
 災害対策については、「想定外がおこる。津波対策ばかりして他のことがおろそかになったり、無理をして長続きしなかったりでは意味が無い。普段からやるべきことをやるのが大事」と強調し、「教会も遣わされた地で、神様が残した遺産を検証して欲しい」と呼びかける。
 キリスト者として重要なことは「終末的な状況の中でも希望を失わない福音理解を準備すること」だ。
 一方、被災者をさばく態度には注意する。川上氏は日頃からヨハネ3章16、17節を重視する。「16、17節はセットだ。さばきだけを強調しすぎないよう、バランスが大事。『全ての人を救う十字架の福音』を語るべきであり、被災者に対して『信仰がないからこうなる』とさばくのはどうか」
 川上氏は、震災直前に「世界食料フォーラム・仙台」の修養会で、フィリピンのゴミ問題などについて議論していたことが役にたったと考える。「福音を問うことは震災でなくてもできる。第3世界、ホームレスなどについて考えることが、当事者になったとき訓練になるでしょう」  

単立の教会

 「起こってみると、日頃から備えていなかったことを実感しました。危機意識を持ち続ける難しさを感じました」と単立・宮古コミュニティーチャーチ牧師、岩塚和男氏は語る。岩手県沿岸にある宮古市では、震災1週間前には50年前に襲ったチリ地震津波の教訓を忘れないための防災訓練があり、2日前にも実際に小さな津波があった。だがそれらもあまり生かされず、まさに3月11日は「想定外」だった。
 震災時、岩塚氏は教会にいた。津波警報が出て、近隣数百人とともに向かいの山に避難。2、3時間ほどで戻る。津波は教会50?手前まで達した。
会堂壁に小さなひびなどがあったものの大きな被害はなかった。電話は不通。市内で被害の大きい地域は数日間通行止めになった。13日礼拝後に信徒宅を個別に訪ね、全員の無事を確認した。
電気の復旧は3、4日後、水道、ガスは10日後。「被害が大きい地域ほど自分たちの状況がわからなかった」と当時の様子を語る。沿岸は電気復旧に102か月かかった。
 震災後1週間は、「救援活動をしたくても、孤立して、単立の小さな教会では何もできない無力感を痛感させられ、助けを求めて祈らされた」。まもなく青森・長野・北海道の宣教師たちが、物資満載の車で駆けつけ、三重のある教会も、3日かけて灯油など多くの物資を届けた。2週間後、内陸の教会を中心に3・11いわて教会ネットワークが発足すると、ネットワークを通じて様々な教会・団体がボランティアを派遣し、現在も活動が続く。「単立だからこそ、様々な教団、教派からも、協力を得られたのでは」と感謝の思いを語る。
 同時期にカイロプラティックを行う信徒とともに市内や山田町の避難所を回り、治療をしつつ、被災者の話を聞いた。知り合った人々が仮設住宅に移っても親しい関係は続く。米軍三沢基地内の教会から生活支援セット、野菜などが送られ、仮設住宅へ個別に配った。現在も20か所近くを継続的に訪問し、物資配布やモバイルカフェなどを行う。岩手県沿岸には教会が数軒しかなく、それらの教会が活動拠点になった。3か月ほどたつと、各宣教団は自分たちのカラーを出し、被災地での開拓も意識してきている。「今後、被災地における教会の開拓は必要だが、異端や他の新興宗教も活動を活発にしている中、キリスト教会がバラバラに活動するのは、被災地の宣教にとって混乱をきたすのでは」と心配する。また「今回築いた教派を超えた協力関係を宣教にも生かせないか」と願う。 
 震災から5か月が過ぎ安定したかのようだが、日常的に被災地にいること自体が精神的なダメージを与える。「落ち着いているようでも、我慢している部分があるのでは」と心配する。時間の経過とともに、心の落ち込みが多く見られる。「震災後はそんなことを言わなかったが、仮設住宅の入居者何人もが、『死にたい』、『あのとき死んでいればよかった』、『気が狂いそうだ』と訴えてくる」と現状を話す。 
 災害対策について「災害が起きてから、対策委員会をつくり、現地調査し、会議して動くのでは遅い」と警告する。「宣教師たちは各自の判断で、北海道クリスチャン宣教ネットワーク『ホクミン』は組織ができていたので、すぐ動けた。3・11いわて教会ネットワークなど、この震災を機に発足した組織などが、今回だけで役目を終わらせず、他地域で災害が起きたとき、いつでも迅速に対応できる準備が必要」と今後の危機への備えを話す。

◎品川謙一さん(日本福音同盟 総主事)−−「神様に動かされる時」は唐突に」=1109040801

 日本の福音派を代表する日本福音同盟(JEA)の総主事に、今年4月から正式に就任した。2010年度から協力主事として、前任の具志堅聖氏から少しずつ引き継ぎを受けていたが、正式の業務引き継ぎをという矢先の3月に大震災。4月1日、就任の日は被災地支援への対応のために出張中の仙台で迎えた。災害援助はJEAの協力体制が発揮される局面の一つだが、総主事になったとたん待ったなしで最大級の実戦に突入した。

想定外だった
総主事への打診

 「青天の霹靂でした。全く知らない世界で自分の中に必然性もないし、唐突な話に思えたし、教会の責任を放棄できる状況でもありませんでした」
 次期総主事にと打診を受けたのは09年12月、クリスマスの後だった。98年に神学校を卒業し、副牧師を経て、母教会である日本キリスト合同教会世田谷中原教会(1932年創立)の主任牧師になって11年。「まだまだやらなければならないことが山積していました。だから、最初はその場で断ろうと思ったんです」。だが、所属教派を通して正式に来た話。礼儀として「家族と相談します」と一応持ち帰った。妻の裕美子さんとも、初めは「やっぱり無理だよね」と話した。だが、年末年始で時間があった。夫婦で祈るうち、年明けにはだいぶ変わってきた。
 「創世記12章のアブラハムが神様に示されて行き先を知らずに出て行くところが目にとまりました。神様に動かされる時というのは、人間の側の理由は関係ない。あまりにも自分たちの発想とは違うところからの話だったので、誰かが計画してそうなったというより、神様が動かされる時というのはそうなんではないかと。神様が呼ばれる時には、自分の側の必要があるわけでも、先がどうなるか分かっているわけでもない…」
 神が動かされるのかもしれないと視点を変えてみると、「そこに飛び込んでみよう。あとは神様が責任持ってくれるんだから、考えても仕方がない」と、夫婦の思いが一つになった。
 品川さんは教会創立者の孫だ。年配の信徒からは「品川先生が来てくれたので安心」と喜ばれた。だがそこに、半面「牧師依存の課題」を感じてもいた。「主任牧師になった時から、ずっとこの教会にいないですよ、と言ってきました。創立者の孫では人間的に依存しやすいから良くない。次のふさわしい先生に引き継ぐのが自分の仕事と思っていました」
 教会は牧師の教会でない、神様の教会。引き際は考えていた。「総主事の話が来た時は自分が考えた引き際より早かったわけだけれど、もう5年やったとしたらどうなのかな、と考えてみた。いつかは動かされるという気持ちはあって、自分のタイミングよりは早いけれど『神様、これなんですか』という思いになりました」


英語で交流
伝道の協力を体感

 1歳半から3歳までオーストラリアで育ち、高校の時はボストンに交換留学。早稲田大学建築学科に入学後、アメリカの造形大学に編入した品川さんは英語が堪能だ。JEAは世界福音同盟やアジア福音同盟に加盟しており、総主事の重要な仕事の一つは国際関係の窓口。協力主事だった2010年度からすでに海外での国際会議に出張した。震災直後は、JEAが連携したクラッシュジャパンに詰め、宣教師たちとコミュニケーションを密にした。
 建築士をしていた信徒時代、英語力を生かしてELIのスクラム伝道のチャプレンを務めた。宣教師やアメリカから来る英会話奉仕者と、伝道の「協力」をそこで体験した。それが献身に向かうベースにもなった。94年ビリー・グラハム東京大会では、事務局を務めた大井満牧師(キリスト合同・板橋教会)を手伝い、教会協力の空気を吸った。牧師になってからの09年には、第5回日本伝道会議の事務局で奉仕した。そうした中で「全体の教会の働きを前に進めていく必要を感じました。個々の教会が伝道しなければならないのだけれど、課題を共有して前へ進もうと励まし合うことが大切だなと感じました」。
 自分の中に「JEAでの奉仕」という発想はなかったと言うが、導かれてきた旅路はまさに総主事にうってつけ。本人の必然ではなく、神の必然が押し出した人事を感じさせる。
 今、総主事としていちばん大きな仕事と思っているのは、2016年に予定されている次期日本伝道会議への舵取り。「日本の教会が世界で理解されるために、もっと発信が必要」とも感じている。