[CSD]2002年6月30日《ヘッドライン》
[CSD]2002年6月30日《ヘッドライン》
= 1面 =
★特攻機製作の痛恨から平和の夢乗せ発進——夢の超特急開発秘話
◎アフガン新体制 信教の自由はあるか?——予断許さぬ非西欧型民主主義
◎メルボルン事件から10年——半年で帰国の可能性
★アラブ人に福音を——サッカーW杯を機に伝道チーム来日
★ドイツ:選手は神様?——独教会がW杯の熱狂に喝
★メキシコ:ユニホーム着たイエス
★<落穂抄>スポーツも伝道に用いられるとき
= 2 面 =
★「キリスト祭」を訪ねて(上)神道式で慰霊する村の公式行事 記・櫻井 圀郎
★第3回ゴスペルクワイヤーの祭典——東京オーデション4グループが予選通過
★<神のかたち>[8]神である主は、人に命じて仰せられた 記・稲垣緋紗子
★<世界の出来事フラッシュ>ギリシャ、パキスタン
★<教界の動き>日基教団・新宿西教会、神戸ルーテル神学校ほか
★<論説>宣教と援助——不足でなく意思に注目を 記・山口 譲
★あかし文学賞:キャンドルの灯火[12] 作・島田 裕子
= 3 面 全面広告=
☆日本キリスト伝道会
☆8月19日~21日 日本伝道の幻を語る会 会場:山崎製パン厚生年金会館
= 4 面 全面広告=
☆東京福音リバイバル聖会
8月14日~16日 会場:川口総合文化センター・リリア
= 5 面 =
★韓国W杯伝道:宣教を開く愛の奉仕——親切さ世界にアピール
★韓国:W杯記念に新会堂建築し観光スポットに——済州島・ポッパン教会
◎日本軍人にマザーと慕われたエステラ・フィンチ宣教師——マザー・オブ・ヨコスカ偲ぶ会発足
★賛美ユニットWingsのCDアルバム「君のそばに」作製
★コロンビア:ゲリラに誘拐された牧師が伝道
★コロンビア:革命軍によって福音派教会閉鎖
= 6 面 生活のページ=
★<あの日のメッセージ>「時代とのかかわり」父親の救いから 記・海老原 道雄
★<投稿>北京で日韓共同日本宣教
★<投稿>詩「鉢の木」
★<今週の本棚>『「信仰」という名の虐待』パスカル・ズィヴィー著(いのちのことば社、850円)
★<今週の本棚>『あなたの日曜日』ヴァルター・リュティ著(新教出版社、1900円)
★<今週の本棚>『勇ましく高尚な生涯』竹脇 真理著(小学館、1200円)
★<情報クリップ>催し情報ほか
アフガン新体制 信教の自由はあるか?−−予断許さぬ非西欧型民主主義0206300102
アフガニスタンの移行政権の枠組みを民主的に定め将来を方向づける緊急ロヤ・ジルガ(国民大会議)を、世界福音同盟信教の自由委員会(WEARLC)が注視している。6月11日から首都カブールで開かれたロヤ・ジルガには各州・民族の代表千500人が集まり、暫定行政機構のカルザイ議長を国家元首に選出した。大会議では、タリバン政権下で社会的権利を奪われていた女性の代議員も積極的に発言するなど、変わりぶりが伝えられた。だが、同国で長年厳しく禁じられていたイスラム教以外の宗教は活動が認められるのかは、なお未知数だ。 WEARLCは、ロヤ・ジルガに先立って欧米通信社がアフガニスタン最高裁のファゼル・ハディ・シンワリ長官に取材した内容に注目している。AFPに対し、シンワリ氏は「我が国に西欧型の政府ができることはない。アフガン人に受け入れられるのはイスラム政権だけだ」と語った。しかし長官は、法の正当な手続きが尊重される司法の独立は確保されるだろうと述べた。 1月にAPのインタビューに答えてシンワリ氏は、「我々はタリバンのようにはならない。彼らは拘束した者を弁護士も証人もなしに即刻尋問し、競技場で観衆の見ている前で処刑したが、そんなことは間違っている。彼らはイスラムの名を汚した」と明言した。 アフガニスタンはイスラム教国であり、タリバンはシャリア(イスラム法)を破壊したが、イスラム法自体はアフガン社会で生きている。それがシンワリ氏の主張と言えよう。 WEARLCによると、アフガニスタンはイスラム色が強く、長年にわたり世界で最も保守的なイスラム教国のひとつと見られてきた。少なくとも5千人のヒンズー教徒がいるが、タリバン政権下で嫌がらせを受け、イスラム教徒と区別するため着物にヒンズー教徒であることを表示することが要求されていた。 キリスト教はタリバン政権下で特に厳しく禁じられ、地下にクリスチャンは存在するがその数は知られていない。80年代にソ連が侵攻した時期には、多くの知識層や世俗的イスラム教徒がキリスト教を奉ずるようになったが、89年にソ連が撤退した後に原理主義のタリバンが台頭した。『オペレーションワールド』ほか西側の観測筋は、クリスチャンは多くとも千人と見ているが、詳しくは分かっていない。 タリバン政権崩壊後は欧米のキリスト教系援助団体の働きの感化を受け、避難民がキリスト教に改宗する動きも伝えられるが、新生アフガニスタンが信教の自由の尊重される社会になっていくかどうかは予断を許さない。メルボルン事件から10年−−半年で帰国の可能性0206300103
オーストラリアで麻薬密輸の容疑で逮捕された5人の日本人が、今も獄中から無罪を訴えている「メルボルン事件」が、発生から6月17日で10年を迎えた。 メルボルン事件は、1992年に旅行で訪れたビクトリア州のメルボルン空港で、4人のスーツケースから13キログラムのヘロインが発見され現行犯逮捕された事件。裁判で「スーツケースは事前にすり替えられた」と主張したが認められず、全員に懲役15年から25年の実刑判決が渡された。 事件直後から、当時のメルボルン日本語教会牧師スティーブ・ヤングさんを中心とした人々が、5人を訪問するなど、彼らの無罪を信じるクリスチャンを中心に支援活動を続けている。これまで2人がキリストを受け入れ洗礼を受けている。 10年半が経過した時点で模範囚と認められれば、主犯格とされた勝野良男さんを除く4人は、15年の実刑が10年半に減刑され、11月には仮釈放されることになる。 オーストラリアでは、弁護士によりえん罪をはらすための準備がされており、獄中にいる5人は、えん罪と判断され帰国することを願っている。 メルボルン事件日本支援基金=郵便振替00120・2・581447。TEL&FAX03・3594・5685(菅野)まで。
日本軍人にマザーと慕われたエステラ・フィンチ宣教師−−マザー・オブ・ヨコスカ偲ぶ会発足0206300
24歳で来日し、当時の横須賀日本基督教会の黒田惟信牧師と共に「陸海軍人伝道義会」を設立し、軍人たちから「マザー」と慕われたアメリカ人女性宣教師エステラ・フィンチ。フィンチ宣教師の召天78周年を記念し、6月16日に偲ぶ会が、墓がある神奈川県横須賀市の曹源寺で行われた。会には米国人宣教師を含む関係者ら約40人が集まり、フィンチ宣教師の軍人伝道の功績を確かめ合いつつ、今後記念事業などを行う目的で「マザーオブヨコスカ偲ぶ会」を発足させた。 フィンチ宣教師は日清戦争が起こる1年前の1893年に、超教派宣教師として来日した。当初、兵庫県姫路市の日の本女学校を本拠に伝道をしていたが、その後、関東に活動の場所を移した。滞日4年後には日本人伝道をあきらめ帰国しようと考えていたが、そのころに出会った黒田惟信牧師と軍人への伝道について相談しあい、一時帰米したのちに再び来日。1899年、神奈川県横須賀市に陸海軍人伝道義会を設立した。 横須賀市に建てられた伝道義会の建物には、近くに建つ海軍機関学校の生徒らが多く訪れた。生徒らは流暢な日本語を話すフィンチ宣教師を「マザー」と呼んで慕い、フィンチ宣教師は生徒らを「ボーイズ」と呼んで愛した。伝道義会は普通の教会とは違い「日本武士道的キリスト教主義の聖書研究会」だったと『伝道義会・宣教百周年記念誌』に記録があり、内村鑑三とも親交があったという。聖書の教育のみにとどまらず、ボーイズらと詩について語り、スポーツを奨励した。40歳で日本に帰化し「星田光代」となった。56歳で亡くなるまで独身を貫き、軍人伝道のために舞鶴や佐世保、呉にも伝道義会の支部を設置した。 16日の偲ぶ会では黒田牧師の孫にあたる海野涼子さん(日基教団・久里浜教会員)が、フィンチ宣教師の遺品の聖書やテーブルクロス、書などを紹介した。海野さんは「日本の伝道は困難なマラソンのごとき道のりであった。その中でマザーは明治にまかれた一粒の福音の種だ」と、当時の状況に思いを馳せながら語った。さらに、フィンチ宣教師の書簡集の出版や、フィンチ宣教師の出身地や出身校への訪問などの事業を行う「マザーオブヨコスカ偲ぶ会」の発足について海野さんが説明し、今後の活動について提案した。 伝道義会は現在、クリスチャン自衛官で作る「コルネリオ会」(石川信隆会長)へと引き継がれている。参加者からは「マザーに呼んでもらった気がする」などの声があった。海野さんは「このようなアメリカ人が隠れた業をしたことを、多くの人に知っていただきたい」と語る。