[CSD]2002年9月1日《ヘッドライン》

[CSD]2002年9月1日《ヘッドライン》
 = 1面 =
★東京福音リバイバル聖会:居場所のない若者へ——大物ラッパーのバーバルが証し
★子どもに平和を——57年目の8・15、被爆体験を次世代に伝える
★福音同盟も政府見解に反対声明
★うさんくさい「個人の自由」
★米国:すべての新生児にあらゆる権利を
★<召天>熊澤 義宣氏(元東京神学大学学長、聖学院大学教授)
★<落穂抄>CS生徒たちからの「先生募集」
☆次号9月8日号から最終面刷新と新連載のご案内

 = 2 面 =
◎有事法制下 8・15:今こそ非戦、平和願い祈る——国の方向見張り、としなしを
◎「有事」の内容しっかり理解を——「心のノート」現代版教育勅語に警戒
★9月から「家族カウンセリング」講座——ライフプランニングセンターが開講
★<世界の出来事フラッシュ>パキスタン
★<神のかたち>[16]そこで…女預言者フルダのもとに行った 記・稲垣 緋紗子
★<論説>平和の礎——異なる正義概念を受け止める 記・山口 譲
★あかし文学賞:キャンドルの灯火[20] 作・島田 裕子

 = 3 面 =
★LOVE JAPAN 2000:甲州・群馬——いつもは行けないところへ
★モンゴルアウトリーチ:教会に根付きにくい遊牧民

 = 4 面 全面広告=
☆東京キリスト教学園
オープンキャンパス 9月21日
第17回学園デー 9月27日。ゲスト・三浦 光世氏
Tel.0476-46-1131

 = 5 面 新校舎完成特集=
★CFNJ聖書学院——北海道からリバイバルを
http://www.cfnj.com
 = 6 面 新地域宣教シリーズ=
★北陸編:石川県・富山県・福井県

 = 7 面 =
◎慰めの主に会って——藤井圭子さん、息子の事故死を乗り越え証しを出版
★恵みが体を動かす——サックス奏者パーチフィールドさん軽井沢ゴスペル&ジャズフェスタに出演
★世界宣教研修センター:3人の宣教師を送り出す
★エターナル・ラブ・イスラエル:シャバット(安息日)ディナーの夕べを開催
★<CDの時間>「風よ」CROSS21(ポルドーナ、3000円)

 = 8 面 生活のページ=
★<あの日のメッセージ>賛美中に主イエスの愛迫る 記・浜崎 英一
★<投稿>枯れない井戸
★<投稿>堕胎禁止の声を
★<今週の本棚>『賛美歌・唱歌ものがたり』大野 野百合著(創元社、2200円)
★<今週の本棚>『不良牧師!』アーサー・ホーランド著(文芸春秋、562円)
★<今週の本棚>『世の終わりが来る!』奥山 実著(マルコーシュ・パブリケーション、1700円)
★<情報クリップ>催し情報ほか

有事法制下 8・15:今こそ非戦、平和願い祈る−−国の方向見張り、としなしを0209010201

有事法制、首相や都知事、閣僚の靖国神社参拝など、国は信教の自由、内心の自由を無視し、ますます天皇を中心とした軍事国家に向かおうとしている||そんな動きを危惧するキリスト者や教会、キリスト教団体が、8月15日の敗戦の日の前後に祈りの集会を開き、戦争を拒否し、国の平和を願う祈りを捧げた。  断食祈祷聖会実行委員会(三森春生実行委員長)は8月13日、「国のために祈る夕べ」を東京・千代田区のお茶の水クリスチャンセンターで開催、約190人が集まった。同「夕べ」は「靖国問題を宣教の問題、政治を信仰の問題と受け止め、国のために祈ろう」をコンセプトに昨年から始まった福音派の集会。ゲストの吉田耕三氏(日韓親善宣教協力会派遣宣教師、ソウル日本人教会牧師)は、侵略を受けたアジアの国の視点から語った。
 吉田氏は「故佐藤栄作首相は『日本の戦後は終わった』と語ったが、アジアサイドから見れば決して終わっていない。首相の靖国参拝は、アジアでは戦犯に頭を下げているとしか映らない」と言う。キリスト者には、国があらぬ方向に行ってしまわないよう社会一般の動きを監視する「見張り人」、同胞の救いを願い、涙を流しながら祈る「祭司」の役目があり、この国の一員として日本がアジア諸国に迫害と残虐行為をほしいままにしてきた歴史を無視せず、為政者、被侵略国のためとりなす重要性を語った。
 油井義昭氏(日本福音同盟社会委員会委員長)は、福田康夫官房長官の「有事の場合、思想、信条、信教の自由に制限が加えられることもありうる」との発言を重く見、「永田町では生けるまことの神を知らないリーダーシップが支配している。見張りが必要だ」と警鐘を鳴らした。
 参加者一同は、「国を治め、導き、行政に与る人々が正義を求めるように」「再び軍国主義の道を選ぶことがないように」「『地の塩・世の光』である教会、信徒が社会的責任を覚え、見張り人としての役割を果たせるように」など、具体的に課題を挙げ祈った。
 15日朝7時から、8・15平和祈祷会(同実行委員会主催)が東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催。小泉純一郎首相の靖国神社参拝、有事法制関連3法案など、国の動きに危機感を覚える牧師や信徒約260人が集まった。公立中学校教員の飯島信氏(日基教団・松戸幸谷教会員)が教義、信条の違いを超えた共通の土台は「絶対非戦」で、いかなる動きにもキリスト者の良心をかけて具体的な行動を起こし、反対の声を上げていくことだと奨励した。参加者は「国が再び戦争の時代に戻らないように」「9・11以降、報復の論理がまかり通っているが、互いに赦し合うことができるように」など、平和を願う祈りを捧げた。

「有事」の内容しっかり理解を−−「心のノート」現代版教育勅語に警戒0209010202

有事法制に反対し、戦争協力を拒否しましょう!ーー平和遺族会全国連絡会(小川武満代表)は8月15日、8・15集会を東京・文京区の全水道会館で開催した。今年で14回目で、同集会には約300人が参加。専修大学法学部教授、憲法学・平和学専門の古川純氏が「『備え』が『憂い』を招きよせる・軍備なきアジアの共生へ」の題で、有事法制の実態を語った。
 古川氏は「有事とはまさに戦争非常事態のこと。平時とは異なる権力行使の正当化の根拠にもなる。言葉に惑わされず、内容をしっかり理解する必要がある」と述べた。有事法制3法案は国の安全の確保をうたうが、国民の安全の確保に関しては副次的に銘記されてあるだけだとし、「一度軍事的公共性を認めると、個人の生命、身体、財産の制約を受け、否定されていくことになる」とも語った。
 同連絡会事務局長の西川重則氏は「小泉首相と石原都知事は靖国神社がどんな神社で、アジアからどう見られているか、その問題点は何か、歴史事実に基づく認識が十分でない」と言う。最近、日本遺族会会長に就任した古賀誠自民党国会議員の「首相は8月15日にこだわらなくてもいい。それより総理の靖国神社参拝を定着させ、継続していくことが大事」との発言にもふれ、「今後の靖国問題に少なからぬ影響を与えることは確か」と警戒感を表した。
 靖国問題は子どもの教育にも及んでいる点も指摘。「今年の4月、文部科学省(遠山敦子文部科学大臣)が全国の公立小中学校の生徒や保護者に配布した『心のノート』は現代版『教育勅語』で、国のために尽くすことの大切さを今の言葉で子どもに刻みつけようとしている」と警鐘を鳴らした。
 集会後、参加者は水道会館前から靖国神社近くの公園まで約1時間かけ「小泉首相、石原都知事、閣僚は靖国神社参拝を止めて下さい。私たちの肉親を英霊と讃えないで下さい。戦争を美化するのは止めて下さい」などと叫びながらデモ行進した。
 デモ行進の終わりには、88歳になる同全国連絡会会長の小川武満氏も駆けつけ、「世界平和のため今こそ一致団結し、戦わなければならない」と結んだ。
 日本同盟基督教団靖国問題委員会(菅原正道委員長)は平和夕拝を8月11日、東京・北区の同盟基督・赤羽聖書教会で開いた。
 菅原氏はマルコ8章からメッセージ。「古い日本をもう一度取り戻そうという動きが着々と進んでいるこの国の緊張感の中で、主は私たちに『私を誰だと言っているか』と語りかけている。この状況の中で主は私たちが『あなたは、キリストです』と告白するのを待っている。教会が立つのも倒れるのもこの告白にかかっている」と語った。

慰めの主に会って−−藤井圭子さん、息子の事故死を乗り越え証しを出版0209010701

尼僧からクリスチャンになり、小児科医として働くかたわら、日本国内のみならず海外でもその体験を語り続けてきた藤井圭子さん(日基教団・呉平安教会員)が、8月19日から3日間千葉県で行われた第34回日本伝道の幻を語る会(原登会長)で講演。藤井さんは3年前、息子・研太さん(当時26歳)の事故死について、その悲しみとともに、自身の上に働いた神の慰めを語った。この体験は今年5月、『夕べ雲焼くる空を見ればー若き医師の人生の旅立ちー』(一粒社)の書名で出版された。  「ママがクリスチャンになったのなら、ぼくもクリスチャンになるよ。それはいいことなんでしょ」。圭子さんが洗礼を受けたとき、小学4年生だった研太さんはこう答えた。圭子さんは息子のことばに厳粛なものを感じたという。研太さんはその2年後、父親とともに洗礼を受けた。
 やがて研太さんは、母と同じ医師の道を目指す。国立大学の医学部で学び始めて2年目の冬、大学近くの自宅マンションから、姉との約束を守るため一睡もしない中、実家のある広島県呉市に向けて未明の道を車で走っていた。運転を誤って川底に転落。一命は取り留めたが、体の数か所を骨折、左肺に傷がついた。手術をすると気胸の原因の傷があった。研太さんはこのときの入院生活を通して、医師になる者として患者のつらさや痛みを経験した。
 「ぼくはあの時、本当に死んだんよ。それなのに、今まだ、こうして生きているということは、神様が、ぼくを余分に生かしていてくださるということなんよ」。それからの研太さんは明らかに変わったという。のんびり屋だったのが、一日一日を惜しむように積極的に生きるようになった。98年3月、医学部を卒業し母校の付属病院で内科研修医となった。病棟の看護婦らからは最初「藤井先生」と呼ばれ、やがて「研太先生」、「研太くん」と呼ばれた。同僚からも患者らからも好かれた。
 翌年の3月、圭子さんのクリニックに娘の由香さんから電話があった。研太さんが事故に遭ったかもしれないということだった。圭子さんが自宅に戻ると、研太さんが即死していたという知らせが届いていた。事故の真相ははっきりしないが、大方このようであったという。その日研太さんは自宅で大出血していた。肺に何らかの異常が生じたと思われている。せん妄状態(意識障害を生じ、突然、興奮したり、わけのわからないことを話したりするなどの状態)で車に乗り、高速道路を走った。非常停車帯に停まったいる不審な車を発見したパトロールカーが、近づき声をかけたところ道のわきから研太さんが出てきた。いきなり、向きを変えると工事用の階段を下りた。階段は途中で途切れており、落下した研太さんは後頭部を強打した。
 「ボディーブローの痛み」。圭子さんは悲しみをそう表現する。しかし、やもめの息子を生き返らせたイエス・キリストの「泣かなくてもよい」(ルカ7・13)のことばに慰められた。昨年、圭子さんは自分のクリニックを閉鎖した。最後の日、研太さんの部屋に入り、圭子さんは「研太、私も終わったよ」と心で語りかけながら、研太さんの聴診器に自らの聴診器を重ねた。圭子さんは言う。「本の出版は研太と私、天国と地上の共同作業」だと。今、圭子さんは国内外を駆けめぐって、同じような境遇の人々を励ましている。
 
日本伝道の幻を語る会では藤井さんのほか、教誨師の松田幾雄牧師、家庭生活セミナーの児玉博之牧師の講演が行われた。