ヘッドライン
[CSD]2004年7月25日《ヘッドライン》
[CSD]2004年7月25日《ヘッドライン》= 1面 =
◎第1回全国セル教会カンファランス開催——透明な関係づくりが鍵
◎中国共産党内で政策変革、社会問題解決にキリスト教——世界宣教セミナー
★<恵みのどんでん返し>思いがけぬ臨時収入で会堂改修 記・柳原 英範
★<落穂抄>椎名林檎の絶対おすすめ「塩狩峠」 = 2 面 =
◎「君が代」伴奏拒否、最高裁へ
★国家斉唱時に起立しない教職員に、再発防止研修で思想改造?——都教委
★<イラク戦争肯定の理由>[3]戦争は国際的な警察行動 記・渡辺 聡
★<寄稿>小学生のうちに信仰決心を 記・渡辺 敬直
★<今週の本棚>『静かな風』片岡 栄子著(いのちのことば社、1,050円税込) 評・笹岡 さおり
★<今週の本棚>『パウロのまねび』石丸 新著(聖恵授産所出版部、1,900円税込)
★<今週の本棚>『苦しい時は必ず過ぎ去る』川端 光生著(カレブ・ゴスペルサービス、630円税込)
<情報クリップ>催し情報ほか = 3 面 読書特集=
★<書籍>『平和つくりの道』ロナルド・J・サイダー著(いのちのことば社、1,365円税込) 評・正田 眞次
★<書籍>『イエスの平和(シャローム)を生きる』グレン・H・スタッセン/デービッド・P・ガッシー著(東京ミッション研究所、2,100円) 評・棚瀬 多喜雄
★<書籍>『詩集「天国の宴会」』矢口 以文著(英宝社、1,890円)
★山上の説教は「正義の平和つくり」——グレン・スタッセン氏来日講演
★<書籍>『絶望禁止!』斎藤 貴男著(日本評論社、1,680円)
★<書籍>『平和と平等をあきらめない』高橋 哲哉、齋藤 貴男著(大和書房、1,575円) = 4 面 特集=
☆キリスト教社会事業家シリーズ(3)
日本近代福祉の先駆者——岡山孤児院:石井 十次 = 5 面 =
★新宿でパッション100万人突破記念ライブ——企画:石井希尚
★元大リーガーたち直接指導——千葉、横浜などでキャンプなど開催
★本場ロスの教会でゴスペル体験——USAゴスペルツアー2004
★アジアに広がるMEBIG——韓国のセミナーに2千人
★初心者も学びながら読める聖書『スタディバイブル』 = 6 面 教会学校教師のひろば=
★教会前が広い公園、伝道のチャンス!——千葉県:湖北パークサイドチャペル JOY・JOYワールド
★<先生 キラッ>荒木 照雄さん(湘北パークサイドチャペル)
★<ゆっくり行こう!CS教師>[23]霊的成長を信じ伴走する教育を 記・福井 誠
★<オッフーの神様と出会っていますか?>[11]神さまの恵みはあふれ 記・藤田 桂子
★<まいまいのちょっと愛デア>[11]キャンプでアンケート 記・永井 真衣子
第1回全国セル教会カンファランス開催−−透明な関係づくりが鍵0407250101
日本のキリスト教会でセル教会ムーブメントが始まり今年で10年を迎える。その中心的な役割を果たしてきた日本セルチャーチ宣教ネットワーク(JCMN)が7月6日から3日間、静岡県で第一回全国セル教会カンファランスを開催した。主流派、福音派、ペンテコステ・カリスマなど従来の教団教派の枠組みを超えて広がりをみせている同ムーブメント。同会議にもセル教会を目指し、実際に行っている教会の牧師、リーダーなど全国から約300人が駆けつけ、セル教会の実際、日本のセル教会の現場で起きている問題、セル教会に移行するために必要なことを体験的に学んだ。「Servanthood―Not Controling」(仕える心、コントロールしない)、「Kingdom of God―Not Own Church」(神の国中心、自分の教会中心でない)。これは98年に発足したJCMNの理念の一部だ。
「ネットワークとは互いに影響しあっている関係で誰もコントロールしない。自分の教会、教団、教派の拡大のためではなく日本という国の変革、御国の前進のために手をつなぎ、助け合い、与えあう組織です」。JCMN世話人である石原良人氏(単立・国際クリスチャンバプテスト教会=ICBC牧師)は第一回目の会議を開催するにあたってあらためてこの理念を確認した。
同会議では、セル体験、テーマ別の分科会のほかにセレブレーションという全体集会が催された。福音キリスト教会連合・本郷台キリスト教会、同・手稲福音キリスト教会、ICBCの3つの教会が自分たちの教会の特徴を出した賛美をチームで繰り広げた。特にICBCの賛美では参加者が前に集まり、ジャンプしたり、手を挙げたり、踊ったりとライブハウスさながらの雰囲気だった。
夜に行われたセル体験では、参加者が奉仕者別、年代別にセルを実際に体験。セルリーダーを任された人は、アイスブレーク(welcome=ゲームなどで緊張感をとく)―礼拝(worship)―建て上げ(word=キリストをその人の内に確立するプロセス)―宣教(work)という順に会を進めていった。?みなが同じ立場で偉い人はいないという価値観?みなが安心して互いに自分の意見を言える雰囲気?シンプルでありのままの正直な人間関係?互いに祈り合い愛を表現していることなどが特徴的だった。
分科会では「セル教会への移行(伝統的教会からセルチャーチへ)」(単立・沖縄リバイバルチャーチ牧師儀間盛夫氏)、「教団との関係」(聖協団・練馬グレースチャペル牧師小笠原孝氏)、「セル教会、その失敗と感謝」(バプテスト連盟・大津バプテスト教会牧師浜崎英一氏)、「主任牧師の変革」(福音キリスト教会連合・手稲福音キリスト教会牧師益田良一氏)など、セルを教会で実際に行うにあたって必要な各テーマを学習した。
ICBC牧師の石原良人氏が講師を務めた分科会では「セルの多様化(増殖への知恵と方法論)」「セルリーダー養成」をテーマに講演。 石原氏は具体例を挙げながら、「なぜメンバー間の仲が非常に良いと部外者が入っていけないセルになるのか」を解説、「これは普通の教会にも言えることだが、内部の者たちだけで満足感を覚え、自分たちが独特な雰囲気を醸し出していることに気づかない。これはセルが外向きでないことからくる」と述べた。セルが宣教できるようになるにはメンバーの一致と、一人ひとりがビジョンをもちセルリーダーとして成熟することが必要不可欠。「日本人は受け身との戦いです。受動的に生きている人たちをいかに能動的にするかがセルリーダーの責任です」と石原氏は語った。
またセルが増殖する時に大きな障害となる要素?場所?時間?文化の違いを挙げ、「教会でも年輩者だけが集まる教会に若者が行きにくいのと同様に、自分と違う文化をもったセルには入らない。メディアが発達した現在、同じ高校生でも文化が違っている。もしその文化の中にセルを起こすのであればファッション、話し方など独特の文化を絶対に裁いてはいけない。そして各文化の中で救われた人がその文化に入ってセルを立ち上げる。それがセルの多様性になっていく」と説明した。
セルリーダー養成では、イエス・キリストのリーダー養成に焦点を当てて解説。?従来型の型にはまったリーダー?アメーバ型のリーダーという2つのリーダー養成を挙げ、「?は人への恐れによって?は神への畏れによって組織を運営する。違いは中に緊張感があるかないかだ」と述べた。「聖書が示しているのは型にはまらないアメーバ型のリーダーであり、緊張感が存在すればその人材の賜物が発揮されない。それには牧師との間に透明な関係が必要だ」と石原氏。そうした成熟したリーダーの養成には解放・従順・召命という3つのステップが必要で、これらをプログラムに入れているチェンジング・ライフ・キャンプ(JCMN主催)は効果的だと強調した。最後に「セルチャーチは一人ひとりが解放され透明な関係づくりがされないと拡大していかない」と結論づけた。石原氏は同キャンプに一般の人たちが参加できるように『ココロの奥が楽になる本』(JCMN出版)を7月に出版している。 【藤岡竜志】 セル教会(運動)とは:小さな信徒の集まりをセル(細胞)として、その細胞が増殖を繰り返し増えていくように、教会が成長するという運動。弟子訓練により自立した信徒を育成し、その信徒がセルの中心的な役割を果たしていく。
中国共産党内で政策変革、社会問題解決にキリスト教−−世界宣教セミナー0407250102
6月29日から7月2日、「神の世界戦略」をテーマに、アンテオケ宣教会主催の第10回世界宣教セミナーが関西聖書学院を会場に催された。参加者は毎回80から90人、夜は公開の宣教大会となり、120から150人が集まって、例年に勝る盛り上がりとなった。アンテオケ宣教会では、世界宣教のために日本の教会がどのように貢献できるか、また宣教に関心のある人々が、具体的なステップをどのように踏んでいけばよいのかを学び合うために、毎年このセミナーを開催。セミナーを契機に召命が確かにされ、実際に宣教地に遣わされている宣教師も少なくない。
今回の主なゲストは中国チーム。中国宣教11年の韓国系アメリカ人のジョン・リー宣教師、家の教会の指導者リュウ・ワヘイ氏、アジア・フォー・ジーザス・ジャパンの佐藤浩宣教師だ。3氏は急変する中国政府の対クリスチャン政策を紹介しながら、この宣教の好機を生かすよう訴えた。「まず勝ち取るべき最初の宣教地はあなたの心です」。中国のクリスチャンは国内の未伝部族への伝道という視点を貫きながら、さらに福音を中央アジア、イスラム圏、エルサレムへとのビジョンに燃えている。 さらに、チベット密教の霊的中心地、北インドのダラムサラで、チベット語の聖書翻訳をしながら伝道するキンサイ、千世美・ミシル夫妻がリポート。夫妻は、一般のマスコミでは語られないチベット密教の実態などを述べた。
第3夜の宣教大会は、ハワイ日系人伝道22年の三橋恵理哉牧師。日本人が世界宣教のためにどのような神の期待にあずかっているかを、自身の赤裸々な証しを紹介しながら「弱い者、小さい者」を用いてくださるとチャレンジ。16人の宣教師志願者、9人のフルタイム献身志願者が前に進み出て、真剣な祈りがささげられた。(記・大田裕作=アンテオケ宣教会国内主事、関西聖書学院学院長) 東京でも
宣教状況語る 中国チームは7月5日に東京で開催された「中国宣教の夕べ」でも、中国宣教の現状と展望を語った。リュウ氏は文化大革命時代に、母親の影響を受けて入信。公安の目が光る中、クリスチャンたちはひそかに集まり、「聖書ではなく、聖書のことばの書かれたノートを回して勉強した」という。80年代に入り、多くのクリスチャンが逮捕された。しかし、90年代後半には伝道者が釈放されはじめ、そのころからクリスチャンの間で伝道への気運が一気に高まった。「刑務所に収監されているクリスチャンは、所内で入所者に積極的に伝道を行い、刑務所に入っていないクリスチャンが後悔するような有り様だった」と語った。「1人が救われれば、1人の迫害者が減る。だから伝道するのです」と話した。
リー宣教師は93年に初めて中国に入国。「夜中に200人に洗礼を授けた」など宣教初期の様子を語りながら、最近の中国政府のキリスト教に対する政策などを説明した。「現在、中国共産党内で政策の変換がある。高官の間では、クリスチャンとの共存が話し合われている。社会問題の解決をキリスト教のコミュニティーから得ようとしている」という。 市民の間でも意識の変化が見られる。昨年のクリスマス時期には、北京で中国人によるクリスマスパーティーが多数開かれ、その中で1万人がクリスチャンになったという。上海でも4千人が信仰をもったという。「開かれたのはパーティーであって伝道会ではない」とリー氏はつけ加えた。
また大学がキャンパスを開放し、宗教学の授業がキリスト教学になっているとも。「多くの大学で聖書学教師を受け入れている」とリー氏はいう。 伝道の自由はまだない中ではあるが、中国人宣教師が中央アジアなど各国に派遣されはじめている。また、国内にも派遣されているのだという。「この5年、10年に大きな変化が起こると確信します。21世紀の宣教は西洋の国によってなされるのではなく、アジアの国の人々によってなされると確信します」とリー氏は力強く語った。
「君が代」伴奏拒否、最高裁へ0407250201
東京・日野市立小学校で99年4月、入学式に「君が代」の伴奏を拒否した音楽専科教諭が、東京都教育委員会に戒告処分の撤回を求めていた訴訟の控訴審で、東京高裁(宮崎公男裁判長)は7月7日、控訴を棄却する判決を言い渡した。同訴訟は昨年12月に東京地裁で棄却、控訴審は4月21日に第1回が始まったばかりだった。宮崎裁判長は初回から即判決を出す構えを見せ、控訴側弁護団・支援者らは裁判所に対し、十分に審理をするよう働きかけていたが、宮崎裁判長は「証拠調べは十分」として、予定どおり2回目のこの日、実質審理をしないまま判決を言い渡すという、聞く耳をもたない訴訟指揮の姿勢を崩さなかった。教諭と弁護団は判決を不服として上告する予定。「国旗・国歌法」制定に相前後して吹き出した「日の丸・君が代」拒否教員の処分問題は、この裁判が先陣を切って最高裁で憲法の「思想・良心の自由」が問われることになる。 開廷後すぐに判決を言い渡そうとする宮崎裁判長に対し、控訴側代理人の吉峯啓晴弁護士が発言を求め、「今一度弁論再開について検討いただきたい」と訴えた。その中で吉峯氏は、「この裁判は思想・良心の自由が問われている憲法裁判として注目を集めている」として、「例えばキリスト者・在日韓国人の方々が『君が代・日の丸』の強要によっていかに思想・良心の自由が根底から踏みにじられたか証言しようとしている」と述べた。
さらに「教諭はもとより、その背後にいる何百人という子どもたちが思想・良心の自由を踏みにじられているということで、元生徒や同僚も証言しようとしている。必要最小限に絞って、その方々の証言は国民もぜひ聞きたいという方を証人に立てている。吉川経夫法政大学名誉教授が、80歳を超える老学者の心からの訴えにもぜひ耳を貸していただきたいと意見書を書き、証人として出廷する意向を示されている」と食い下がったが、宮崎裁判長は、「(そのような意見は)従前から聞いており、宗教関係の方々の陳述書や再開申立書、名誉教授の意見書も拝見し、十分検討した」として、予定どおり判決を言い渡した。
判決は、「『君が代』を伴奏することを拒否するという思想・良心を持つ控訴人に『君が代』の伴奏を命じることは、この控訴人の思想・良心に反する行為を行うことを強いるものであって憲法19条に違反するのではないかということが問題となり得る」としつつ、「思想・良心の自由の制約は、公共の福祉にかなうものとしてやむを得ないものであって、公教育に携わる公務員として受認せざるを得ず、このような受認を強いられたからといって憲法19条に違反するとはいえない」との判断を示した。 この論法は一審判決をそのまま援用したものであり、「ところどころ、さらに後ろ向きな記載が加えられている」「仮に思想・良心の自由を制限するなら、制限の目的の正当性、手段(ピアノ伴奏の強要)の必要性、相当性がなければいけないが、目的の正当性も、手段の必要性も相当性もない。判決には何の論理もない」(弁護団)。
原告・控訴人の福岡陽子さんは「皆様と一緒にこの判決を受けたのは歴史的なこと。私のことではありますが、この国の将来に関することだと思っています。アリの一歩でもいいから、絶望しないで一通加点として歩んでいきたい」と、上告への決意を表した。 また、陳述書を出した保護者がクリスチャンであり、その娘が、「私、『君が代』を歌わなきゃいけない?」とつらくて泣き出した、というエピソードも紹介した。