ヘッドライン
[CSD]2005年2月13日《ヘッドライン》
[CSD]2005年2月13日《ヘッドライン》= 1面 =
◎ゴスペルの魅力が満載——米映画「ファイティング・テンプテーションズ」
= 2 面 ニュース=
★スマトラ沖地震:クリスチャンが心の支援を——日本緊急援助隊が現地支援呼掛け
◎タイへボランティア募集——日本福音ルーテル教会など
★<教界ニュース>日本バプテスト連盟堺キリスト教会ほか
★英国:編集者の取り違えか——カンタベリー大主教の津波被害発言に波紋
★「パッション」がアカデミー賞3部門にノミネート
★「トリノの聖骸布」繊維分析では3000年前のもの
★<落ち穂>路傍での魂とのふれあい今昔
= 3 面 宣教リポート=
★<宣教まっただ中>フィピン発[3]政治、職業から神学捉える 記・島先 克臣
★スマトラ沖地震・津波:漁獲分けるよう勧める——無事だった漁民に対し
= 4 面 牧会=
★<ディアスポラ日本人伝道を考える>[5]ディアスポラ宣教の4段階-2- 記・清野 勝男子
★<牧師のつぼ>[9]胃カメラを飲めた、手首の一押し 記・藤川直孝
★<オピニオン>中国宣教の使命は和解の福音携える 記・守部喜雅
★<恵みのどんでん返し>牧会現場に戻れと声をかけられ 記・上田哲昭
= 5 面 神学・社会=
★アメリカ福音主義神学の動向<下>:興味深い福音派系出版社の傾向
★国際:正教会がWCCに意思決定方法で提言
★<今月の神学書評>『「もう一つの世界」からのささやき』フィリップ・ヤンシー著(いのちのことば社、2100円)評・島先 克臣
= 6—9 面 地域宣教特集/神奈川=
★この地に福音を満たす——忘れられた町がある
◎歴史は物語る:横浜で発刊された日本最初の新聞——創世記を翻訳「世界開闢のあらまし」掲載
★川崎「コリアタウン」の片隅で——「人々の足を洗い続けて」在日外国人・社会的弱者が主人公になる
★川崎市中央住宅地の真ん中で——地域の悩みは教会の悩み
★相模原市の教会協力——信徒主体の宣教 21世紀モデル
★相模原市の教会協力——子ども宣教にフォーカス
= 10 面 ビジネスパーソン=
★踏み入れたくなかった政治の道——藤田 幸久さん[上](衆議院議員、民主党国際局長)
★<ミッションと企業>信仰を企業の柱に——石川 武美[下] 記・村松 邦彦
= 11 面 教会学校=
★<今どきの子ども事情>寄り添い続け力与える 記・西村 敬憲
★<CS分級>救われた子どもにデボーションを教える 記・安田 香代子
= 12 面 情報=
★<情報クリップ>催し情報、放送伝道ハイライトほか
★MOVIE:「アイ・アム・デビッド」(2月19日公開)
日本ヘラルド映画配給=http://www.herald.co.jp/
= 13 面 今週の動き=
★<今日は何の日>2月13日—19日
★<日めくり元気の素>名著・聖書日課から一言メッセージ
= 14 面 教会=
★<ちゃちゃチャーチ>おいしい手作りケーキが好評です——日基教団・十二使徒教会
★<もりべえのへぇ~>賛美歌になった「荒城の月」
= 15 面 教会生活=
★一つになることから始まる——スペシャルオリンピックでゴスペルコンサート
★昨日の自分を超える自分に——オリンピック会場を開発する飯鋼リゾートの才門正男さん
★<林檎の風にのせて>[18]昔の世界と神様と私の世界 記・正村 八重子
= 16 面 ひと=
★岡崎信吾さん(画家)——「日本人らしさ」意識せずに作品で表現
ゴスペルの魅力が満載−−米映画「ファイティング・テンプテーションズ」0502130101
昨年、世界中に衝撃を与えた米映画「パッション」とは、対極にあるようなコメディー映画「ファイティング・テンプテーションズ」(誘惑と戦う人たち)が、今月から東京で公開される。「パッション」がキリストの受難の真実を重厚なタッチで描いた作品とすれば、このコメディー映画は、どこまでも軽いタッチの内容だ。だが、作風がまったく違うこの2つの作品に共通するのが、「福音の魅力がいっぱい」ということだ。昨年のグラミー賞を5部門で受賞したアメリカのトップ歌手、ビヨンセの圧倒的な歌唱力もさることながら、全編これゴスペル音楽の魅力が満載。キリスト教団体が制作した伝道映画と一味ちがって、神の愛と赦しのメッセージが抵抗なくじわっと伝わってくる。
物語は単純だ。ニューヨークの広告代理店に勤めるノーテンキな男ダリン(キューバ・グッテングjr)は、借金で首が回らない状態。そんな時、叔母の遺産15万ドルを相続できるという知らせが入り、ダリンは故郷の小さな町に向かう。ところが、遺産相続の条件が教会で聖歌隊を結成して、ゴスペル大会で優勝すること。しかし、町には聖歌隊のメンバーになりそうな人物は見当たらない。あきらめかけたダリンは、かつて教会で過ごした幼なじみのリリー(ビヨンセ・ノウルズ)の歌声を街のクラブで聞き、聖歌隊のリード・ボーカルを要請する。やがて、その歌声は人々の眠っていた熱いハートを呼び覚ましていく…。
ダリンはクリスチャンの叔母の祈りもむなしく、教会を離れこの世にどっぷりと漬かり、リリーも未婚の母となり教会の聖歌隊から除名された身である。それがダリンの叔母の遺言がきっかけとなり、ゴスペルに目覚め、教会も裁きの場所でなく赦しと愛の共同体へと再生していく。さしずめ現代版「放蕩息子の帰還」。
アメリカでは、今年に入り3週間ベストテン入りという話題作だが、キリスト教の地盤のない日本ではどうか。2月12日から東京・新宿のテアトルタイムズスクエアでロードショー公開されるが、試写を見たライフ企画の礒川道夫氏は「感動しました。ゴスペル愛好家には最高の作品。1人でも多くの人に見てもらいたい」と全国での公開を期待している。UIP配給。テアトルタイムズスクエアは新宿駅南口、高島屋12階、Tel:03・5361・1937。【守部喜雅】
タイへボランティア募集−−日本福音ルーテル教会など0502130202
日本福音ルーテル教会(JELC)と日本福音ルーテル社団(JELA)は、スマトラ沖地震で被害を受けたタイの被災地調査の結果、現地のボランティアセンターにボランティアを派遣することにした。JELCとJELA共催。このため現地に行くボランティアを募集している。期間は2月28日(月)から3月7日(月)まで。タイ・パンガー県のカオラックボランティアセンターに派遣され、仮設住宅組立補助、学校や病院訪問、子どもと遊ぶ、ホームページの翻訳、食事当番、掃除などをする。参加費は7万円(総額14万円のうち半額補助)。募集人員は18歳以上(高校生は不可)の8人。問い合わせ、申込みは福音ルーテル・広島教会の立野泰博牧師までファクスで。FAX:082・241・3715。締切りは2月14日正午。歴史は物語る:横浜で発刊された日本最初の新聞−−創世記を翻訳「世界開闢のあらまし」掲載0502130
我が国で新聞なるものが、いつごろ、どのような人物によって発行されたのかを調べていると、やはりというべきか、横浜に行き着いた。 1864年というから、元治元年のことである。歴史的記録によると、その年の6月28日に、横浜居留地141番館(現在の横浜中華学院正門のあたり)のジョセフ・彦という人物の自宅から、我が国最初の新聞「海外新聞」が発刊された。元治元年と言えば、江戸400年の眠りを覚ますべく、幕末争乱の機運が最高潮に達していたころで、京都、大阪にはおなじみ新撰組が横行し、江戸、横浜でも外国人や外国関係のもの一切に圧力が加わり、攘夷論は最盛期を迎えていた。そんな物騒な世の中で、よりにもよって海外ニュースを報道する新聞を発行するとは、ジョセフ・彦という人物もかなり変わり者である。事実、神奈川奉行は、彦暗殺の危険を察知して、「居留地を一歩も外へ出ないように」と特別に警告していたという。◆・・・・・◆
なぜ、それほどまでして、彦は新聞発行に固執していたのか。それは、その波乱の人生を語らずして解明できない。 彦は、幼名を彦太郎といった。幕末の天保八年(1837年)、大塩平八郎の乱のあった年に、瀬戸内海に面した播州、現在の兵庫県加古郡播磨町古宮に生まれた。13歳の時、江戸からの帰りに遠州灘で遭難、太平洋を52日間漂流してアメリカの商船に拾われた。サンフランシスコに渡った彦氏は、在米9年、ミッション・スクールに学び、カトリックの洗礼を受け、クリスチャンネームのジョセフ(ヨセフ)と、彦太郎の彦をとって、ジョセフ・彦というハイカラな名前を称した。後に、日本からアメリカへの帰化第1号として米国の市民権を得、最初の日本公使となったタウンゼント・ハリスに伴われて開国日本へ帰国、英語を習得していたジョセフ・彦は以後、米国の神奈川領事館の通訳として重宝され、華やかな幕末外交の第一線に登場することになる。 ジョセフ・彦が「海外新聞」を発行したのは、27歳の時である。官を辞してからは貿易商を営みつつ、英字新聞から様々な話題をピックアップして邦訳し、和紙に木版印刷をほどこした。といっても、13歳で漂流しアメリカに渡った彦氏は、漢学には通じていなかったとみられ、日本の文章は書けなかった。そこで、米英の新聞から日本に関係のあるニュースを選択し、彦氏が日本語で口述、これを岸田吟香と本間清雄が記事にしたという。 現在、早稲田大学図書館に現存する、「海外新聞」のオリジナル版は、二つ折りの和紙4、5丁に半丁の表紙を合わせ、無造作につづられている。表紙は藤づるで囲んだ神奈川港の背景に富士山が描かれ、上部に海外新聞の文字が見える。
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「海外新聞」発刊のいきさつに関し、ジョセフ・彦氏自身が英文の自伝でふれており、『神奈川県史3文化編』(神奈川県県民部県史編集室発行)の中に、こんな一節が翻訳紹介されている。 「…この月、わたしは外国新聞の抜粋を載せた日本語の木版新聞を発行し「海外新聞」と名づけた。日本語で印刷、刊行された最初の新聞であった。わたしが長崎に転住するまで、きょうから約二年間つづけた」。「…この年、わたしを訪ねて外国のニュースを聞きたいというものがたくさんあり、更に神奈川の官吏が多かったので、わたしは前に述べたように『海外新聞』を発行して、郵船のくるたびに外国の新聞を翻訳し、かつ輸入品の相場を掲載して日本人の利益をはかった。しかし、奇怪なことには、日本の公衆は新聞を読むことを好むに反して、前金を払い、あるいは購読するものは少なかった。そのころの政府と法律のためだろうと思う。そこで、わたしはそのほとんどを、かれらの利便をはかって無料で提供した。ただ、定期に購読したのは、肥後のショウムラという武士と、九州柳川のナカムラという藩士の二人だけであった…」 販売部数も100部どまりで、定期購読者もわずか2部と、せっかく出した歴史的新聞も普及にはなかなか苦労した様がうかがえるが、この「海外新聞」が我が国の新聞事業の開拓者であったことは確かである。2年間で26号を出したにすぎなかったが、その存在が、7年後に、同じ横浜で生まれた「横浜毎日新聞」の発刊につながっていく。この新聞こそ我が国最初の日刊新聞である。
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もう一つ、「海外新聞」発刊に関し、キリスト教の影響という面で画期的な印刷物であったことを特筆しなければならない。それは、カトリックの洗礼を受けたジョセフ・彦が、その信仰のあかしとして、「海外新聞」に、聖書の創世記を翻訳、「世界開闢のあらまし」と題して連載したことである。キリシタン禁制が解かれた1873年(明治6)より9年も前に、聖書の言葉が一般の新聞に掲載されたことは驚くべき出来事と言える。その意味で、ジョセフ・彦は、聖書を国内で和訳公刊した最初の人でもあったのである。 なお、ジョセフ・彦はアメリカに滞在中の1862年3月、南北戦争のただ中、ホワイトハウスでリンカーンと会見、リンカーン直伝の民主政治を木戸孝允、伊藤博文に伝えた人物でもあった。【守部喜雅】
〈参考情報〉ジョセフ・彦「海外新聞」の復刻版が早稲田大学出版部から販売されている。1部1万2千600円。問い合わせは、東京都新宿区戸塚町1ノ104ノ25、早稲田大学出版部。Tel&FAX:03・3203・1570。