[CSD]2005年5月29日《ヘッドライン》

[CSD]2005年5月29日《ヘッドライン》
 = 1面 =
★福音落語お披露目した露の五郎師匠——『五郎は生涯未完成』出版記念に独演会

 = 2 面 ニュース=
★「魂と体の健康を」強調——ベニー・ヒン名古屋ラリーに1万2千人
★日韓の牧師によって初の按手式——ヨハン教会連合が淀橋教会から独り立ち
◎信教の自由・人権と政治学会発足——他宗教とも連帯し学ぶ
★<教界ニュース>政教分離の会「昭和の日」制定に反対声明
★<逝去>木下弘人氏(日本同盟基督教団顧問、94歳)4月24日
★<逝去>大川正己氏(日本福音教会奈良福音教会元牧師、71歳)4月12日
★<落ち穂>教会に助けを求めた少女

 = 3 面 ニュース=
★<宣教まっただ中>韓国発[1]隣国韓国で障がい者伝道へ 記・長澤久美子

 = 4 面 牧会=
★「説教と牧会」講演[2]牧会の命である説教 エドモンド・チャン師夫妻
★<牧会ジャーナル>「牧会現場の人間関係」 記・林 巌雄
★<オピニオン>「神の養子」として養子を受け入れる選択 記・水谷 潔
★<恵みのどんでん返し>信じることを告白する 記・砂川 竜一

 = 5 面 神学・社会=
★<ローザンヌ運動30歳>子どもたちの伝道[上]社会の犠牲、既成教会の問題——課題は世界共通 記・杉本 玲子
★国際:世界の新約聖書頒布数減少——聖書協会世界連盟が発表
★<書評>『若者は朝露のように』ユージン・H・ピーターソン著(いのちのことば社、1365円)評・柏木 道子

 = 6・7 面 キリスト教主義学校=
◎「北京の聖者」忘れず胸像除幕式——桜美林学園創設者・清水安三氏
★「人間っておもしろい」——聖学院大学総合研究所心理相談室カウンセラー・村上純子さん
★校章に見るキリスト教主義学校

 = 8・9 面 全面広告=
☆月刊「百万人の福音」7月号から変わります
B5判からAB判に拡大。10本以上の新連載スタート

 = 10 面 ビジネスパーソン=
★御名が崇められるための事業——結果よりもプロセス——巧記さん)[下]([愛知万博市民参加事業プロデューサー、オイコス・チャペル牧師)
★<うつは心の風邪>[11]うつ病以外の心の病気 記・吉田 博

 = 11 面 教会学校=
★<「成長」攻略法>イエス・キリストの生涯——罪から回復図る神の働き 記・中台 孝雄
★<CS分級>身近なもの使って工作・紙皿のお面 記・石橋 えり子

 = 12 面 情報=
★<情報クリップ>催し情報ほか
★CD:「Steal Away」国分友里恵(ライフミュージック、2940円)
★BOOK:『上手な怒り方』佐藤綾子著(PHP研究所、1200円)
★BOOK:『ぼくたちの救い?』(ロバ通信社、1200円)

 = 13 面 今週の動き=
★<今日は何の日>5月29日—6月4日
★<日めくり元気の素>名著・聖書日課から一言メッセージ

 = 14 面 教会=
◎<ちゃちゃチャーチ>礼拝で韓国人、日本人が一体——韓国・サラン教会日本語礼拝
★<奉仕する恵み>賛美と言語学が互いに影響——竹内茂夫さん(近江福音自由教会)

 = 15 面 家庭・あかし=
★愛・地球博にエコ・チャーチの夢の模型を展示——アライアンス・名古屋キリスト教会
★大村はまさん逝去——独創的授業で教育界に影響
★<スマトラ 祈りと希望>被災地を行く[7]——互いに愛し合いなさい 記・水谷恵子

 = 16 面 ひと=
★金興奎さん(韓国派遣宣教師)——日韓の国際結婚を支える働きを


信教の自由・人権と政治学会発足−−他宗教とも連帯し学ぶ0505290203

憲法改正の気配のある状況の中、日本が世界平和の発信地となるように、宗教者が信教の自由、基本的人権を政治的な視野から学び合い、検討し合い、対話と連帯を協力していこうと「信教の自由・人権と政治学会」が4月4日、東京・千代田区永田町の星陵会館で創立総会を開催。代表理事に亀谷荘司氏(日本福音連合検見川教会牧師)を選出した。
 総会では、会の目的を「信教の自由の意義を学び、この国の信仰思想の自由を守り、基本的人権の確立に努めることは宗教者の義務である。日の丸をふり、君が代を歌うことは真の愛国心とは限らない。信教の自由、基本的人権の確立が人類が求めている世界平和の必須要件である。この目的達成のためにお互い啓発し合い、学び合い、力を合わせる」とした。主な活動としては 1.研究会、講演会の開催 2.機関紙、紀要、研究書類の発行 3.同会の目的に合う研究への援助 4.関連団体との交流、提携することなどを決定。副代表理事に堀井美吉(ホーリネス・休職牧師)、本多勝(日本キリスト教学会会員)、中島一碩(基督兄弟団・一宮教会牧師)、高井清(日基教団・上高井戸教会牧師)各氏を、理事には工藤公敏氏(基督兄弟団・目黒教会牧師)を選出した。また国会議員では公明党の富田茂之衆議院議員も総会に参加した。   
 同会の連絡先は〒262- 0023千葉県花見川区検見川5ノ2213 TEL:043・273・0873(検見川教会)。

「北京の聖者」忘れず胸像除幕式−−桜美林学園創設者・清水安三氏0505290601

1921年、中国・北京郊外に、貧困に苦しむ子どもたちの自立を願って「崇貞学園」を設立した故清水安三氏の胸像が、同校の後身である陳経綸中学校庭に建てられ、3月30日、除幕式が行われた。清水氏は、日本軍の戦火から北京市を救うなど、さまざまな働きを通して中国人の良き隣人として活躍し、「北京の聖者」と呼ばれた。帰国後は桜美林学園(佐藤東洋士理事長・東京都町田市)を創設した。
 清水氏は、1891年(明治24)、滋賀県に生まれた。膳所中学4年の時、近江伝道で知られるアメリカ人ヴォーリズに導かれ受洗。同中学卒業後、同志社大学神学部へ入った。中国伝道への献身のきっかけとなったのは、徳富蘇峰著『支那漫遊記』であると言われているが、ある年の初週祈祷会で、牧野虎次牧師が証しした次のようなエピソードがその志を確かなものにしたと言われている。
 「エール大学出身のホレエス・ぺトキンは支那へ来たり、河北省保定市にて伝道していた。義和団賊の暴動が起り、ぺトキンは妻子を伴って天津へ避難したところ、米国公使の勧告により、軍艦に同国人と共に留まることになった。しかしぺトキンは、『羊飼いが羊を忘れるのは卑怯である』と言い、単身、再び保定へ戻った。しかし義和団の放つ弾に当たり殉教。残された遺書には『エールよ、エール、我が子ジョンを25歳まで育ててくれ。25歳になったら保定に来たらせて我が遺志を継がせよ』と書かれていた。ぺトキンの母校エール大学の教授や学生は、それに感動した」。このエピソードをエール大学出身の牧野牧師は泣きつつ語り、清水氏も泣きつつ聞いたという。
 清水氏が中国の地に足をしるしたのは1917年、26歳の時だった。当時の中国は、長い封建時代から解放されたものの内乱が絶えず、人々の多くは飢えに苦しんでいた。清水氏は、天津に2年滞在し中国語を習得、荒廃の地北京に赴いた。その第一の奉仕は、飢餓救済と災害孤児収容だった。800人の児童が飢えの中から救出され、収容された。ついで、朝陽門外の最も貧しい地区に崇貞学園を創立。中国や朝鮮の24人の生徒が日本人教師の指導を受けた。資金の行き詰まりで何回も挫折しかかったが、その試練を乗り越え、1935年には朝陽門外に新しい校舎を建設した。清水安三は、日本が中国を侵略した時代に「今日においても、寸尺の土地も支那人から奪ってはならない」と主張し続けた日本人であった。
 戦後、日本の教育改革を目指し、聖書の御言葉を礎とした桜美林学園を東京郊外に創設。戦後60年が経ち、日本では中国での清水氏の働きは忘れ去られようとしているが、中国ではそうでない。今年、清水氏の中国人に対する救済活動を記念して、ゆかりの陳経綸中学にその胸像が建てられた。
【守部喜雅】
 除幕式当日には、日本からは清水氏の孫である清水賢一氏や、佐藤東洋士桜美林大学学長、本田栄一桜美林中学・高等学校校長らが出席。式は、陳経綸中学の級長代表が献花し、全員で校歌を斉唱するなど、けっして華やかではないが厳かに執り行われた。
 崇貞学園は、戦後は接収され北京政府の管理下に。第四女子中学、朝陽中学、現在の陳経綸中学と名称をたびたび変えてきたが、清水氏を献彰して創立を1921年におき、胸像を建立することになった。胸像は同中学の依頼を受けて桜美林学園が日本で制作し、北京へ送った。
 中国では現在、各地でのデモなど反日感情が高まっており、同中学でも生徒の間で日本人の胸像を建てることに反対の意見があったという。しかし、同中学の張徳慶校長が「確かに日本人は中国で悪いことをしてきた。しかし、中国人に貢献した日本人もいたのであり、そういう人たちのことも知らなければならない」と生徒を説得。今回無事に除幕式にいたった。
 同中学には、「学びて人に仕える」を意味する「学而事人」という言葉を校訓とし、清水氏の字で刻んだ石碑も建てられている。
 北京生まれで、両親が崇貞学園の教師を務めていたという佐藤学長は、「崇貞学園の後身である陳経綸中学に、清水先生を存命中にお連れすることはできなかったが、存命中の姿を中学にお連れできたことは良かった。今回この胸像ができたことで、中国の方々に日本を理解してもらうきっかけになれば」と期待を込めて語った。

<ちゃちゃチャーチ>礼拝で韓国人、日本人が一体−−韓国・サラン教会日本語礼拝0505291401

飲食店が軒を連ねる繁華街の韓国ソウル市江南地区。その一画にある、信徒約5万人を擁する大韓イエス教長老会サラン教会(呉正賢担任牧師)に今年1月から、日本語礼拝がスタートした。担当牧師は坂本兵部さん。ソウル市内にいる約5千人の日本人に向け、今、様々な宣教活動を展開している。 
 日本語礼拝は、サラン教会が所有する喫茶店「アルムダウン・タン」(=「美しい土地」の意味)で午後1時45分から始まる。礼拝は、すべて日本語だ。出席は平均約160から170人。日本人は20人弱でほかはみな韓国人だ。日本語が話せたり、日本人のために何かしたいと願い、日本宣教に重荷のある韓国人たちが一緒に出席しているという。 2つの民族が融合
 最初に日韓の青年たちによる賛美チームのリードで、ワーシップソングを賛美。そして日本語礼拝の責任をもつ同教会の長老の代表祈祷、坂本牧師の説教へと続く。代表祈祷では「今は独島(日本名・竹島)問題で日韓の関係が悪くなっているが、速やかにこの問題が解決され、日本にリバイバルが来るように」との祈りがささげられた。
 折しも、記者が礼拝出席した日は、竹島問題で反日感情が高まっているころ。しかしこの礼拝空間に限っては、反日感情を全く感じさせない、自然に2つの民族が融合し一体となっている光景が印象的だった。  
サダリパーティー
 礼拝後は、教会になじみのない初心者、求道者が気楽に参加できる「サダリパーティー」があった。「サダリ」とは韓国語で梯子の意。韓国と日本、また神様と人間の「橋渡し」の意味が込められているという。スパゲティやサラダ、ケーキを食べながら会話をし、ゲームで楽しむという内容で毎回4、50人が出席。その中には随時7、8人のクリスチャンでない人たちが参加している。
 このサダリパーティーの発案者は坂本牧師で、日本語礼拝スタート時から開いている。「礼拝だけやっても日本人伝道は難しいだろうと考えたのです。このパーティーがあるおかげでクリスチャンでない日本人が来てくれ、クリスチャンと友だちとなります。パーティーに参加した人の中から、すでに4、5人の日本人が救われています」
 3月には教会学校を、4月には韓国語講座、韓国料理教室、キャンパス伝道、美容教室など、クリスチャンでない人たちとの接点をもった複数の活動を開始している。
青年から「日本語礼拝を」
 日本語礼拝が始まるきっかけは、日本に短期宣教に行った青年たちからの声だった。「サラン教会は、もともと弟子訓練を日本に伝えるため、多くの犠牲をはらってきました。日本語ができる長老、信徒も多くいます。そして青年たちが『ぜひやってください。長老様』と持ちかけ、祈り会が始まりました。2年間祈った結果、『始めるのがみこころ』と確信が与えられたのです」 
 そして昨年秋、当時大阪で開拓伝道中だった坂本さんに日本人礼拝担当牧師を要請。若手でサラン教会のスピリットを理解し、弟子訓練のビジョンをもち、韓国語ができることが理由だった。祈りの中で神様から「行くように」と示された坂本さんは、その要請を受諾。「今後の韓国教会は、日本に祝福を流し続けなければなりません。日本語礼拝はその窓口的な役割を果たすこと。来年からは、この日本語礼拝内部でも弟子訓練を始めたいと考えています。日本の献身者でインターン訓練を希望される方の受け入れも行う予定です」。【中田 朗】